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「虎に翼」メモ 第20週「稼ぎ男に繰り女?」人々の心に残る傷あと、結婚と国家と戦争

最近、寅子が「ごめんなさい」とやたら謝るのを見せられるのがいろんな意味でけっこう苦痛だったので、東京に戻って家族や桂場が言いたいことポンポン言う雰囲気にホッとする。

(※謝らせる意図はわかるよ。経済力や社会的地位をもった寅子が、権力勾配でいうと下にいる子どもや部下、主婦である花江に謝ることに意味があるんだってことよね)

だから家族裁判もおもしろかったんだけど、中途半端かつ複数の問題含みで終わった感。
中途半端、というのは批判じゃなく「今後に禍根を残した作劇なんだろう」という推測ね。わざと中途半端に終わらせたんだろう、という‥‥。

直明が同居を絶対条件にしているのは、花江のためではなく、彼自身が「家族と離れたくない」からではなかったか?
「理屈じゃないんだ」みたいなことを言ってた。
戦時中に家族と離れていたトラウマが残っている感じよね?

航一の家族が不穏なのは、特に子どもたちが小さい頃、総力戦研究所のこともあって隠し事が多かったり苦悩したりと、家族を顧みず打ち解け合わないままきたからかなと思っていたが、猪爪家の面々に聞こえるほどの声で、唐突に直球すぎるプロポーズをする航一を見て、何やら新たな違和感が‥‥

星家では長年、仮面をかぶったようによそよそしく過ごしてきたようなのに、初めて訪れた猪爪家では、他の家族や寅子の気持ちを慮りもせず、滔々と思いを述べ求婚。あまりにバランスが悪くて。

「家族と離れたくない」不安を抱えた直明。
道男の呼び捨て程度で苛ついて「ずっと一緒にいたい」と唐突に求婚する航一。
そういえば、航一は、「寅子さんに少しでも早く会いたくて」と予定より早く竹本に駆けつけるシーンもあったな。

ふたりの心理には似たところがあるのかな。
不安感、不安定、独占欲、アンバランス。
その根っこには、戦時中の傷があるのかなと思う。
それが結婚(再婚)に際して噴き出てきてる。

彼らは、その不安や独占欲と正面から向き合うことなく‥‥
というか、それに気づかないまま、「結婚」や「同居」という社会制度を用いることで精神の安定を保とうとしてる。

結婚すれば「法的・社会的に正当な関係」と認められ、誰の目を憚ることなく堂々と一緒にいられる。
航一が願うように、毎朝一緒に目覚めることができるし、桂場に「世間の目を考えろ」的に怒られることもない。

けれど同時に、
結婚というシステムは「夫の実家で同居」とか「家事育児など家族のケア」、「親の老後を養う」のように、固定的な役割に人を囲い込む面もある。
寅子が求婚に戸惑っているのも、あの日確かめ合った「永遠を誓わない愛」を結婚という「システム」に収めることへの違和感からじゃないかな。

そしてこのタイミングで、轟の恋人が登場。
思い合っていても結婚という制度を用いることができない二人だ。

『虎に翼』では戦争が残した傷やトラウマをいろんな形で描いていて
直明、航一、そして轟の「恋愛と結婚」エピソードも戦争の傷とのかかわりから見てしまう。それを念頭においた作劇じゃないかと思うのよね。

なぜかというと、戦争を遂行した「国家」とは家父長制を拡大したものだから。

新しい憲法になったこともあり、直明も航一も、愛情と合意をもとに結婚しようとしている。
それでも結婚には「扶養」や「世間の目」のような家父長制を軸にした固定観念がつきまとう。

(直人たちが「花江は老後を支えるべき女性だが、寅子は違う」とハッキリ線を引いて区別するのも、寅子がそれにある意味納得するのも、花江が自分を養おうとしてくれる家族の優しさを有難がり、寅子が「それは花江が家事育児を頑張ってきたからよ」と褒めるのも、全部どこか気持ち悪い脚本だったけど、意図的な脚本なんだと思う)

結婚と家父長制、
家父長制と国家、
国家が起こした戦争、
その行きついた先としての原爆投下。
結婚と原爆裁判とが同時並行して描かれるのはそういうことかなと。

いろいろな戦争の傷を描いてきているから、終盤にかけては、加害国としての日本、加害のトラウマも描くんじゃないかな。
そうあってほしいし、そうあるべきだと思う。
そういえば作中、メインの登場人物で、従軍して復員してきたのは轟だけだ。
彼の戦争経験がどのように語られるのか注目。


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