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遠い1キロを手繰り寄せる

十歳の息子が通う小学校は、我が家から1キロほどのところにある。校区のやや端に位置しているが、学校行事のほかPTAの係や読み聞かせボランティア等のため、親の私も月に二度、三度と元気に歩いて登校するなじみ深い場所だった。所用の傍ら、五分休みや掃除、給食などの様子を垣間見るのは小さな楽しみだったし、そのような「ちょっとした接触」の積み重なりが学校の情報収集になっていたと思う。

しかし、その習慣も、昨年二月末に始まった一斉休校からすっかり途絶えてしまった。

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学校は6月に再開。休校期間のリカバリのため授業のコマ数が増え、運動場の遊具は使用禁止、孤食・黙食が大人よりも徹底される、ニューノーマルな学校生活である。子どもたちの様子をうかがいたいが、保護者の入構は基本的に禁止され続けている。

三学期を迎えたある日、息子がふいに「二分の一成人式って何?」と聞いてきた。次週の時間割を見て疑問に思ったらしい。私は嫌な予感を覚えながら、「十年間を振り返ったり、将来の夢を発表したりするのではなかろうか」と答えた。「思った以上にめんどくさいな」と顔をしかめる息子にどんな想像をしていたのかとたずねると、「賞状とかもらえるかと思った」と言う。十年間がんばったね、と労われるイメージだったらしい。

果たして、翌週、息子の口から聞いた二分の一成人式の内容は、「自分の十年間の年表を作る」「親にインタビューもする」というものだった。しかも19コマもの課程が組まれているらしい。うーむ、やっぱりその路線かと私は暗然とした。

十歳の節目に自分自身と向き合うこと自体は悪くないと思う。心配なのは、なぜか紋切り型の「親への感謝」の乱発になりそうなことだった。

2年生のころ「こんなに大きくなったよ発表会」という授業を参観したが、短いスピーチの中でゆうに半数以上の子が「これまで育ててくれてありがとう」「いつもわがまま言ってごめんなさい」などと述べていたのを私は忘れていない。「思ってたんと違う」を超えて、モヤモヤとして帰途についたものだった。

8歳の発表会でああだったのだ。儀式然とした「二分の一成人式」ともなればいかばかりか、推して知るべしである。

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私はひとまず、二分の一成人式に関する新聞記事や文献を探して読み、次に本校で我が子の二分の一成人式を参観した経験のあるママ友5人から先行事例を集めた。

年度やクラスによって内容や雰囲気にだいぶ幅があるようだ。将来の夢を発表していた例もあれば、各自が親の目の前に立って感謝を述べていたという怖気をふるう話もあった。「子どもへの配慮がなされていた」、「形骸化されていると感じた」など感想もいろいろだった。

それらを踏まえて数日考えたのち、以下のような主旨で校長宛てに手紙をしたためた。

・自分と向き合い、調べたことや考えたことをまとめて発表し合うのは、「総合的な学習」の目的に沿っていると思う

・しかし、教室でライフヒストリーや家族構成などのプライベートな情報を開示したうえ、家族への感謝を自明のものとするような空気が醸成されるのを懸念している。家庭環境のような、自身のがんばりではどうしようもないことについて、授業中にことさら引け目を感じる子がないように配慮をしてほしい


ものの数日後、校長から電話がかかってきた。

「二分の一成人式は、文科省が推進する「キャリア・パスポート」というキャリア教育に基づいて行う。自らの学習状況を振り返りキャリア形成を考えながら、主体的に学ぶ力を育むもの」

「家族や家庭については慎重に取り扱うので安心してほしい。子どもたちを取り巻く環境がますます多様化する時代だ。いろいろな配慮が必要だと承知している」

「手紙は4年生の担任全員で共有した。今年はコロナで参観もほとんど実施できなかったが、保護者の方が学習内容に関心をもち、また心配してもらっていると知ることができてうれしく思う。今後も気になることは何でもご相談ください」

私は緊張しながら応答していたが、校長の話しぶりは明瞭かつ親密で、電話を切ったあとはじんわりとあたたかな気持ちになった。

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我が子は特に複雑な家庭環境にあるわけではなく、私が二分の一成人式に感じるモヤモヤは、自分の子ども時代の記憶の影響が大きいと自覚している。手紙を書く前には、その程度の動機でわざわざ声を上げるのは筋違いではないかとも自問した。

そもそも、すでに始まっている課程に意見してどうなるだろう。表面的な拝聴のあと、職員室でモンスターペアレント認定されて終わるのがオチではないか。コロナ禍で通常以上に業務煩瑣な教員の負担を増やすのも忍びない。

まして、今年は授業参観も一度しか行われていなければ、PTAや読み聞かせなど学校に行く用事もすべて休止状態だ。担任やクラスの様子もほとんど見えない状態でナイーブな話を切り出すのは相当億劫だった。

それでも、と思えたのは、かつて友だちから聞いた話のおかげだ。あるとき彼女がSNSで近所のスーパーのカートの使い勝手の悪さについて愚痴った。すると、海外生活が長い友人から「日本では、学校やお店に意見するのをクレームだととらえるよね。こちらでは、気づいたことを伝えるコミュニケーションのひとつとして気軽にやってるよ」とコメントがついたという。

以来、折に触れて「クレームではなくコミュニケーション」という言葉を思い出し、背中を押してもらっている。今回もそれを念頭に私は手紙を書き、校長もまたクレーム対応ではなくコミュニケーションとして応じてくれたと感じた。

月に二度、三度と通っていた、徒歩15分で着く小学校がすっかり遠い。そのことへのもどかしさも、時が経つにつれて薄れがちだった。コロナ禍でのディスタンスを所与のものとしてしまっていたのだ。

しかし、コロナ禍だろうと教員と保護者の関係性に変化は要らない。子どもが毎日通う場所で何を学びどう過ごしているのか、私たちは情報共有し協働できる距離にあることが望ましいはずで、遠く離れてしまいそうなら何かしらのアクションで埋めていくべきだ。今回は校長とのコミュニケーションを通じて、手ごたえを感じることができた。

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その後、息子が持ち帰ってきた二分の一成人式のワークシートを見て驚いた。一枚目は「十年間を振り返る【感しゃ年表】」というシート。こちらは二、三行の書き込みがされたあと放置され、似たフォーマットの二枚目「十年間を振り返る【できたよ年表】」のほうにびっしり書き込みがある。こちらが実際の発表の素材になったらしい。

息子に聞くと、「一枚目は、なんか急に「これは使うのやめます」となって、二枚目が配られた」とのこと。なんだ、やはり当初は【感謝】を前面に押し出していたんじゃないか、と唖然としてしまったが、二枚目のシート、【できたよ】の欄への息子の記入を見て和んだ。「四歳:ギョウザを包めるようになった」「六歳:三つあみをあめるようになった」など、こまごまとした事柄が書いてある。

何にしても、大切なのは距離に対する感度を失わないことだ。踏み込むにしても離れるにしても、適切な距離を測り、ハンドリングする意思を持つこと。

新年度も当分、保護者の登校は簡単にかないそうにない。この距離をどう埋めるか、遠い1キロ先に思いを馳せ、試行錯誤する日々は続く。

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