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留学先にて病に臥す

愕然、ものも言われぬ。常軌を逸した暑さに、全身の皮膚が嫌ったらしく身体に纏わりつく。手持ち無沙汰な左手で後頭部をむしむしと掻きむしる。 

金曜日の夕方、授業を終えた私は極めて静謐な週末を迎えようとしていた。椅子に深く腰掛け、喧騒の平日からの解放に静かに歓喜する。特にすることもないので机の上に置かれた菌類のシャーレをぼんやり眺めてみたり眺めてみなかったりしてみる。来週の植物学の授業のために育てている愛くるしい菌達だ。

陽は既に傾き、秋色の空が窓から覗く。冷ややかな空気と銘々に色づいた木々が一層秋を感じさせる。しかし、もう霜月も半ばというのに私の住む部屋は酷熱に晒されている。

私は口をあんぐりと開けながら暑さに喘ぐ。私が気代の阿呆面を見せつけていると一方私のルームメイトはどこ吹く風である。南国出身の彼は暑さにはめっぽう強いらしい。細い身体をゆったりと背もたれに任せ、パソコンを見ながらニヤニヤ笑っている。今にも暑さでふっくら茹で上がりそうな私を一瞥して、嘲笑うかのように微笑んだ。

地獄行き

それにしても暑い。こうも暑くてはせっかくの金曜日が台無しである。度を越した暑さは生き生きとした純粋無垢な私の心にすら影を落とす。もう何だか全てがどうでもいい。一体この寮の空調はどうなっているんだ。苛々してきた。頭も痛い。そういえば、先ほどからずっと頭が痛い。気のせいだろうと思っていたが、妙に痛い。体調も悪い気がする。

夕食がてら外の空気を吸ってこよう。そう思い、部屋の外に出る。さっきまでの暑さが嘘のようである。何故私の部屋だけあんなにも暑いのか。

ダンテの『神曲』によると、権謀術数を働き、他人を欺いた者は業火に包まれて焼かれるとされている。しかし私は清廉潔白そのもの。権謀術数など働いたことはないし、そもそも社会的地位の向上にはあまり興味がない。出世欲とは無縁の人間である。ただ、私は他人を欺くことを常としている。真実を語ることなどほとんどない。むしろ逆、自分の内面をひた隠しに隠してきた人生である。そのツケを払っているのかもしれない。だとすると、なるほど、我ながら合点がいく。

なんとも物悲しい内省を行いつつ、キャンパス内の食堂に向かう。しかし、体調はますます悪くなる一方である。歩みを進めるごとに倦怠感、頭痛が増していく。食堂に着く頃には視界はぼやけ、卒倒寸前の状態であった。息も絶え絶えに辛うじて食事にありついた。

どうやら事態は想定以上に深刻のようだ。一向に改善の見込みが見られないため、さっさと寝ることにした。

搬送

真夜中にあまりの暑さによって起きる、しばらく涼む、寝る。土日はこれの繰り返しだった。一向に改善の余地が見られないため、月曜日に大学内の診療室を訪れることにした。週末、寝たきりでほぼ何も口にしなかった私は牛歩の如く一歩一歩、震える足を進めた。

大学の診療室によると溶連菌感染による扁桃腺炎というものだった。
しかし、念の為、病院に行って診てもらったほうがいい。そう言って私を救急車に投げ入れた。

お薬

病院に着きベッドに横たわる。点滴を打った。初めての経験だったが、あまり心地のいいものではなかった。冷たい液体が管を通って血管に入り込む。その透明な液体が全身を駆け巡る。体の隅々まで侵入し、それは口の中まで広がる。鉄の味がした。
おぞましい名前の注射を何本も打った。ステロイド注射やら、訳のわからんものまで、たくさんの化学物質を体内に取り込んだ。

ここで一つ皆様に注意しておきたいことがある。異国の地で薬を摂取する際はその薬がどんなものかよく確認することだ。私のいるアメリカでは、日本で違法とされてる薬物が広く処方されている。以前、頭痛を訴えて友人に頭痛薬をもらい摂取したところ、ちょっぴりラリった経験がある。多幸感に身を包まれたことを覚えている。しかし中には、一回の接種で依存症になる恐れのある強烈なものもある。くれぐれも留意されたい。

薬物を投与されてからというもの、みるみるうちに元気になった。一週間も経たないうちに体は軽やかに、そしてアメリカのジャンクフードもたらふく放り込めるようになった。

またもや

時は過ぎ、師走ももう終わり。聖者の降誕を祝う祭典に世界中が独特の雰囲気に包まれる。私は病床に横たわっていた。世界中の子供が歓喜に沸くそんな日に、私は耐え難い痛みに喘いでいた。なぜ一ヶ月と経たないうちに、また屎忌々しい病院に来なければいけなかったのか。それは次の記事で書くとする。


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