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インタビュー: 夢をもち、夢をかなえる ~ OTOHAさん

夢をもち、なりたい姿をめざしてチャレンジする。誰もがもつ権利ですよね。
OTOHAさんが「子どものお世話をする仕事をしたい」という思いを言葉にしたのは特別支援学校の高等部2年生の頃でした。
21歳になった今、週に一度3時間、保育園で働いています。
夢がかなうまでの、そしてこれからも続くお話です。

聞き手: イノウエ エミ(2024年3月末取材)


◆ 毎週水曜日は西鉄バスで出勤

――今、保育園ではいつ働いていますか?

毎週水曜日です。

――宗像市のおうちから福岡市中央区のあゆみ保育園まで、どうやって?

8時58分のバスに乗って、天神の終点まで行きます。

――わあ、なかなか遠いですよね。

そんなに遠くないよ。

――そっか、慣れてるんだね。そこから保育園までは?

そのあとは送迎してもらいます。

――お迎えの車に乗っていくんですね。保育園に着いたらどんなことをしますか?

積み木やブロックを拭いたりとか。
それから、子どもたちが給食を食べたあと、落ちたものをとったり‥‥おそうじみたいなことですね。
最初に未満児さん(0-2歳)の子たちが食べて、そのあと年少さんが食べるんです。
お昼寝のおふとんも敷きます。背中をトントンして寝かしつけたこともある。最近はしてないけど‥‥。


◆ 子どもが好きだから、保育のお仕事がしたい

OTOHAさん 保育の仕事への道

――保育園の仕事をしたいと思うようになったのは、いつごろからですか?

いつからだっけ? 高校生だったと思う。

――そのお仕事をしたいのはなぜでしょう?

子どもが好きだから。

――その気持ちは、最初、誰に言いましたか?

ママだったよね?(と、ママの洋子さんを見て)

―(洋子さん)
そうだと思う。「子どものお世話をする仕事がしたい」とはっきり言ったよね。でも、なりたいものが変わることもあるし、保育の仕事は資格が必要で難しいから、ママはそのときはまだしっかり考えてなかったの。

最初は別のところに行ったやん?

―(洋子さん)
そう。特別支援学校の高等部を卒業したあと進路をどうするか考えなきゃいけなくて、OTOHAは「さつき学院」に行きました。みなさんが専門学校や大学に行くように、社会に出る前の助走みたいなことができるところなんです。

そこから「るーつ」に行った。

―(洋子さん)
さつき学院と同じ社会福祉法人が運営している、3歳~5歳の子どもの発達支援事業所です。学院からそちらに一週間ぐらい実習に行くことができました。そうしたら、「子どもと一緒だと、疲れるけどやっぱり楽しい」って。

ほかの園にも行ったよね。

―(洋子さん)
OTOHA担当の相談支援専門員さんが保育の仕事ができそうなB型の就労継続支援事業所を探してくれたので、さつき学院を離れました。
B型事業所と同法人の幼稚園に仕事に行くことはできたのですが、思っていた保育の仕事とはちょっと違っていて‥‥。

お掃除とかするんだけど、子どもたちが帰ったあとだから。
お掃除がイヤってわけじゃないけど、お掃除だけっていうのは何かイヤだった。

―(洋子さん)
単に「園でできる仕事」じゃなくて、子どもとかかわわる仕事がしたいんだよね。
OTOHAの話を聞いて、「もう一度保育の仕事を探そう」と思いました。でも簡単には見つからなかった。「良いこととは思うけれど、前例がないので‥‥」としり込みされてしまうんですね。


◆ ちょっとずつお仕事を広げよう

そこから権藤さんに会ったよね。権藤さん知ってます?

――直接お話したことはないけど、存じ上げています。

―(洋子さん)
権藤さんは、もともと保育や看護から事業を始めて、今は早良区でB型の就労継続支援もされている方なんですよ。そちらの事業所で、施設外就労として保育園の仕事を創ってくださいました。

――よかった! それが、今OTOHAさんが働いている保育園なんですね、福岡市中央区の。

―(洋子さん)
はい、実はこの保育園にたどりつくまでにはまだ紆余曲折あったのですがここでは割愛して‥‥。
今回、バス通勤が出来たきっかけは、特別支援学校高等部2年生の頃に「自主通学」にトライしたからでした。それまでは家の近くに来る通学バスで通っていたのですが、電車通学を始めたのです。
公共交通機関やICカードを使えるようになっていたから、「天神まではひとりで行ける!」となりました。あの時の挑戦が可能性を広げたんだなあ、成長の上限なんて周りが決めることじゃないよなと思います。
もちろん、保育園までは高校時代よりかなりの長距離移動だし、天神のど真ん中を待ち合わせ場所まで歩いて移動しなければならないので、「絶対できる」と自信がつくまで何度も練習しました。
そのほかにも、園の見学やzoom会議、持っていくものの準備など、「保育園で働けるかも」となってから、OTOHAはすごくがんばりました!

――OTOHAさんの意気込みが伝わりますね。今の保育園にはいつから行っているんですか?

1月の途中ぐらいから。最初の日、雪でバスが遅れたんだよね。

――わあ、それは大変だったね。今、お仕事で大変なことはありますか?

大変なことはあんまりないです。

――楽しいことは?

子どもがいるから楽しい。でも、一緒に何かすることはまだないんだよね。

――そうなんですね。この先、お仕事でやってみたいことはありますか?

子どもとかかわる仕事がしたいです。

――たとえばどんなことでしょう?

ほかの先生がやっているようなことかな。ごはんを食べさせたり。子どもが遊んでいたら、危なくないように見守りをしたり。本の読み聞かせとかもやりたい。

―(洋子さん)
うん、ちょっとずつだね。
なにしろ初めてのことだから、今はパイロットプログラム的にやっていただいているんですね。今は週に一度だけの勤務で、OTOHAの体力やスケジュールの都合もありますし、園のほうも春はあわただしい。まずはみんなが無理のないようにつとめて、困ったことがあれば共有して一緒に考えましょう、という進め方です。私がたまたまこういう仕事をしていることもありますし。
(※洋子さんは短大の保育学科の准教授)

◆ 「マイボールデビュー」しました!

――お仕事以外で、今がんばっていることはありますか?

ボウリング。自分のボールもあります。8ポンド。

――マイボールもってるんだ! 

ー(洋子さん)
毎月の工賃から少しずつためていったお金で買ったよね。グローブや手首サポーターも。

6月に大会に出るんですよ。

ー(洋子さん)
スペシャルオリンピックスといって、知的障害のある方たちの競技会です。

―おお~! 本格的に練習してるんですね。

ー(洋子さん)
毎月2回、土曜日の練習日に移動支援(地域生活支援事業)の制度を使って練習に行っています。

あと、料理。月曜日は夜ごはんを作ります。

―(洋子さん)
去年の秋ごろからかな? 在宅支援の制度を使用して、ヘルパーさんと一緒に作っています。月曜日、仕事から帰ったらおいしい夜ごはんができてるんです! 毎週とっても楽しみで。

――作ってもらえるとうれしいですよね! OTOHAさん、レシピは何を見て作るんですか?

「きょうの料理ビギナーズ」の本。

――NHKから出てる本ね。私も何冊かもってます。テレビもやってるよね。

―(洋子さん)
クックパッドのレシピを見て作るときもあるよね。

最近、ビーフストロガノフとかカオマンガイも作りました。明日は肉巻き。

――おいしそう~!


◆ 今、夢かなったよね

――インタビューでいろんな人にたずねていることです。OTOHAさんは、自分のいいところはどんなところだと思いますか?

えっ? ないない。わかんない。

――そう答える人、多いです(笑)。短所ならけっこうすぐ出てくるんだけどね。自分のいいところを考える機会ってあんまりないよね。ちょっと今、考えてみてくれますか?

うーん‥‥。

――洋子さんはどうですか?自分のいいところ。

ー(洋子さん)
ポジティブなところ? 失敗しても「なんとかなるかな」と思ったり。

――なるほど。じゃ、洋子さんから見て、OTOHAさんのいいところは?

ー(洋子さん)
いっぱいあります! ひとつ挙げるなら、OTOHAは自分の機嫌を良くするのがとっても上手。外でちょっと嫌なことがあっても、家に帰ったら基本的に「おうちはおうち」と切り替えられる。病院での検査や手術も、誰だって痛いのは嫌だし怖いけど、先生とお話してなぜやらなきゃいけないかわかったら、「じゃあ、やる」と決めてパッと自分から診察台に行ったりね。

それは、頭の中が原宿でいっぱいだったからじゃない?(笑)

ー(洋子さん)
それもあったね(笑)。でも「原宿のためにがんばろう!」と気持ちを整えるのは簡単なことじゃないよ。OTOHAのいいところだと思う。

この検査と手術のあと、OTOHAさんは東京旅行を控えていて、
原宿で遊ぶのを楽しみにしていました。
東京では、ダウン症でありながら、
アルバイト契約で保育の仕事をなさっておられる方と会うこともできました。

――私が今日OTOHAさんの話を聞いていてすごいなぁと思ったのは、自分がやりたいことを自分でわかっていること、それを言葉にして伝えられること、そしてそのために努力できることです。私は今やりたい仕事をしていますが、そのために動き出したのは35歳ぐらいのとき。それまでは、本当にやりたいことにチャレンジする勇気がなかったのかもしれない。

私は保育園のころは歌手になりたかった。高校生からはずっと保育園の先生。だから、今、夢かなったよね。

――そう! 夢をかなえてる。OTOHAさんが引き寄せてかなえた夢ですね。

あ、いいところ思いついた。負けず嫌いなところ。

――わぁ、すごくいいですね。どんなふうに負けず嫌いなの?

いろいろある。めんどくさいこともがんばるし。東京の保育園で先輩の先生を見たとき、すごいなと思ったけど、私も負けたくないと思った。

―(洋子さん)
「こうなりたい」と思う姿になるためにがんばれるってことじゃないかな。すごくいいところだよ! さあ、そろそろみんなでパフェ食べに行かない?

――いいですね!

行く行く!

(おわり)

◆ 編集後記

OTOHAさんとご家族のチャレンジのお話。なんだか自分にも力が湧いてきますね! でも、そのような感想だけでいいのかな?とも思います。

“パパもママも好きなことを仕事にしているのに、自分は「将来、何になりたい?」「何がしたい?」と聞かれない。”
OTOHAさんは以前からそんな疑問をもっていたそうです。

障害者といわれる人に「やりたい仕事をする」という選択肢がどれだけあるでしょうか。障害のある人と一緒に働いたことがある人がどれだけいるでしょうか(私にもありません)。
OTOHAさんの保育のお仕事は、お住まいの宗像市から福岡市中央区まで範囲を広げなければ見つかりませんでした。通勤時間は往復4時間近く‥‥。
これは社会の課題であり、社会の課題とは私たちひとりひとりの課題でもあるのだと思います。

お母さんの洋子さんからのご依頼でスタートした今回のインタビュー。
いちごパフェを食べて別れたあと、OTOHAさんは「楽しかった」と言ってくれたそうです。自分の気持ちや経験を振り返って話す機会、味わってもらえたかな。OTOHAさん、ありがとう!

(イノウエ エミ)


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