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【コンサル物語】19世紀Big4の仕事は、破産処理、帳簿管理、監査、少しの経営コンサル

 19世紀半ばに設立された会計事務所には21世紀にBig4として存続しているところもあります。1880年代に840ヶ所も存在していたロンドンの会計事務所の中からBig4として生き残った会計事務所にはどのような特徴があったのでしょう。1849年に事務所を設立したプライス・ウォーターハウスの仕事内容に迫っていきたいと思います。

 1850年代~60年代に一気に増えた会計士ですが、彼らの仕事の多くは会計知識を活かした破産処理と帳簿管理でした。時代は株式会社ブームだったので、イギリス国内では沢山の株式会社が設立されましたが、それは破産する会社の激増も伴い、1860年代には1万社を超える会社の倒産が背景にありました。また、会計の知識や技能が急速に拡大するビジネスにまだ浸透していなかった時代でもあったため、経営者に対して帳簿のつけ方を指導することを求められてもいました。そのため、今日のBig4が担っているような会計監査の仕事はまだ少なく、多くの会計事務所でも監査から得る収入というのは数パーセントに過ぎなかったようです。

 プライス・ウォーターハウスでも、早くから会計士として活動していたベテラン会計士のプライスは自然と倒産処理業務からかなりの割合の手数料収入を得ていました。一方、若手のウォーターハウスの方はプライスよりも後の時代になって会計士の世界に入ったため、破産業務にはあまり関わっておらず報酬の大半は会計業務・帳簿管理から得ていました。こうしてプライス・ウォーターハウス会計事務所ではベテランと若手がうまく仕事を分担し事務所の運営を行っていました。

 二人の仕事の分担が良く分かる例があります。ウォーターハウスが担当した、とある製氷会社の仕事です。その会社は苦境に陥っていたため貸借対照表と損益計算書を作成し事業の評価をしようとしていました。そして財務諸表の作成をプライス・ウォーターハウスに依頼してきました。担当したウォーターハウスは財務諸表の作成と事業評価を取締役と総会向けに報告しました。もちろん事業はうまくいく、という評価をです。ところが結局この会社の事業はうまくいきませんでした。するとウォーターハウスはこの会社に手紙を書き、プライス・ウォーターハウスを破産処理のため清算人として雇うよう要請しました。事務所には破産処理業務に精通したプライスという会計士がいることもしっかり伝えたという、当時の会計士の生々しい様子が分かります。

 破産処理や帳簿管理に加え、19世紀後半になると法律の後押しもあり、経営者は財務記録の保持について専門家の助力を徐々に求めるようになりました。やがてプライス・ウォーターハウスも会計監査人に選ばれるようになり報酬の中心となっていきました。19世紀末から20世紀の始めにかけて企業の倒産件数が減り始めたことから、新たな収入源として監査の仕事を得ることは事務所の拡大にとって大変重要なことでした。

 また、法律が整備されていたといっても会計上の規制がほとんどない状態であったため、投資家も専門家の助言を求めるようになりました。投資家たちは会計士を雇って投資先の調査を行わせたりしたため、これらも会計事務所にとっては新たな収入源となりました。

 プライス・ウォーターハウスはこの時代の主要産業である鉄道と金融の顧客を多く持っていました。鉄道に関しては、鉄道監査といえばプライス・ウォーターハウス、という地位を確立していました。事務所にとって大きかったのは当時の最大の鉄道会社であるロンドン&ノースウェスタン鉄道の監査人にプライス・ウォーターハウスが指名されたことでした。当時のイギリスの鉄道網は何百もの会社が互いに連結して路線を敷設していたため、路線を拡大するために鉄道会社は他社を買収することを繰り返していました。実際、ロンドン・ノースウェスタン鉄道も複数の会社が合併してできた会社であり、その後も周辺にある小さな会社を買収して大きくなっていきました。それはプライス・ウォーターハウスにとって、ロンドン・ノースウェスタン鉄道を顧客にもつことで新しい仕事が舞い込んでくる、という良い循環が生まれることに繋がりました。

 鉄道ほどではないにしても、プライス・ウォーターハウスは銀行業界についても相当な顧客リストを持っていました。当時の銀行業界の会計方式は他の産業に比べて相当遅れていたことを調査によって知り、プライス・ウォーターハウスが貸借対照表を作成することになったという経緯がありました。

 更に興味深いことは、プライス・ウォーターハウスが会計や監査で名声を得ていくことで、様々な仕事を引き受ける契機につながっていったということです。それらの仕事は今日の経営コンサルティング業務の先駈けとも言えるようなものでした。どのようなものがあったかというと、圧延工場での利益計算システムを確立し工場収益を報告する仕事、鉄鋼会社の工場を株式会社に転換するための支援の仕事、住宅会社の経営状況の調査の仕事、公爵が所有する不動産の財務状況の調査、などです。

 こういった仕事を成功させることでプライス・ウォーターハウスは19世紀末にはライバル会社を追い抜き、ロンドンでも一流と呼ばれる会計事務所になっていきました。プライス・ウォーターハウスが破産処理業務から会計・監査業務の拡大にシフトし、重要産業の鉄道や銀行の顧客をいち早く獲得していったことがその要因の一つと考えることができます。ちなみにライバル会社、例えばウォーターハウスが会計士の見習いをしていた大手会計事務所のコールマン・ターカンド・ヤングスは1880年代にはまだ手数料の60%を破産業務から得ていたという記録が残っています。

 プライス・ウォーターハウスのようにイギリスで成功した会計事務所は、投資家の要望に応じるためアメリカに進出していくことになります。

■参考資料
『TRUE AND FAIR』(EDGER JONES)


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