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比較対象がないと価値が判断できないよ~前編~

いつも記事を読んでくださりありがとうございます。
最近、よく記事にさせていただくMリーグ(麻雀)ですが、本当にハマってしまっており、月火木金の19時ころからスマホでABEMAをとりあえず流しておく、という習慣になってしまっています。
完全に夜は野球中継を見るものだ、という昭和のお父さんの状態に近づきつつあります。

私はこのnoteを本格的に始めて約1年半、延べ400本ほどの記事になりました。
1記事はだいたい1200~1500文字で平均すると1300文字くらいですかね。400記事×1300文字=520,000文字になります。

この520,000文字、凄いと思った人、ありがとうございます。

でも、敢えてお聞きしますが凄いと思った根拠はあるの?
ということです。

先日、支援させていただいているフィットネスジムでオンラインカウンセリングサービスを新たに導入しようと現在モニター実施。
そのモニターの方にアンケートで
「いくらぐらいか適当か、金額を選んでください」
という項目があった。
30000円、35000円、40000円、45000円、50000円の選択肢。
モニター実施3名とも30000円を選択。
そのモニターの方がこのサービスに満足をしなかったのかというとそうでもない。
また、受けてみたいという声がほとんど。
しかしなぜ30000円なのだろう。
想像してみる。
そもそも皆、普通はいくらなのかということが分かっていない。

少し前、政治家がカップラーメンの値段を答えられずにそんなことで一般市民の声が届くのか!的なことが話題になりましたが、だいたいいくらくらいかということを確かに知っていないとアクションがぶれる。
カップラーメン1つ200円とみるのか300円とみるのかはそんなに大きな差ではないが、1000円だと思っていると大きな違いを生む。

先ほどのアンケートも40000円、45000円、50000円、55000円、60000円と記載を変えると40000円になっていただろう。
いくらが妥当かではなく、相場が分からない、でも自分が利用するとしたら安い方がいい、という心理が働くだろう。
では、ここに比較対象を加える。
例えばライザップ、一般的なイメージでは結果は出るのだろう、でもお高いんでしょ?というイメージ。
その価格を記載しておくだけでアンケートの回答が変わるだろう。

そもそも人は皆、大人になっていくにつれて、今までの自身の経験、知識、生き方、周囲の人などの影響により、沁みついた数字によって支配されているんだと最近考えている私です。
このことはまた詳しく書いていきたいと思います。

冒頭の文字数に戻ります。520,000文字、なんの根拠もなく凄い、と思った方は単なる反射です。
考えているわけではないと思います。
文庫本の小説1冊100,000文字らしいです。
この情報があったとき、
「小説5冊分しみずは書いているんだ、それはなかなか凄い」、
はたまた
「1年半で5冊程度なんだね、思ったよりも少ない」、
といった感想を抱くのが正しい思考法ですかね。

比較対象がないと価値が判断できないよ、ということです。
近々、続編かきますね。

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