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平成と言う時代に埋もれたおっさんは量子力学を学ぶ


平成生まれの僕は、三十三歳になる。



平成と言われて皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

たぶん大半以上の人は東日本大震災というと思う。近年では日本はおろか世界に最も記憶されている大災害。日本人である僕等はそれを現地で全国の人が経験した。あの時の状況を思い浮かべれば無理もない。しかし僕の中では2001年9月⒒日アメリカ合衆国で起きた同時多発テロ事件を思い出す。当時は小学5年生だったか、子供ながらに鮮明に覚えてる。旅客機が二機ビルに突撃した映像は、特に頭の良い子供ではなかったが良からぬことが外の国で起きていることはわかっていた。

そのあとに続くのは小泉政権の郵政民営化、北朝鮮の拉致、池田小連続殺人事件、オウム真理教、僕の記憶には薄いが阪神淡路大震災などwindows95発売、プレイステーション発売、日韓サッカーW杯、シドニーオリンピックなども挙げられる。


ゆとり教育体制が始まった

人に対する陰湿ないじめ、体罰が禁止され活発化したモンスターペアレント、学級崩壊など僕は正にその先駆けの中で小学生活を送っていた。うつやストレスといった病気が認知され、犯罪の多さから場所や言動に制限、規制がかかり始め、娯楽施設や遊具などで遊んだりすることができなくなってくる。

それに伴い災害が活発化し、物価は上がり始め時代がアナログからデジタルへ移行する

そんな平成初期から僕は丸々生きてきた、いや生き抜いたと言っても過言ではない。

僕の人生が特殊なだけかもしれないが同じように人間の汚い部分を見て、災害や時代の進化に学んできた人はいるはずだ。ゆとり世代と言われ上の人間から叩かれては根性がないと突き放される。

古き悪しき風習に付き合わされ、大災害に見舞われ、気づけば新しいテクノロジーが生み出され、とんでもないスピードで進化している。新しい時代に置いて行かれる感覚は、きっと日本全国探せば同じように怯えている人はかなり多いと思ってる。

布団に入れば明日が不安になり、遊んでいても罪悪感がある。そんな毎日を送っている人もいるはずだ。


僕もその一人だった。

僕は変わり始めている。


今は生きるのが本当に大変だ。どんなに高収入でも子供一人育てたり、高齢の親を養うのにもギリギリの生活だ。世界を見渡したら日本は恵まれているに違いないとは思う。

外を見れば戦争が各国で起こっている。株も暴落している、パンすら製造できず、食もまともにとれない、職もなくホームレスだらけの国もある。

それを考えれば僕の体験談なんてちっぽけで贅沢だと思うが、このことにも気づいたからこそ書いてみたいと思った。

自己啓発という立派に言えるようなものは書けないと思うが、今苦しんでいる人に少しでも希望を持ってもらいたいし、同じような境遇を経験した人、また興味を持って読んでくれている皆さんにも伝えたい。どこの誰だかもわからないおっさんの今日までに至る普通とは言えない三十三年間を今皆さんに伝えてみようと思う


いじめ、遺産相続、友人、僕を語るうえで欠かせないこの3つの事を軸に、僕に備わっているちょっと不思議な能力についてこれから綴らせていただく、そして全てが変わったキッカケとなった友人との出会い。すべて嘘偽りのない実体験だ。人によっては疑ったり聞きたくないような話もあるのでとばしてもらっても構わない。

そもそも読んでいただけるだけで大変ありがたい。


今僕は量子力学を独自で学んでいる。今までの経験を通して僕なりの考えも伝えたい。

感情とは?人間とは?物とは?近年で最も注目を浴びている量子力学。もしかしたら今までの出来事に答えが出るかもしれないとこれからを生きる皆さんと考えていきたい。量子力学に出会い僕の人生は好転してきた。その方法と理論を僕の独自のあくまでも仮説の段階だが話してみようと思う。


さて長くなったが僕の生い立ちから量子力学の話を織り交ぜて綴らせていただきます。


大丈夫。変われるさ。


さあ一緒に生きていこう








2024年3月

1・量子力学とは


まずは量子力学とは何か説明しておこう。

簡単に言うと物理学で、近年解明されてきている光の粒の事だ。

全ては光の粒「粒子」でできている。人間も動物も、音も、学校も会社もでかいビルも目に見えている物全て小さな光の粒「粒子」でできてるのだ。にわかに信じがたい話だろうがこれが事実という真実に近い話なのである。

考えたことあるだろうか?なぜ人や動物の感情は伝わるのだろうと、それは感情を発するとき発生する「光(フォトン)」が出ているからだ。

例えば、怒る、泣く、叫ぶといったマイナスな感情を発するとマイナスフォトンが発生する。それが細かい肉眼では確認できないほどの粒子が体から出てきてその波に当てられる

好きや喜びといったプラスの感情もそう、プラスフォトンが発生してその波を当てられる。

つまりもともと光の粒である僕らは発生するものの強弱によって感情を判断する。

(あくまでの素人のおっさんの見解なので科学者のような見解はもとめないでもらいたい。)というのが量子力学の一部の話。近年,量子力学でノーベル賞をも受賞してる方々もいる。宗教や都市伝説の話が現実になってきているのだ。

光の粒なので物体に干渉しない。その力で未来にも過去にも行けたりもする。

最初に述べたように僕には不思議な感覚がある。その不思議な感覚は量子力学を学んで自分なりに解明しつつある。

ぶっ飛んでいる話だが事実だ。

100%ではないが人の感情や行動を把握出来たり、危険から回避できたり、予知夢やUFOを見たり、さらに神秘十字が両手、ファティマの目が左手という洞察力や第六感、守護霊がついているといわれている手相がある。

ここまで読んであり得ないと思ってる人もいると思う。それくらい自分でも不思議なんだ。

なので僕の過去を追いながら僕自身も、そして皆さんにもこれからの人生に参考になればと思う。

2・幼少期 病院の夢


僕は3歳の時、4つ離れた姉の溶連菌が移り川崎病になった。

川崎病とは国が指定した感染病である。幼い子供にある感染症で全身の血管に炎症が起きて高熱を起こし、最悪は後遺症が残ったり死の危険がある。いまだに詳しくは解明されていない感染症だ。埼玉の病院に入院し人生一度目の死にかけた体験をする。奇跡的に回復したが当時はまだ三歳、記憶が曖昧だがかすかに覚えてるのは、右手には移動式の点滴、病院のベット、待合室と向かいにある売店、病院独特な薬品の匂いと断片的にしかない。指定感染症なので完治しても何年かに分けて検査を受けなければならない。

小学生になる前に都内の大きな病院まで母に連れられて行ったのを覚えている。その後体が成長し今日まで特に異常はなく、健康診断も耳以外は異常なしだ。

中学生くらいの話になる。ある時入院していた光景が夢に出てきたのだ。当時はよくわからなかったし、ある程度知識はあったからドラマやアニメといった何かの影響を受けてその映像が夢に反映されたのだろうと思ったが、そもそもそういったアニメは見てない、というか放送してないし興味を持たない。だが確かに僕はみた。33歳になるいまでもはっきり覚えてる。ベットから看護婦さんが来たのを気づいたり、移動式の点滴と一緒に廊下を歩く。待合室を見わたしたりしたその記憶が。幼少の頃の記憶なんて覚えてないという人は多いと思う。けど何十年とたった時、それが夢として「見た」のだ。

勿論、潜在意識の中で何かが働き、脳が働いた影響で記憶が呼び起こされたのかもしれないしよくあるかもしれない。


しかし疑問になったのが待合室をみた高さ。


三歳の子供が見る景色の高さではなかった。当時は100センチあったのかわからないが、、待合室にある向かい合ったソファー、真ん中にあるガラス机、窓際や廊下側に仕切りになっているガラス製の展示用品の入れておく箱、と子供目線にある本棚、その夢を見たときは身長は160センチは優に超えていたのでその目線からの風景なのは疑いはなかった。

疑問に思いつつも、特に気にすることはなく過ごしていたがある時、僕が中学生くらいの時だ。母方のほうの祖母が施設に入所するという話がある。祖母は僕が物心ついた時から杖を突いて歩いていた。

くも膜下出血で倒れてから半身不自由で生活をしている。年も年だし祖父も面倒をみるのが厳しいからなのか、老人ホームに入所が決まった。

家族全員で祖父と祖母の姉と一緒に入所してから何か月経ってから向かった。


そして施設の方に案内され、全員待合室に待機する時、僕は驚いた。

夢に出てきた光景が、そのまま出てきたのだ。

目線の高さ、置いている物、何らかの差異はあったのかもしれないがほぼ同じ光景だった。

祖母に会うことよりも、家族の会話よりも、夢と現実が重なったことの方が衝撃的過ぎて他は覚えていない。病院自体がそのような作りなのかもしれないし、妙な偶然と潜在意識などいろいろ原因は憶測で語られるかもしれない。当時はこの出来事が不思議で人見知りだったので誰にも話してない。この出来事からちょっと一般人とは違うのかもしれないと自覚し始めたこともあったし、その後の修学旅行で京都奈良に行くのだが、行く前の何か月か前に清水寺の下にある手洗い場が夢に出てきたり、一緒に班行動していたクラスメイトの位置、他の旅客を見て、現地に行ってかなり驚いた。

そこで確信したのかもしれない。


自分には何かあると。


しかし伝え辛いし、当時はそこまで気にしなかったのでクラスメイトや家族に話したりもしなかった。そんな話信じてもらうことはないだろうとも思った。

量子力学的に言うと、僕の意識は未来へ行っていたことになる。もう意味が分からないだろう。大丈夫、本人もよくわかってない。ただ今日まで近い未来、肉眼で観測できるレベルの夢は良く出てくる。近くで舗装工事をしてるが少しその場を見ただけで工事している夢を見たりする。記憶に引っかかるが何故だか初めて会った気がしない全くの赤の他人に疑問を抱いたりするのは、きっと夢に出てきてるからだと解釈している。デジャブを感じることもあるし、全部が全部ではないので忘れていることの方が多いと思う。最近だと夢を見ているときは夢だと意識の中でわかる。意識をすれば身体も動かす事ができる。このことを職場の方に話したら意識はできないらしい。改めて自分は変態なんだと認識した(笑)











3・いじめ  パラレルワールド



今やもう犯罪の括りで問題になっている。自殺やトラウマの要因の一つの【いじめ】だ。小学生の時の僕の教室は学級崩壊の嵐だったから授業なんて無いに等しい。ゆとり教育の象徴であるように体罰禁止から急増したモンスターペアレントによる教師の精神的負担が一気に増えて、家庭のことを学校にも求めてくる頭おかしい人が増えてきた。それによって自由に騒ぎまくる生徒、反抗やらなんやらで荒れ放題。そんな状況を小学校3年から6年くらいまで続いた。もう本当に地獄だった。学びたいこともあったのに授業は中止になり、当時大々的にいじめられていたクラスメイトについて一時間、みんなで討論会だ。肯定的な意見もあるしその子と仲良くしてる子もいたが、解決には至らずだ。貴重な授業が丸々潰れる日々が何度も続いた。その中、自身の立ち位置はいじめる側にも加担せず、いじめられる側にも加担せず黙ったままだった。その中でお山の大将的な奴とかお調子者に目を付けられる。

当時から流行っていたカードゲームを威圧して取られたり、身に着けていたもの取られたり、上履きに画鋲が入っていたり、暴力もあった。このことは親には言わなかった。言わない動機は簡単だ。勇気をもって立ち向かえというとわかってたし、そのことで学校で話題になったら益々いじめられると思っていたからだ。助かる場所なんてない。誰も話は聞いてくれない。仲良くしてくれた子もいたけど限界がある、その中で学級崩壊、モンスターペアレント、いじめだ。

当時を思い出すだけで吐き気がする。今でもだ。人生のトラウマ第一号だ。今当時の同級生に会ったら本当何をするかわからない。取られたカードゲームも殴られた場所も何もかも覚えている。一瞬にして記憶が蘇る。僕自身が弱かったのも原因の一つだしそれは否定できない現実だからしっかり受け止めている。


自分が強ければ。何度思ったことか。


自分が強ければ自分以上にいじめられてた子も救えたし、もしかしたら崩壊を止められたかもしれない、親に頼ってれば変わっていたかもしれない。クラスメイトとも上手くやっていたかもしれない、しかし過ぎた過去を引きずっても変わらない、そう割り切るしかなかった。

そして転機になったのは引っ越し。学区が変わったので小学校のクラスメイトとはおさらばした。。

中学は文武を重んじる学校だったがすごく楽しい思い出しかない。僕の事象が変わったんだ。学力は格段と向上し身体能力も一気に上がった。仲の良い変わり者の友達もできたし、厳しい環境ながらも必死に食らいついていって、苦しくてもその度クラスメイトも助けてくれる、先生や親にも話すようになった。馬鹿なこともした、先生に怒られたりもしたし、初恋も経験した。卒業まで大変だったけどやり切った自分に自信がついていた。

高校時代はもう天下。すべて極めたと思っていた。生徒会副会長、図書委員長、体育委員長、成績トップ、体力テスト上位、馬鹿な連中と馬鹿なことして、毎日好きなゲーム、勉学も楽しい、最高の高校時代を送った。最初から最後まで笑った。

僕の学生時代はこんな感じだ。辛くて逃げだしたい小学生時代、辛くて苦しかったけど向上した中学時代、すべてを手に入れた高校時代、最終的には笑って終えた学生時代、今後も笑って生きていけると思っていた。実際はその裏でじわじわと闇が迫っていた。僕の全てを変えた出来事が始まろうとしていた。このことは次章で語ろう。


すでに人生の絶望を歩んでた僕は突然、幸運に恵まれ厳しいながらも有意義な学生生活を送った。

パラレルワールドを経験したのだ。


パラレルワールドとは、知っている方も多いと思うがもう一つの自分の世界の事だ。今自分が観測している世界に並んで、別の世界の自分がいるということで、これは良い波動を受けて楽しい毎日を送る世界、悪い波動を受けて辛い毎日を送る世界があるという、自分がどういう状況に身を置くかで世界が分かるということだ。ディズニーランドに行けば、その時間は誰もが楽しいと思う、次の日職場に行ったり、嫌いな授業を受けると嫌になると思う。短いスパンで考えるとこうなる。

僕で例えると悪い波動を受けて小学生生活を行い、良い波動を受けて中学、高校と生活したのだ。環境の変化により並行世界パラレルワールドを行き来したことになる。結局は環境を変えることが重要でいかに自分の立ち位置を理解して行動できるかにかかっていて自分の感情がネガティブにならないようにして行くこと。楽しいことばかりは続くわけではないのでその時が来たら修正できるように健康面、知識、環境を整えて置くことが重要なのではないのだろうか、自分が強ければ苦痛な小学校時代は無かったかもしれないし、強すぎて天狗になり中学・高校での成長はなかったかもしれない。また別の世界の自分はもっと楽しくて、もっと辛い思いをしているかもしれない。同時に観測することは今はまだ不可能だが、もし知ることができるならみて見たいものだ。




4・遺産相続 親 


高校を卒業して程なくして僕はニートになった。働きに出て有頂天になった鼻をへし折られたからだ。

高校で天下を取ったんだ、そりゃ天狗になるよね。それでも社会は学歴なんて求めてないことを身思って知ったけど、そこから再生するすべも知らなかった。

母方の方の祖父が亡くなり、父方の家系と暮らしていたが、祖父母は認知症だった。家にいても地獄、仕事の面接を受けても落とされる毎日。もう死んでしまおうとも思って駅のホームから飛び降りようともした。でも車掌さんに止められ、人目はばからず号泣した、十九歳の時だ。

二十歳になる前の夏、母からの勧めで父の仕事をすることにした。もう何でもいいと思っていたけど認知症の祖父母にいじめられていた母は一杯いっぱいだったのだろう。僕を突き放すような言い方もしてきたし、それに対して反発するように黙って建設業界に足を踏み入れた。


ここからだ。地獄が始まった。空白の5年間が始まった。


必死に東京都内の現場を回り、時には千葉や神奈川、朝は早いし満員電車に飲まれながらもなんとか食らいついてお金を稼いでいた。初めて父親とも会話らしい会話をするようになったし職人さんにも可愛がってもらっていたと思う、怒られながらも仕事は必死にこなした、時には寝ないで仕事もしたし現場で寝泊まりもした。ご飯も食べれない日もあったけど微かにながら生きることを実感し始めた。


父方の祖父が脳梗塞で入院した。大きい病院に入院することで祖母の奇行も大きくなり続くように転んだことが原因で骨折の流れから祖母は入院から介護施設に入所した。そして2011年3月11日震災を迎える。当時の状況は書かなくてもわかるだろう。携帯もつながらない。交通も混乱。6時間かけて帰った家のテレビには津波の映像に目を奪われる。その三日後だ。祖父が三回目の脳梗塞で亡くなった。その3日くらいか葬儀やら世間の震災の影響やらでもう忙しい。

母は特に祖父母のいじめから自律神経をおかしくしていて目まいが常に出ている状態だ。そんな状況で葬儀のやり取りをしたり遺品整理をしたりしていたが、ほどなくして母方の方の祖母の姉が腰の痛みで入院した。母は幼少の頃から親しくしてもらっていた人だったので自分の体調なんてお構いなしにすぐ病院へ向かった。

お見舞いから帰ってきた母はわかっていたのだろう。もう長くはないのかもと言ったのを覚えている。そしてその一か月後、他界したのだ。葬儀等は母のいとこが手伝ってくれて、茨城で行われた。


その時僕と父親は中野の大きな現場で休めない日々が続いていて、帰るのは21時朝は8時朝礼、これが6か月続く、その間寝ないで仕事したり別の現場行って中野にもどる。これが毎日だ。終わりなんてない。理不尽に怒られることも毎日のようで、頑固な性格が災いし親父とも何度もぶつかった。その度友達との約束も断ったし、遊びに行くこともなかった。

ようやく終わりが見えてきて竣工して次の柏の現場ではまた3か月休むことができない日が続く。この一年は家に帰った記憶があまりない。21、22の時か、本当に辛かったが、家ではまた一つ問題が起きた。


当時は曽祖母がいた。父方のほうの曽祖母だ。

寿命が近づいていて遺産相続が始まった。


曽祖母の娘である祖母は養子で血統ではない。戦争当時の人だからそういうのが当たり前だそうだ。しかし祖母は認知症で相続ができないので家系の父と妹さんが相続するのだが突然、茨城の親戚が曽祖母の養子になっていたのだ。それまでは純血の父と妹さんに受け継がれる流れになるはずなのに、相続の話をわざわざ家に来てもう一人の相続者になったことを資料ともども見せられて告げられた。


唖然とした。思い返せば、祖母は曽祖母の面倒を毎日のように見ていたし、常々お金を持ってかれないようにしなきゃと言っていたのを母と思い出した。

それまで親戚は親切にしてくれる人と思っていたのだが、完全に騙された。

仮面を被っていたんだ。絶望した。

ドラマのようなことが起こるなんて思ってなかったし、完全に騙されたことに遺憾を覚えた。文字通り完敗だ、僕らは負けた。きちんと情報を把握してなかったこと家族を守れなかったこと、この日から僕は大きな後悔を背負うことになった。思えば自分は何もしていなかったんだ。母をサポートくらいはしていたけど葬儀も祖父母のことも遺産相続の事もなにもかも、何一つ自分の手で解決してない。現場で怒られたり、父と衝突したことも、ニートになったのも、自分にも一因がある。


僕は弱かった。小学校時代から何も変わってない、弱いままだった。

忙しい体調悪い中でも必死に動き続け助てくれたりした母を守れなかった


いつの日か悔しくて泣いた。自分の愚かさ、弱さを散々攻めた。

何時間泣いたのかわからない。それくらい泣いた。

そして程なくして幼馴染の親父さんがバイク事故で亡くなり、母方の方の祖母もがんで亡くなった。職人としても父から自立し、責任者として指揮したり安定してきていた。

やっと終わった。全てが終わったんだ。

そう思った時だ。

25歳、寒くなってきた10月。

僕の体と精神は溜まっていたものが一気に爆発したかのように

自律神経失調症を患い意識を朦朧としながら倒れた。



自分の行いが全部跳ね返ってきた19から20代前半、何も知らなかったので完全に負のパラレルワールドに悪循環に入っていってしまった空白の5年間はトラウマだ。しかしトラウマというのは存在しないらしい、いわゆる気のせいだ。気持ちや行動次第では打ち消すことができると友人から教わったので現在試している最中だ。方法は過去に戻って当時の自分に言い聞かせる、大丈夫だ、今は辛いがいずれ気にしなくなるさ、と。そして今を見つめて良い習慣を身に着ける、楽しいを観測できる場所で毎日を送るんだ。もちろん楽しいことばかりではない、その時にどう対処するか知識と経験値、体力、健康面を駆使していく最高の状態で迎えて打開すれば自信になる。その自信と良い環境での生活成功体験の積み重ねを経験していけば、自然と心が軽くなってくる。出会いも増えてくる。誰かの為にと思うようになれば、それはもう最高の状態だ。その環境の周波数が合えば「引き寄せの法則」の一つができると思う。


誰にでも過去は辛いものあると思う。いまだ過去から抜け出せない人がいたらまずは生活習慣と環境を変えることをお薦めする。



5.存在意義


存在意義について考えた事あるだろうか?

自分とは何なのか、使命とはなんだろうか?生きる意味、今の現状、自分を客観的に考える事。

僕は小学生の時から疑問だった。自分って何なんだろと、学校の校庭のジャングルジムの上で1人で考えていたくらいだ。

それが今でも続く。

考えた所で仕方ないと言い切る人はいるが、僕はこの答えを出してみたい。純粋な疑問だからだ

僕には根性論が根付いている、耐えればなんとかなる、やり切って仕舞えばなんとかなる、自分がやらなきゃ、やるんだ!と古臭い考えが未だに枯れない。幼少期の頃から親に理不尽に怒られたり、職人時代の名残もあるからだろう、元々アスリートに憧れていたから耐えるが美学が発達?したのだと思う。

しかし限界が来て、考え方が一方通行になり人の話に耳を傾けられなくなり、仕事仕事仕事と寝ないで働きまくっていたら、等々僕の身体と精神に限界が来て、3回の点滴に一か月自宅療養、自律神経にダメージを負い、鬱病を発症した。

25歳の時だ、ストレスと疲労の蓄積で限界を超えてしまったんだ。

当時を思い返すと、遺産相続や昼夜と寝ないで仕事、孤立、圧力、家も職場も逃げ場が無い状態で良くもまぁ耐えようとしたもんだ。それも当然だ。相談出来る人がいなかったからだ。

いや相談しなかったが正しいのかもしれない。何にせよ耐える事が美学と思っていたから。

心身共に回復して、落ち着き出した26歳くらいの時から出会いもあり趣味仲間の友人も出来てディズニーシーなんて20代後半でデビューした(笑)また彼女も出来たし、何よりも輪が広がり、社会人になってから初めて楽しいと感じられるようになった。ここで僕はようやく存在意義を見つけた、と、思い込んでいた。

だが付き合った人とは結婚まで行かず、友人達と遊んでいても、急に怖くなったり、本当にこのままで良いのかと疑問が出てきた。

職人を辞めて他の世界で膨大なお金を稼ぎたいと思ったし、そんな裕福な家庭では無かったのと遺産相続の復讐も兼ねて金持ちになりたいと思う様になった。

職人を辞め、ゲーム制作会社、物流、水道屋、引越しや、運送業をやりつつもっとも稼げるだろうと副業でプログラマー、ウェブライター、音楽を独自で学んでいたが、なか

なか仕事に就けず、転々とする日々が続き、今の仕事についた。そして休みの日も勤務終わりもずっと勉強と仕事を続けていてハイペースに続けていた事が正義の様な気がして、またこれこそが存在意義だと錯覚した。

ある時、自分自身にお前何してんの?と心の声が聞こえた気がして、糸が切れた。

当然だった、お金を稼ぐ事しか考えて無かったからだ。

その考えは微かながら職場の主婦さんには薄々見抜かれていて、少し怖い様な印象を与えてたかもしれない。

改めて考えた。存在意義を。

一旦副業を、辞めた。

いまの仕事と真剣に向き合ってみようと考えた。丁度、責任者の枠が空いてたのでとりあえずやってみようと、まぁ職人時代の経験もあるし大雑把な考えで始めてみた。

ところがとんでもない。本当に忙しい。

労働時間は確かに短くなって必ず家に帰れるけどその労働している時間が凄く濃い。


いまの職場は立ち上がってから3年くらい。

メンバーの入れ替わりが激しく、軸が定まらないのでマニュアルを作ったり人に教えながら荷受け、配達、集荷、指導、指示出し、お客様対応、電話対応しながら運送会社様とやりとりもする。

正直頭の中はパニックになる。

一度や二度じゃない。どうにかして安定させたいと日々試行錯誤である。

けど一つ一つを整えていったらまとめる事が出来た。ある程度は皆んな方向性を示して行けてると思えるくらい見えてきた。

現場も変わってきた。


そして現場のほつれが大分見えるようになってきた時、気づいたことがある。

簡単な事だった、原因は自分にあった

【自分】が【自分】を認めてなかった

【他人】を【他人】と思っていたからだとわかった。

完全に自分を見失っていたのを気づかせてくれたのは、一緒に仕事をする仲間達と間接的ではあるが情報をくれた友人だった。

職場はほぼ女性の方が多い。子育て中の人、高校生のお子さんを持つ人の主婦さんが多い中、自分と責任者の二人が男性だ。女性に囲まれて仕事するなんて職人時代、男性社会で生きてきた自分にとっては考えられない事だった。けどそれでよかったと思ってる。

皆んな優しくて頼れる人達ばかりで経験も豊富でいつも助けられているばかりだ。

だからこそやらなくてはならないと覚悟を決めて責任者になったのも、みんなを楽に仕事をして欲しいから。いつまでも明るく元気に、楽しいこの環境こそが僕が求めていた場所なのかもしれないから、だから人の上に立つ事を選んだ。

職人時代とは違う責任感、やらされている感は全くない。

勿論楽しい日ばかりではなく人数少なく追い込まれる日もあるが、それでも目の前の事に必死に食らいついて、メンバーと対話を重ねて、組み立ていった四年目には会社の係長さんには信頼を頂き、表彰も頂いて評価してもらった。

今の職場は僕を必要としてくれている事が明確になった事で自分を認めてあげられたのが大きかったのかもしれない。

【人】を理解して【自分】も理解する

そして足りないピースを加えて、チームがやっと出来た。係長さんに理想の現場と言われた時はやってきた事が報われた気がして、少し泣きそうだったのは内緒(笑)










6、人生が変わる出会い 


人生の転機が訪れた。

つい1年前に入社した女性と出会う。その方とは不思議な縁を感じた。

話していくうちに次第と仲良くなりお互いが量子力学に魅了された人間だった。

彼女のエネルギーはとても生命力に溢れていて、びっくりするくらいパワフルだ。

基本的にやりたい事をやってきた人でその行動と心は真っ直ぐ、本当に全てが綺麗な人、、、ではあるがやはり人間なので少々、自由過ぎるところもある。

そんな方と一緒にスピリチュアルな話の流れでよく一緒に出かけるようになったり、YouTuberさんの話で盛り上がったりと毎日が楽しい。

シンクロニシティ、ツインレイ、ソウルメイト、会話を交わさなくてもわかるものも出てきたのはきっとお互いの次元の周波数が同じなのだろう。

そんな生涯を共に出来そうな友人と出会えたのは、間違いなく量子力学を学んできたからだ。そのタイミングが絶妙で何をどうしたらそうなるのかなんて、引き寄せたからとしか言いようがない。マッチングアプリを使ったわけではない。ただ想うようになったからだ。

その方法は【今】に目を向ける事、【人】に目を向ける事だと思う。

僕は彼女の意見と情報には必ずアンテナを張る。知っている情報量が多く、純粋にやってみようと思ったからだ。


真っ直ぐで、純粋で、パワフルで、そんな彼女が大好きだ。

出会った場所の住所は1の1の11、初めて遊びに行った日は11月11日、良く通る県道は111番、現場でよく見る数字は11時11分。

なにかと1から始まるのは偶然ではない。彼女と一緒に入ればスピリチュアルな情報が多く入ってくる、ペンキ画家ショーゲンさん、TOLANDvlogさん、さとうみつろうさん、藤井風さん、はせくらみゆきさん、ひすいこたろうさん、バシャールなど縄文の時代、宇宙、人間心理を解く活動家、宇宙人と呼ばれる方を紹介してくれた。

今でも覚えてる11月11日の電車内でショーゲンさんを皮切りに一気に情報が入ってくるようになり、一つ一つを追っていった結果、自分のルーツが分かり、やりたいことが明確になった。


数字にはエンジェルナンバーという縁起を意味することもある。

1は始まりを意味し、前向きな行動が願望を達成する繋がるという言い伝えで、数がぞろ目なほどその効力は大きくなる。

この数字を目にする意味はよくわかる。彼女と一緒にいるときは何か始まることが多い。

止まっていた事が動き出す事もあったし、考えや行動が更に前向きになる、恋だと皆んなは言うけどそれとはまた違う感情、大好きで、ずっと一緒に居たいのは確かなのだが胸が張り裂けるようなそう言った苦しみみたいのは無い。彼女と一緒にいると落ち着く、安心するのはそう言う意味なのかも知れない。

まぁ、、、付き合ってないんだけどね。


環境を変え、人との出会いで僕は完全に変わった。人に支えられて変われたんだ。


僕は現在、考古学を独自で学びながら整体の様々な免許の取得に励んでいる。その軸が定まったら村づくりを行う事を計画中だ。

元々高校時代の友人と地域で繋がるプロジェクトを行なっていて村づくりをしようと思っていた。ちょいと事情があり今は疎遠になっているがまた再び始まると思ってる。

始まるキッカケは山納銀之助さんと言うエコビレッジビルダーの方を知ったからだ。建築と農業の技術を世界に広めている最強の人。エコビレッジビルダーは建築の技術と思想が僕にとってピタリと感覚がハマったんだ。これだっ!と声を上げたいくらい運命を感じた。なので、エコビレッジビルダーを目指している。一気に加速できる日が必ずくるその日まで技術、知識をつけて、今やるべき整体の資格取得を優先しながらやって行こうと思っている。



僕の中で軸が完成しつつある。

これも友人のお陰だ。彼女には本当に頭が上がらない。この先何があろうとも何かあれば絶対に力になるし、守ると本人にも言った。そのくらい大切な人なんだ。

いつも言ってるがここでも言わせてほしい。


本当にありがとう。大好きだ。

これからもよろしくね。









終わりに


本とは言い難い短編集の様な短さの本を読んで頂きありがとうございます。

最後は自身が完全に良いパラレルワールドに移行している話になっている。感情や感覚、思考が良い方向に向いたから現在に至る様にやる事の軸が定まった。

出会いがあったのは環境を変え、適正な仕事に出会い、素敵な仲間に出会い、成長出来る環境と自分に合った場所に辿り着いたからだと思っている。風邪をひいても1.2日で治るし、悩んでも相談できる人もいる、もちろん楽しいだけじゃないが乗り越えた先にあるものが良い事と知ったから、苦痛でもない。

けど、この場所から巣立つ時が近づいている。やるべき事はやった。完全に気持ちが次に向いてる事もあるので、いよいよ決断が迫ってる、かなり遠回りをしたが今からでも遅くは無い筈だ。何度か死んだ人生がここまで復活するとも思わなかったけど、僕にとっては社会人としても人しても今からが自立だと思ってる。



いま、悩んでる方へ

急がなくて良い。

無理にダラダラしている自分を責めたりしなくてもいい。苦しい環境にずっと居なくていい。命の危険を感じたら家だろうが逃げていい。仕事をやめても良い。学校も無理に行かなくていい。

君達が求めてる場所はその場所では無い可能性は高い。その時は自分に問いてみてほしい。


『情熱はあるのか』


学校、部活、職場、家庭、彼氏、彼女様々だがその場所、人に対して情熱はあるのか問いてみてくれ。それが本物なら大丈夫だ。違うと思うなら考え方や環境を変えよう。情熱が無いなら留まる意味はない。今すぐにでも行動しよう。

何かに努力を重ねるより、夢中になれるものを見つけよう。努力は夢中には勝てないから。

夢中になって、適正の場所で、適正な行動で充分な量が満たされたら報われる。

そして新たな目標も出てくる。

だからその場所をまずは見つけよう。

大丈夫。僕も逃げながら環境を変えてきた。その度怖かったし、死ぬ思いもした、血反吐吐く事も人前で泣いたり、殴られたり、罵声浴びたり、様々な事を経験してきた。


でも僕は死んでいない。

しかも今絶好調だ。

君達も変われる。

だから行動しよう。今からでも遅く無い。

繋がりは人を成長させる

これを読んでくれた君は僕と繋がった。

じゃあ成長したんだ。


一緒に人生を楽しもう。

一緒にだ。1人じゃない。


君も僕も生きている。

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