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【往復書簡 エッセイNo.8】時には「ことば」を超えてみよう

うららちゃん、こんにちは!

はるばるアメリカからお義父さんが来日されたとのこと、久しぶりに会えてよかったですね。旅行も楽しまれたようで何よりでした。

そして、耳の聞こえのこと。私の父も、お義父さんと同じ状況です。つい「なんで?」「どうして?」と問いただしたくなっちゃうけれど、私自身も変わらなくちゃと思ったエピソードをお届けします。


時には「ことば」を超えてみよう


もうかれこれ10年ほど前になるだろうか。父の聴力が衰えてきて、耳鼻科の医師の診察を受けて補聴器を作った。なのに、街のノイズや、電車内の会話音などが補聴器を通じてけたたましく聞こえてしまい、決して安くはなかったと思うが、ケースに入れられたまま、ものすごく長い時間、補聴器はどこかに置かれていた。

そして今から5年ほど前、父の聴力はいよいよ低下し、母からのSOSがたびたび入るようになった。大声を出して伝えることに疲れ果てた、と白旗を上げたのだ。困ったなあと思いながら実家に帰ってみると、居間にあるテレビの音量がとてつもなく大きいのに、その前で父も母もお茶を飲んでいるではないか!

「こんな大音量で耳がおかしくならないの?どうしちゃったの?」と母に聞くと「これくらいじゃないと聞こえないって言うから。こっちはうるさくて頭痛くなっちゃうけど。」と少し無気力に言う。まずいまずいまずい、この無気力な感じ。何かが急激に変化してる。

すぐさまネットで大きめの耳鼻科の専門病院やら補聴器やらあれこれ調べ、父を説得し、通院を始めた。父の聴力は、知らぬ間に片方の耳のそれがほぼ完全に失われ、残る一方の聴力も補聴器を付けてかろうじて残る程度だということが分かり、なぜここまで放置したのかと途方に暮れた。私自身ももっと早くに手を打つべきだったという後悔の念を含めて。

後生大事にしまっておいた補聴器は結局使いものにならなくなり、真新しい補聴器を作らねばならず、父は聴力と同時に脳の検査も行った。聴力が低下することで、脳がシャットダウンし、場合によっては認知症の発症につながりやすいのだという。

そう、父が聞くことを諦めたらまずいな、と私は焦っていた。片耳の聴力が失われようとしていく過程で、聞こえなくてもいいや、と思ってしまったら、それこそ母が大声を張り上げているのは体力消耗以外の何ものでもなくなってしまう。

母は聞こえない父に対して時折いら立ち、父は自分の話す音量は分かっていないので大声で話し、夫婦のコミュニケーションはやや崩壊していた。私は母に「大声で言っても聞こえないんだから、紙にことばを書いてみるとか、ジェスチャーを使ってみるとかやってみたら?」とアドバイスしたが、話して伝えることに少し意固地になっていた。

やがてコロナ禍が始まり、口元がマスクに覆われる日々が長く続くようになると、診察帰りのある日、父はぽつりと「マスクをしちゃうと、本当に先生の言ってることが分からなくなっちゃうんだよ。」と言った。

父は、衰えた聴力を補うように、話者の口元を見たり、表情を見たりしながら、何とか会話についていこうとしていたのかもしれない。聞くことを完全に諦めたわけではないのかなと思ったら、少しうれしくなったが、本人は不安を抱えていたということも痛感した。

ある日、中学生向けのパントマイムの公演を見学する機会があった。ことばがなくても伝わるパフォーマンスに魅了され、ふと父とのコミュニケーションに使えるかも?と思い、父に会った時に、例えば行きたい方向を指さすとか、目を大きく見開いてオーバー気味に驚くとか、実験をしてみた。すると、なかなかの好反応。私自身も、ことばじゃない手段で伝えようとあれこれ考えるため、少し頭が柔らかくなりそうだ。

「どうしてできないの?やらないの?」と思いがちだけど、目の前の父は父で自分の置かれた環境を受け入れようとしている。ことばが頼りにならなくても、伝わること、理解できることはきっとある。

私だって、この先どうなるかは分からない。
聞こえにくくなることの予行演習、ただいま実践中。

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