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「パチンコ、麻雀、UFOキャッチャー」に有って、「競馬」に無いもの

いつも記事を読んでいただきありがとうございます。

昨日はある経営者と会食。
この経営者、私より10歳くらい年上。
何度か一緒に食事をさせていただいているが本当に多趣味かついろいろな経験をされている方。

パチプロだった時代がある、というのは以前の会食で話を伺ったことがある。
今回もパチンコの話が出た。
私、全くパチンコは分からない。
基本的には運の勝負だと思っている。
しかし、彼からすると全く違う。
台を調べるのは当たり前だし、昔は中国人からデータを数百万で購入し、チームでパチンコを打っていたという時期もあるらしい。(本当によく分からないのでどこまで書いて良いのかもわからない泣)

話が分からなさ過ぎたので話題を変える。
「麻雀は出来るんでしたっけ?」
そう、私が好きな麻雀。
麻雀ならば話が多少は出来る。

「最近やってないけどねー、学生時代はやっていたよ」
よくありがちな回答、この程度ならば会話が成立する…かと思った。

「昔は雀荘に通っていたんだよ、雀荘の主みたいなおじいちゃんがいてそのおじいちゃんに気に入られていろんなことを教えてもらった。手で積む麻雀ならば絶対負けないね。どこに何を積むかを覚えて考えておき、捨てたりツモったりするときにどう音がならないようにすり替えていくのか、を極めようとしていたね

ん?私の領域のはずが違う方向へ行きそうだぞ。
経営者は続ける。
「自分の手配の萬子とか上下が逆だったら直したりするじゃん。その時がチャンス。そんなスキを見せたらすぐに積み込んだ手配と入れ替えていた。音がならないようにすり替える手の形があって、当時はその形に手が固まっていたくらい」

ヤバいぜ、ヤバすぎるぜ。
私が学生のころは友人の家で麻雀をやっていた。
麻雀マンガも流行っており、イカサマの手法は知っていたが皆やっていなかった…と思う。

パチンコにせよ、麻雀にせよ、ちょっとレベルが違い過ぎる。
話の流れでUFOキャッチャーの話になった。
UFOキャッチャーも最近その経営者は好きらしい。
「UFOキャッチャーは確率論だけど長い景品で少しずつ動かしてバーに掛ける、そしててこを使って落とす、そうするとアームの確率論ではなく落とすことが出来る」

この話はやっと理解できた。でもパチンコ、麻雀と本質は変わっていないような気がした。

「競馬はやります?」
話を持っていこうとした私。
「競馬はやらないなあ、競馬って自分が介在して結果が変わる要素あるの?
「いや、今までのデータや予想屋のことをどれだけ信じるか、といった感じで遊んでいるだけですね」
「俺は結果に対して自分が介在できる要素がないことはやらないんだよ。どうやったら勝てるのかをトコトンまで突き詰める。合法か違法かはさておき、自分が何をすれば勝てるのか、そのことを突き詰めた結果、パチンコで言うとデータ買ったり、麻雀で言うとイカサマしたりしていたな、さすがに今はもうやっていないけど。俺、ギャンブルは嫌なんだ自分の手で何とかできることしかやらない

なるほど、強引にキレイにまとめると、結果を出すために自分が出来ることは何でもやるという事か。
しかも運が良かった悪かったという他責はしない

経営者たるもの、何をやれば成果になるのか、トコトンまで考えて行動を起こしていく拘りは改めて勉強になりました。

違法なことをしなければ!

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