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私のシンガポール移住 出発前(2)

前回シンガポールに初めて降り立った時、「ヤスコちゃん、私、将来、ココに住むかもしれない!」(ヤスコちゃんは、当時シンガポール旅行に一緒に来た友人。いや、私をシンガポールに連れてきた友人)とほざいた私だったが、シンガポールツアー王道の5日間を終えて帰国した。(当時は、植物園、ダイアモンド工場見学、ディスコ体験、ニュートンサーカスでの屋台体験、何もないセントーサ島へケーブルカーそしてオプションのナイトサファリくらいしかなかった)

でも私のシンガポール旅行は、それだけで終わらなかった。

シンガポール旅行を終えて、1か月後、普通の生活に戻り、朝は早く、夜は遅くまで仕事をしていた私は、疲れてゴロゴロしていた土曜の昼間、母の大きな声で目が覚めた。

「え?」

母が話した内容に絶句した。

私がなんと、懸賞の1等にあたったという。そういえば確か1か月前に新聞のアンケートに適当に答えたことがあった。

その1等とは・・・

1等 「シンガポールペア旅行」(無料)だったのだ。(笑)

◆◆

そんなこんなで、私の生活はシンガポールにかなり縁づいたことになり、2回目の無料シンガポール旅行では、更にシンガポールが好きになってしまい、現地に友人までできてしまった。その友人に「シンガポールのクリスマスはイルミネーションがきれいだから、おいでよ」と言われ、シンガポールのクリスマスまで見に行ってしまったことも。さすがに3回目のシンガポール旅行で、実際現地で就職ができないか考えるようになったのだ。

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実は私がシンガポールで現地就職を考え始めたのは、丁度、アジア現地就職がはやり始めたころだった。特にその流れは「香港」が主流になっており、シンガポールはまだそれほどでもなかった。

そのおかげで就職を紹介する求人会社も増えていたのだが、私は大学卒業し就職してもそんなに年数がたってなかったため、ほとんど職を紹介してもらえなかった。(当時就労ビザは、日本で充分な就労経験がないと出してもらえないということだった)

結構真剣に就職を探していた。パソナかなんかのアジア就職説明会にいったり。でも求人会社からはまったく紹介してもらえないし、返事ももらえない。ある求人会社には「シンガポールていったって、インド人街とか、危ないんですよ」とか言われる始末。1年たってもそんな調子だったので、私は意を決し、一人でシンガポールに出たのだ。現地で探してみようと思い立って。

◆◆

「まだビザ出ませんね・・」

シンガポールに来星して、現地の日系求人会社経由で仕事を探した私は、面接に数社を紹介してもらい、そして一発で仕事が決まった。日本で待ってるより、自分で乗り込んだほうが早かったのである。

でも難関は就職より、就労ビザ。当時シンガポールの就労ビザは、充分な就労経験、高い技術を持った外国人に、就労ビザがおりる条件だったが、私はどれも満たしていなかった。せっかくシンガポールで就職が見つかったとは言えども、結局はビザ待機をせざる得なかった。

一緒に入社が決まったもう一人の日本人女性は、29歳で社会人経験もある人だった。従って会社からは、彼女にはビザが出るだろうから、君はビザが出なかったら3回までアピールはできるけど、それ以降は会社はサポート無理だよ、と言われていた。つまり、アピール3回してビザが出なければ「帰国」。

1か月ごとに「審査中」とパスポートにスタンプが付く。3回目の「審査中」のスタンプが付いた時に「とうとう帰国かな~、ま、いいか、3か月住めたしね」と思っていた程度だった。

でも、その1か月後、私には就労ビザがおりた。

会社の人事部や日本人駐在員たちは大騒ぎだった。私みたいなケースは異例だということだ。

一緒に申請した29歳の女性は、残念ながら就労ビザが取れなかった。彼女は1年間かけて3回アピールしたが、会社を退職せざるを得なかったのだ。

◆◆

シンガポール移住、までにはこんなストーリーがあったのだ。勿論そのころは、マリーナベイサンズも、観覧車も、Jewelも、そして気の利いたカフェなど1つもなかった時代だった。






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