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「鎌倉殿の13人」最終回 and…

”裏13人”! 気持ちよく「一本」とられた。さすが、三谷さんは最後まで工夫を見せてくれるなあ。

頼朝亡き後も、一人またひとりと消えてゆく中、最後まで残って「尼将軍」となる政子が小四郎にとってのラスボスになるんじゃないか、そうだったらいいなと予想/期待してたので、半分あたって半分外れたといったところかな。愛憎入り混じるラストでよかった。

「待って。なぜ頼家が入ってるの?」という流れにもゾクリ。
政子が薬をお釈迦にしたのも、あの告白が効いたんだろうと思わせる。

こぼしただけじゃないから。小四郎が床にこぼれた液体を舐めてでも命を延ばそうとするのを袖でふき取るという、念の入った二段階だったから。

どんなときでも誰のことも「命だけは助けてあげて」と言ってきた政子。
後鳥羽院に我が首を差し出そうとする小四郎を止めたのも政子だ。

最終回でも、実衣に「過去は過去よ」と水に流すよう諭し、小四郎にも「後世の人に何と思われようとかまわない」と話していたのだ。

平六に何もかなわないくらい地味だった次男坊が、頼朝の死後、”裏13人”を葬るほど苛烈な生き方をし、今、遠からぬ死を前に苦しんでいる。

もう楽にしてやろうと思っただけではなく、憎しみか、憾みか、畏れか、、、、何かしらの激情に突き動かされたからこそ、その場で引導を渡してしまったのだろう。それはやっぱり、小四郎の口から頼家の名が出たことが大きかったんだろう。

もちろん、小四郎を哀れに思うのも本当だし、「後世から見たら稀代の悪女」「すぐに私も行く」と言っていたように、小四郎が重ねた罪に連座する思いもある。

もともと、小四郎が次々に手を汚したのは鎌倉あってのことで、鎌倉を作ったのは頼朝であり、頼朝を見込んで決起させたのはそもそも政子でもあるから。

頼朝の妻として、政子は小四郎を葬ることで血生臭い時代に終止符をうち、鎌倉の創始者のひとりとして責任をとったといえるのかもしれない。

なんだか、小四郎と政子の精神的心中のようにも見えたもんね。

そういう意味では、のえの捨て台詞が「大好きなお姉さまに看取ってもらいなさい」だったのもわかる。

老いて弱っても、我が子 太郎が鎌倉の頂点に立つ輝かしい未来の夢を見られる小四郎の姿は、政子にとっては残酷でもある。彼女はすべての子に先立たれているわけだからね。しかも頼家を手にかけたのも、実朝をないがしろにし続けたのも小四郎だった。

終盤の劇中、太郎が八重の、次郎がひなの子だと何度か言及されたのは、伊東や比企など滅びた者たちの遺伝子も「善なるもの」として未来で開花していく示唆だろう。賢い八重の子だから、太郎も賢いのだと。

「もっと似ている人がいます。あなたよ」と政子が言ったのは、伊東や比企たちと同じく、小四郎の善性もまた、彼の命運が尽きたあとも未来に引き継がれていくということなんだろう。
もしかしたら、呪いも引き継がれていくのかもしれないけれど。
(でも、太郎泰時は北条13代最強の執権だからね!!!)

*

ここから批判なので、読みたくない人はスルーしてくださいね。

一年間ほんとうに楽しんだけど、三谷さんの女の描き方にはなかなか辟易とした。最初はがんばってたけど、終盤になるにしたがってきつくなった印象。朝ドラや大河の脚本は、後半余力がなくなるからね‥‥。

「賢い女」「優しい女」「怖い女」「けなげな女」「愚かな女」
なんか、類型的なんだよね。

愚かな男たちが、一様に「愚かだけど愛すべき人物」としてチャーミングに描かれているのに対して、女の愚かさや怖さに関する筆致の冷たいこと。一方で、八重や政子の立派さ。役者がみんなすばらしかったからいいものの、「人間に思えないな~」と思うことがたびたび。特に終盤、実衣の扱い方も都合よすぎやしないか?

ほかの作品を見ていても、単純に、三谷さんって女がこわいのかなと思うとこはある。自分と違う生き物だと感じてるんだろうな。女と対等に心が通じ合ったことないのかな、だから、内なるミソジニーを卑屈と聖母信仰で覆ってるみたいな描き方になるのかな、って。

ま、年代的にもそういう男の人って多いししょうがないんだろうけど、歴史の解釈や脚本の構成、ディテールの工夫がすばらしいだけに、そこの歪つさがほんともったいなと思います。今や、ドラマや映画の世界もボーダレスになっているのでね。時代劇だから、男しかいきいきと描けませんっていうのは通じないんで。

はっきり言って女に関しては頼朝より小四郎のほうが全然ダメだったと思うし、のえが小四郎を仕留めるエンドでも私は歓迎でしたw 

夫を理解できない、浅はかで愚かな女。妻を一度もちゃんと見ようとしない、老いゆく愚かな男。ステレオタイプだよね~。シェイクスピアの時代の古典から一歩も出てないやん。きのこのくだりのしつこさとか、ほんと寒い。

三谷さんよりひと回り上の池端俊策が『麒麟がくる』で描いた女たちのほうが、よっぽど人間だったな~と思う。

ちなみに、のえこと伊賀の方は出ていきましたが、息子の政村くんは立派に育って連署・執権を歴任します。大河「北条時宗」では伊東四朗が演じてました。


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