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Cigarettes After Sex 『X’s』(2024)

8/10
★★★★★★★★☆☆


風は世界中を旅しているという考え方が好きだ。今私が胸に吸い込んだタイのビーチの潮風は、テヘランを超え、インド洋を超え、アンダマン諸島を超え、私のもとへ吹いてきたものだ。土地土地の人々の記憶を乗せ、地球上を永遠に吹き渡る。そう思い込んでビーチで寝そべっていると、自分も旅人となって世界中を周っているような気がしてくる。その瞬間の、世界と一体となったかのような俯瞰的な感覚がたまらなく好きなのだ。

Cigarettes After Sexは、完璧に構築された独自の世界を持ってデビューした。「禁じられた恋」「愛のために全てを投げ捨てる覚悟」「君と永遠を刻む」「キスは全てを解決する」…そんなクサくロマンティックな世界をずっと歌い続け、SNSでもそういう投稿ばかりし続けてきた結果、現実世界に住む多くの人々が、彼らの歌う別世界をある種の理想郷と認識し、恋焦がれるようになった。その時点でこのバンドは単なるいちインディロックバンドを超え、特別な存在となった。

音もデビュー時から全く変わらない。単調なドラム、ルート音しか鳴らさないベース、一種類のリヴァーブしか使わないギター。甘くメロウなメロディとボーカル…。これだけでいいし、これ以外に何も足す必要も、何も変える必要もない。時代がいくら移り変わって行こうとも、このバンドだけは永遠に変わらないでほしい。この音楽と詩世界が変質するのを見るくらいなら、いっそ解散してもらった方がいいとさえ思う。

このバンドを聴きながらビーチに寝そべる私の記憶は風に乗り、インドシナを超え、オセアニアを超え、彼らの拠点であるNYに届くかもしれない。それを受け取った彼らはまた同じ詩世界を音楽に刻み、風に乗せて解き放つ。政治や経済や技術が世界の全てではない。それらを超えたところで吹く悠久の風と音楽を、私は愛している。



7月上旬に訪れた、とあるビーチリゾート。CASの音楽は静かな海とよく合う。




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