「光る君へ」メモ 第31回「月の下で」鮮やかな反転に一本とられた
ついに源氏物語が誕生‥‥!
ここまでこのドラマを見ながら、詮子のモデルは弘徽殿女御、明子は六条御息所、父・為時の「高倉の女」は夕顔で、その遺児さわは玉鬘、桐壺院は宣孝かな‥‥などなど
「源氏物語」の登場人物へのオマージュを感じてきたけど、逆だったんだね、という。
当時の後宮や貴族たちの恋模様、人間模様から着想して書かれたのが「源氏物語」なのだという作劇。鮮やかな反転に一本とられた。
いや、考えてみたらそうなんだよね。
昔から「光源氏のモデルは誰なのか?」論争があるが、光源氏にモデルがいるならその他の人々やエピソードにモデルがあってもおかしくない。
一条天皇と定子の悲恋を大河の主演女優クラスである高畑充希を起用してまで延々と描き続けたのも、そういうことだったんだ。
「いずれの御時にか‥‥」で始まる、源氏物語冒頭を飾る一大ロマンス。
その「帝」を一条天皇に、帝に愛され幼い光源氏を遺して早逝する「桐壺更衣」を定子に、それぞれなぞらえるためだったんだ。
それこそ「枕草子」のプロパガンダが効いてて、定子といえば「後宮に君臨する光り輝く女主人」みたいなイメージをもっていたけど、確かに「枕草子」で描かれた以外の部分‥‥実家の後ろ盾をなくしてからは、寄る辺ない身の上だった。
周囲に白眼視されながら後宮の隅っこの建物(≒桐壺)で細々と暮らした定子、しかしそんな彼女を熱烈に愛し、その死後はひたすら落ち込む帝‥‥
源氏物語の一巻、「桐壺の巻」そのままやん!!!
こりゃ道長も「いや~、これはかえって帝のご機嫌を損ねるのでは‥‥」と怯えるわw
でも、まひろは動じない。物語の力を信じているからだ。
「枕草子」は一条天皇と定子の光り輝いた時期を閉じ込めた作品。
けれど、ふたりが過ごした日々はそれだけじゃなかった。
心とは裏腹の言動、周囲との軋轢、何より早すぎる別れ。
激しく、悲しく、儚かった恋と命。
人は、つらかったことをただ消し去りたいとだけ願う生き物ではない。
なんとかして受容し、意味づけ、昇華したいと願うから、悲しみも憎しみも、愚かさや未熟さも、はるか昔から物語に描かれ、読まれてきたのだ。
・一条天皇と定子を中心に「枕草子」と「源氏物語」を対(つい)になる作品として位置づけ
・心と言動が相反する人の難しさを「それは人だからじゃ」と宣孝の言葉を引き
・「暗くて、鬱陶しくてじめじめしてる」と弟・惟規による評価も借りて
・あかね(和泉式部)によって「艶めかしさ」への欲求も踏まえ
いや~、よくできてる。
そしてもちろん、高級和紙を山ほど与え、帝(先の帝も含むだろう)と自分たちの家にまつわる長年のストーリーを語り、共に月を見た道長ね!
道長とまひろについては次の記事で。
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