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「変化を肯定すること」

2020/8/8 芸能記録no.1「ミュージシャン米津玄師が今、思うこと」
※2020/08/07放送 日本テレビnewszeroでの特集について

圧倒的な存在感。

今日、newszeroを見ていたら、たまたま米津さんと有働さんの対談特集が
放送されていました。もともと米津さんの曲は好きで普段からよく聞いていたのですが、今放送中の大好きな金曜ドラマ「MIU404」の主題歌を歌っているし、さらに米津さんのファンである友人が近くにいる、ということで、最近は前よりもっと気になっている存在でもありました。(なんか、恋してる女の子みたいな言い方になってしまった。笑)

インタビュー開始からの圧倒的な存在感と、
ゆっくりと何か考えながら、また言葉を選んでいるように見える姿、
そして、そこから生み出されるずっしりと重みのある発言。

たった10分ほどしかなかったのに、
心に刺さる言葉が多く、また改めてちゃんと考えないといけない、
そう強く思ったので、
私自身が忘れないようにちゃんとここに記録しておきます。
あわよくば、この放送を見ていない方にも届いて、
その方の、何かのきっかけになればいいな、と密かに思うことにします。


刺さった言葉。

ページの一番下に、インタビューの全文は書きまとめていますが、
そこから抜粋して、私の中で心に刺さったものをいくつか紹介します。

❶「不要不急」

ここ数ヶ月、この言葉は耳に胼胝ができるほと聞いていますね。
世の中がこのような状況になって、自分の生活も変わってしまいました。
でもそんな中で、だんだんと「要るもの」と「要らないもの」がはっきりしてきた気がします。
自分にとって必要だと思っていたものが本当は要らないものだったり、
これまであまり必要ないと思っていたものが実はとても大切なものだったり、ある意味”新型コロナウイルス”というものは自然と
”取捨選択すること”を教えてくれたのかな、とも思ったりします。

❷はぐれ者

私は自分のことを”はぐれ者”だと考えてきた事はありませんでしたが、
インタビューの中で米津さんは1つの例として「左利き」をあげています。
私は、左利きです。
書くのは「左」、お箸を使う時やスポーツをする時は「右」
純粋な左利きではないけど、私は多分その”はぐれ者”にならないように、
小さい頃、無意識に「右」も使えるようになったんだと思います。
そうはいうものの、
でも、どこまでいってもやっぱり「左利き」は「左利き」なんです。
最近では「左利き」というと、天才肌とか、羨ましいとか、
憧れの目で見られることも増えましたが、
未だに、世の中は右利きが生きやすいモノで溢れています。

❸変化を肯定すること

「有為転変は世の習い」という諺があるように、
この世で起きる全てのものは、絶えず変化し続けています。
時間が経つと同時に、何かが変わっていくのは当たり前です。
私だって一年前考えていたことと、今考えていることは全く違います。
たった数ヶ月前でも、思考は変わっています。
その変化に狼狽えず、否定ではなく肯定して、柔軟に物事を考えていく、
難しいことではありますが、私はこの力を鍛えて生きたいと思います。


放送を見て。

改めて、「ミュージシャン米津玄師」という人間に興味が湧きました。
あそこまで世の中のことを考えて、楽曲にのせて世の中に届けている人っていないんじゃないかな、そう思ってしまうくらい。

今回のアルバムに収録されている楽曲も、
きっとたくさんたくさん考えて、ひとつの形になって世に出されます。
曲順や歌詞を含め、全部、ちゃんと、よく聴きたいと思いました。

米津玄師の1ファンとして、
これからの活躍も楽しみにしながら応援し続けたいと思います。


インタビュー全文

全文、文字起こししています。深い言葉、だらけです。

有働:コロナの自粛とか今までに経験したことがない状況になって
新しく感じたこととか何かありますか。
米津:あーーー、お酒を飲まなくなりましたね。すごくお酒大好き
なんですけど、本当飲みに行くことが全く無くなっちゃったので
自分のこう、生活のルーティンワークの中からお酒が全く無くなって
しまって、自分にとってお酒って不要不急だったんだなって。
有働:アー…。確かに飲んでいるときは何か知らないけど
毎晩飲まなきゃみたいな感じになりますよね。
米津:そうそうそう。だから、それが恐ろしくもありましたね。
なんか自分にとって必要であると思っていたはずなのに、
全然必要じゃなくなってしまうっていうのは。

2月末からの国内ツアー、海外公演が全て中止
そんな中、自粛期間中の気づきがあったという。

米津:パソコンの前で1人で3ヶ月間誰にも会わずに、
本当にアルバムの曲ばかり作っていたんですけれど、
こういう状態の時に悲観的になるのってものすごく簡単だなっていうか、
やっぱりみんな混乱しているし、誰も何が正しいのか、
何が間違いなのかというのが分からない中で、
生活していかなければならないわけで、何も考えずに音楽を作ると、
すごくどんどん暗く暗く暗くなっていったりするんですけど、
これはやはり世に出せないなというか、
最低限自分に出来ることって、むやみやたらに、
その混乱だとか悲しみだとか怒りだとかを助長しないような形を
とるべきであるっていう。もっというと、
何らかの希望があるような音楽を作るべきなんじゃないかな。

およそ3年ぶりになるアルバムには、
自粛中に制作した7曲を含めた15曲を収録。

有働:あの、そのアルバムなんですけど
『STRAY SHEEP』っていうタイトルにされたのはどうしてですか。
米津:そうですね…。このアルバム(の制作)は、『Lemon』っていう
曲から始まっていて、あの曲はものすごく自分の中で、自分の手のひらから
離れて、大きなものになってしまったという感覚があって、
だから分かりやすく立場が変わっていくような3年間だったんですよね。
それにまつわる悩みというか、色々な迷いみたいなものはいくつもあって、
そこに新型コロナウイルスの未曾有の混乱がある。
なんか自分の個人的な部分にも合うし、『STRAY SHEEP』っていう
”迷える羊”、これはいいタイトルなのかなと思って。

社会が大きく変化する中、米津さんからどんな曲が生まれたのでしょうか。
アルバムの1曲目は、『カムパネルラ』

有働:この歌詞を読ませていただいているのが、まさにコロナ禍なので、
例えば、あの歌詞の中で「戻らないあの日に思いを巡らす」とか
「時間だけ通り過ぎていく」というのが、まさに今。
すごく、こう、フィットしたんですけれども。あの、その歌詞の中で
「あの人の言う通り わたしの手は汚れてゆくのでしょう」
それは、どういう思いなんですか。手が汚れるって。
米津:別に大それた話ではないと思うんですけれども、あの、
やっぱり生きてるだけで何らかの罪を犯しているような気持ちになる
瞬間っていうのはあって、それはここ最近の新型コロナウイルスの混乱にも同じものを感じるというか。要は、ウイルスを人にうつすことによって
その人が重篤な状態になって、もしかすると死ぬかもしれないっていうのは、ものすごく分かりやすい形で今、目に見えているじゃないですか。
有働:はい、はい。
米津:(人は)ある程度生きているだけで、どっかでこう誰かのことを
邪魔しながら、誰かが生きていくのを阻みながら生きていかなければならない。それは、誰しもそうなんじゃないかなというふうに思ったりするので、
生きていく限りは手が汚れていくのも、
どうしても避けられないっていうのは思うことかもしれないですね。
有働:はあ…。

米津さんの独自の視点は、自身のヒット曲に対しても。

米津:ふらっと入った飲食店でなんか音楽が流れていて、
ずっと『Lemon』が流れていたりするわけじゃないですか。
で、それによってこう、別に好きでも嫌いでもないような人間は、
それをずっと聴かされながら、やっぱり嫌いにもなりますよね。
だから、色んな人に広く届いていくような音楽っていうのは、
その存在だけでやっぱり誰かを傷つけているっていうか。
普遍的になればなるほど、
そこからあぶれる人間も生み出していくわけであって。
有働:えっ、そんなに一人一人に届く曲に責任を持たねばならぬものだろうか。やっぱりそこまで、そこも思いを致してしまわれるんですね。
米津:んーーー、今のこの社会って、
右利きが暮らしやすいようにデザインされているわけじゃないですか。
有働:はい。
米津:ま、俺も右利きなんですけど、
左利きの人の話を聞くとやっぱり些細なね、本当にこう、
ハサミがうまく持てないだとか、
そういうところで、こう、ほんの少しずつ見放されてきたんですよね。
で、やっぱり自分の昔のこととかを思い返してみると、
はぐれ者であるっていうか、
ごく当たり前にやらなければならないことができないだとか、
そういう気分を感じながら、こう生きてきた時間が長かったので、
過去の自分も含めて、そういう人たちに対する眼差しというか、
どんどん強くなっていくような気持ちもたくさんあるんですよね。

そして、アルバムを締めくくる楽曲『カナリア』

米津:この曲は、あの、コロナ禍において、
ミュージシャンとしての回答っていうのを出さなければならないなと
思いながら作った曲ではあるんですけど。
どうあがいても元には戻らないわけで、これから先この状況っていうのは、どれほど続いていくのか分からないですけど、
そうなった時に変化を肯定することってすごく大事なんじゃないかなって
いうのは、あの、思うんですよね。
生きていくに当たって、どれだけその場にとどまっていたいと思いながら
とどまっていようと周りの時代、文化だとかそういうものは徐々に変わっていくわけで、不変不朽のものを追い求めるのではなくって、
その時々に変わっていく対面の人間だとか、そういうもの、
その時々にお互い確認しあって「今、自分たちはここにいるけれども、
じゃあどうしようか」っていうふうに、
問いかけ合うような関係っていうものがすごく大事なんじゃないかなって
いう。今この世の中になって、それがより強く思いますね。

スタジオにて。

有働:あの、米津さんが相手の変化を肯定することでしか気付けないものがあるとおっしゃっていた言葉がすごく心に刺さっていて、
なんかこう、今コロナも含めて、何が確かなのかっていうことに
迷ってしまうニュースも多いんですけど、
やっぱりどんなに自分とかけ離れた意見だとしても一度肯定する、
なんか社会もそこからしか何も気付けないんじゃないかなというのを、
その言葉を聞きながら改めて考えさせられた気がしました。
米津さん、ありがとうございました。


ありがとうございました。

おりょう☺︎




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