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星のすすめ、夜のすすめ

私は星というものに、少年であった頃から魅力を感じていた。
それは大学生となった今の私にとっても同じことである。

このnoteでは読んで頂いている方に星見をすすめるべく、私が星に、夜に惹かれたという話を掘り下げたい。最終的にはかなりイタい文章になってしまったのだが、お付き合い頂ければ幸いである。

とは言えど、どこの誰かもわからない人の習慣に需要などないだろうから、簡単な自己紹介をしても良いだろうか。


私は大阪の、都会とも田舎とも言えないようなところで育った。

私が星に興味を持ち始めたのは確か小学校3年生くらいだったと記憶している。
きっかけは何かがきっかけで手に入れた玩具の望遠鏡で、それで月やら他の星やらを見てからというもの、私はとにかく天文というものに嵌った。そこからの私の夢といえば、天文学者やら宇宙工学の開発者といった宇宙に関することばかりである。

小学校6年生のときに私は宇宙工学に携わるためにとりあえず京大に入ろうと思い立って、それなりの勉強時間を代償に、地方の公立高校を経て京大に入った。
(実際に宇宙工学が強いのは東大や名大と言われているのだが、小学生の自分はそんなことを知らなかったわけである。そこで築き上げた京大への憧れを引っ張り続けて私は半ば呪いのように京大を受験した。)


そんなこんなで無事(もしくは大事)京大に入ったわけで、私は単身京都へと上ってきた。

今は情勢によって結局買い出し以外の行動をほとんど自粛している私であるが、その例外としてここ最近習慣になりつつあることがある。

それは近所の神社に夜な夜な出かけることである。

夜な夜な神社に出かける私を見る者がいれば、それを気がおかしい者か、大した悩み事のある者の行為と捉えるかもしれない。(もっとも、京大生などは変人が多いからこんなことは気にしなくてよいだろうが...)

実際のところ私は特に神道に嵌っているというわけではなく、単に夜だから人がいないというのと、最近使っていない私の脚の筋肉への弁明が理由である。

※この記事を見てもしかすると夜の神社へ赴く方が出てきてくれるかもしれないが、神社は一方では人の住む場所であったりもするわけだから、誰かの迷惑にならないよう、また自らの身にも十分に注意する必要はあるだろう。


特にこれといった信仰心のない、日本人の特徴を見事に受け継いだ私は、神社に入っても別に神様のことを考えているわけではない。


しかし夜風で揺れる紙垂の下をくぐるとやはり私は神聖味を感じざるを得ない。
歩いていると次第に灯篭の光も消えて視界が暗くなる。足元もうまく見えない道でも、踏みしめる小石の音で確かに歩いていることを知る。
満天とは言えないものの都会よりは綺麗に見える星々を背景に、木々やら鳥居やらがシルエットとして浮かび上がる。京都市内なのにフクロウの声やら、何かが山の中で木を踏みしめる音が聞こえる。

どうも私はそういう体験に嵌ってしまったようなのである。


夜に浸かると、目に入る情報量が減る。これは目に入る光の絶対量が減るから当然のことである。
人の機構として、情報量が減ると処理する情報量に余裕ができるから、他の情報を処理し始める。例えば考え事をするときに天井を向く人が多いのは、情報量の少ない天井を向くことで他の情報に処理を割くためである。
情報量の余裕ができると、所謂「感覚が研ぎ澄まされる」という現象が起きる。

夜の自然に入ると動物の鳴き声や足音、風の音が聴こえるのは、或いは神秘的なものを感じるのは、言ってしまえばそういう現象の結果である。

ここで私が言及したいのはこの"情報の補完"というべき現象において、補完として使われる情報の出どころである。

巷で噂される霊やら他の神秘的なものが現れるのは多くが夜である。


これは今言った情報の補完の結果であるだろうが、実際にいないものがどこから出てくるかというとそれは自分の内面からではないだろうか。(全否定するのは良くないだろうが、結局霊などの報告例のほとんどは実際にいないものだろう)

そういうことを考えると結局、夜というものは自分の内面を写し出す鏡であると言えるのではないだろうか。



私は過去にこういう経験がある。

大学受験期、私は駅から家までの徒歩12分の距離を歩いていたところ、その無機質な帰り道の空に星と満月とを見つけた。

それは客観的に言って美しい星空ではなかっただろうが、私にとっては過分に美しい星空で、結局私はその空を眺めながら涙を堪える羽目になってしまった。

ここで私は受験勉強によってそんなにも感傷的になっている自らの心に初めて気づたわけである。あの星空は私の感情を写す鏡であった。



確かに私はかなりの量の宇宙の本を読んだし天文物理学に手を出してみたりもした(天文物理にはこてんぱんにされた)。

しかし私が星を見るときに星の知識を思い浮かべることはほとんどない。
(夜の神社で独り「あれはHD124897で37光年離れていて...」みたいなことを呟いていたらそれは流石に近所の噂になるかもしれない。)

考えると結局私は自分自身を知るために夜に浸り星を見ていたのかもしれない。


私はこの記事で、こういう星と夜の楽しみ方を、読んでいる方に勧めたい。

自分が何か、何を思っているかを知るために星を見つめてみるのはいかがだろうか。

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