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『ウサギ、孤独で愛しいものよ』 vol.1


 その子の名は「ウサギ」といった。

もちろん本当の名前ではない。
誰かがそう呼びはじめ、
そして、みんながそう呼んだ。

駒込の古い住宅街には塀が多い。
味も素っ気もないコンクリートブロックを積んだ背の高い塀が、迷路のように連なっている。
まるでこの街全体が、実直で頑(かたくな)な意志を表明してでもいるかのように、
グレーの隘路が曲がりくねってどこまでも続く。
表通りからフトした感興に誘われ、初めてこの横道に入り込んだ人は、きっと道に迷ってしまう。
気づくと、さっき通った場所だったりする。
たまに、何かピアノの練習曲(これもまた、似たような音が「ポロポロ」と、どこまでも続くのだ)や、「コホン。」とした古風な咳払い等が、塀の内側から聞こえてきたりするが、ここでは時間が止まっているような錯覚さえ覚える。

そんな中、ポツネンと喫茶店「ひまわり」があった。
ウサギは、そこの店員だった。

浪人中の忙しい筈の僕は、予備校からの帰り道、そこでコーヒーを飲んでは止まっている筈の時間をつぶした。
夕方六時を過ぎない内に帰ると、住まわせてもらっている小さなマンションのオーナー兼管理人で、僕の監視役を自認する伯母が、必ずのようにやって来ては、アレコレと気を焼くのだ。
僕がいなくても、勝手に入り込んで掃除や洗濯をしていく。
それはそれでとてもありがたい話なのだけど、初めての一人暮らしをする十九歳。
そこはわかってもらえると思う。

その日も、「ひまわり」に寄って、カウンターの目の前で、ママが淹れてくれるキリマンジャロの深く甘い香りを楽しんでいる時に気がついた。
「アレ? 今日はウサギさんは?」
その呼び名のとおり、彼女はいつも静かで、全身をフカフカの白い毛で覆い隠してでもいるかのように、存在自体が柔らかで、こちらから注意を向けなければそこに居ることさえ忘れてしまう。
とはいっても、とても美しい容姿をしているし、たまにほんの一言二言返してくれる反応には、どこか知性が感じられて、とても魅力的なのだが、ただ清楚、と言うのとはちょっと違う。
「彼女は孤独を愛しているんだ。」
と誰かが言った。
だから僕たちは、敢えてその内部には踏み込まない。
そして一層彼女は、柔らかな自己の世界に身を隠している。

「そういえばカン君、青森だったわよね」とママは、僕の質問に答えずに言った。
「あの子もそうなのよ。おばあちゃんと二人暮らしなんだけど、折角入った高校やめて飛び出して来ちゃったのよ。
そのおばあちゃんが、昨日亡くなったって。
可哀想だけど、どうしようもないわね。
落ち着いたらまたおいで、と言っておいたけど、どうするんでしょう。」
といいながら、白い封筒を取り出した。
「あの子から、明日あなたが来たら渡してって」
と言って、静かな笑みを添えた。

便せん二枚。
 一枚目には、地図が描かれていた。
表通りにあるミニストップ前のバス停から、二本の点線が伸びている。
一つの終点には「ウサギ小屋」とあり、
もう一つの点線を辿っていくと、
終点には丸印があった。
...ドキン! と心臓が揺れ、
その音が、小さな店内に響いた(ように思った)。
それは、僕の家なのだ。

「フフフ。私だって驚いたわよ。ごめんね、さっきはとぼけて」
そして、「あなたのことは、はじめから知ってたのよ、あの子」と言って、眼で二枚目を促した。

 二枚目は、小さな万年筆の文字で一面キレイに埋められていた。
要約すると、次のような独白で。
「あなたが小学校六年の時、わたしは同じ学校の三年生でした。
夏休み前に、あなたのおじいさまが亡くなられて、生きもの係のリーダーだったあなたは、そのまま学校を休んでしまった。
わたしは、毎日、ウサギたちの世話をしました。
わたしは悲しかった。
どうしたことか、二学期がはじまったというのにそれっきりウサギ達のことは忘れてしまったかのように、あなたは顔を見せることなく、とうとうそのまま卒業してしまった。
わたしは、毎日、金網越しの物言わぬ赤い眼を見つめ、そして泣いた。
忘れられたことをではなくて、この孤独を愛する、自分の性をくやしいと思った。
人は誰だって、誰かと寄り添っていたいはずなのに、わたしは、こうして想っているだけで幸せなのだ。と、それが悲しかった。」

呆然としている僕に向かってママは、
「あの子、あなたのことが好きだったのよ。」
と言って、微笑んだまま黙ってしまった。



  

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