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航空法75条についての話。

先日、久々に同期とランチしながら、色々話していました。

僕の同期で1番優秀な木村くん(仮)が
「そろそろ機長昇格も見えてくるねー。」
と言いはじめました。

おいおい僕らはまだ3000時間ちょっとのペーペーなので、まだ数年あるのになー、と僕が呑気な事を考えていたら木村くんは

「や、もうフライトタイムの法的要件は揃ってるから、いつ昇格訓練に入れって言われても文句は言えないでしょ。」

と言うのです。

意識の高さは訓練生時代から変わらないなと感心するばかりです。

そんな彼が最近気になっているのは、航空法と憲法の関係だそう。

日本国憲法 第18条
第十八条
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

身体的自由権である奴隷的拘束・苦役からの自由について規定しているのですが、木村くんに言わせれば、航空法と矛盾しているのでは無いか、と懸念しているそうです。

その航空法が何かというと
航空法第七十五条
機長は、航空機の航行中、その航空機に急迫した危難が生じた場合には、旅客の救助及び地上又は水上の人又は物件に対する危難の防止に必要な手段を尽くさなければならない。

75条はパイロットなら丸暗記の文書のひとつです。
必要な手段を尽くすとは、操縦不能になっても地上の物件や人のいる所ではなくだだっ広い原っぱや海に着水させたり、その後も救助の為に尽くすことだと読み取れるのですが、
「お前は機長として最後に機体を離れる?言い換えると、運び出せない要救助者が残っていたら、最後まで残って機体と一緒に沈む?サレンバーガーさんは最後まで見回って、残ってる人が居ないか確認して、最後に降りてるけど、死の覚悟はあったのかな。」

という中々ヘビーなお題を突きつけてくる木村くん。

「『最後に離艦』というのが暗黙の了解だったのは、第一次世界大戦〜第二次世界大戦とか、生き方より死に方に美徳を求めた時代の話だと思う。
タイタニックで機長が最後まで残ってて漢気みたいに描かれてるけど、あれも全然1900年代前半の話。
今の憲法のもと、それは苦役であり、自由権と矛盾するのか、しないのか。そもそも殉職すれば氷山回避ミスの責任取ってるという考え方があっていいものか。まあ前世紀の話だけど。
組織的にも、整備不良での事故でも、ヒューマンエラーでの事故でも、生きて責任を取る方法を組織的に模索出来なければ、背負いきれない責任を機長に背負わせてる事になるのではないか。」

そこが気になっているそうです。
一応、彼は航空宇宙工学の専攻で法律に関しては門外漢です。

まだまだヒヨッコの自分はそんな事考えたことはありませんでした。流石木村くん。と思うと同時に、難しい話をこねくり回して考えるの、大変じゃないかな?とも思ってしまう自分は、まだまだ本当に駆け出しだなと思います。

もちろん緊急脱出の手順やcabinへの報告事項、職務はすぐ言えるくらい訓練で鍛えられてるので暗唱できますが、生存本能に打ち勝って、要救助者を助けるため沈みゆく、あるいは燃え朽ちる機体の中に入って行けるかと言うと、たとえ今「行けます」と言ったって信憑性が無いと思います。
口ではどうにでも言えますから。

そういった点を木村くんに指摘したら
それが現実的な所だよねー。俺も分かんない。多分無謀や無茶はしないと思う。とのこと。

一生に一回にあるかないかの緊急脱出となれば、自分が機長だとしたらどういう決断をするのか、ちょっと逡巡しただけではとても想像に及びませんでした。

ただ、昔JALの植木社長が仰っていた、
その命を一緒に乗っけて飛んでいるからこそ、上空での機長の判断は尊重される。
というお話には共感しますし権限と責任が3本線と4本線じゃ格段に違います。

翻って、憲法と航空法75条が矛盾しないのかという話ですが、結論なんて無いと思います。
弁護士の友人と今度ランチに行くのでまた聞いてきます。その時は追記します。

が、正直法律家の解釈とかは置いといて、

手段を尽くしたかどうかは司法と世論が決める事だと思います。
そして、自分の矜持として手段を尽くせたかどうかは自分が決める事だと思います。
サレンバーガーさんは結果、全員無事なので、手段を尽くせたと言えますが1人でも生存出来なければ、どうなっていたか。

そこも含めて機を預かるキャプテンというのはやはり凄いという話でした。

ちなみにランチ場所は
五反田のSetouchi Kitchen
という所でした。
レモンクリームパスタが最高に美味しいので是非行かれてみて下さい。
以前TwitterのBig-Dさんとゆーじさんと行った場所でもあり、お気に入りの場所です。

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