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10年目に突入、バセドウ病と私③~2度目の再発~

また更新が2ヵ月空いてしまいました。
8月の上旬に再就職を果たし、小さなベンチャー企業の事務方として奮闘中です。 プラダを着た悪魔のアンドレアみたいな感じで、CEOの駒となって働いてます。笑
「引っ越しするから契約と見積もり宜しく」 「ゴミ箱買っといて」
極め付けは、「古物商の免許取っておいて」( ;∀;)

フルモノショウとは..?(´・ω・`)(仕事を投げられた時の反応)

お疲れさま、自分。笑

さて前回は2020年、コロナ禍でチーム異動が下り、病院通いを半年サボっていたことも相まって再発したところまで書きました。 数値は測定不能の振り切れ状態。どうりで体調がすこぶる悪かった訳です。悪化してることを自覚せず、「最近疲れてるな」と思いながらギリギリ会社に行っていました。そしてそんな状態が1ヵ月ほど続いた4月末のある日の朝、起きた瞬間涙が溢れてきて、「あぁ無理」となったのを覚えています。
そんな状態でもまだバセドウ病の悪化だと気づかず、心療内科へ。そこでバセドウ病再発の疑いありと言われ、その足でかかりつけ医に行き、再発が判明する訳です。心療内科系の症状とも二重写しになるバセドウ病。自分の場合、鬱っぽい症状が出ていたので判断しづらかったのです。病院から駅まで歩くのにしんどくてしんどくて、あんなに道のりが遠く感じたことは発病以来だった。再発の現実を受け入れた瞬間でした。

こうしてコロナが猛威を奮い始めた2020年4月末、世の中が自粛モードになる中、別の理由で3カ月間"自粛"することになりました。不思議なもので、本当に辛い時の記憶はかき消されるようで、次に外出した時の記憶が母の日のプレゼントの買い出し、つまり5月の上旬。それもめっきり体力が落ちて、近所のコンビニまで自転車で行くのも一苦労だった記憶。きっとそれまで1カ月間、ほぼ寝たきりだったんだと思います。なかなか暗い..。笑

薬が効いてきて6月頃には普通に生活できていたのを覚えています。薬はメルカゾール3錠、ヨウ化カリウム1錠、でした。

7月末に復職。念のためチームを変えてもらっての復職でした。ここからが、また大変。子育て中のママが多いチームに配属されたのですが、そこにいた同期もそっけなく、指導係からもまともに教えてもらえない、なんとも疎外感を味わい、また体調を崩しかけます。 このまままた休職か、と絶望が頭をよぎる中、

「いや、それは嫌だ」

意地でしかなかったですが、そう思った日から、体調辛いのにランニングを開始。仕事も信頼を得るために全力、同期にも笑顔で挨拶をし続けました。そうして2カ月、3カ月と ど根性で乗り切りました。仕事にも慣れ、最初はそっけなかったママさんたちの中に仲良く喋れる人が1人、2人と出てきました。同期も向こうから挨拶をしてくれるまでに。体調は相変わらずギリギリを生きてましたが、心はVサインでした。そうして、自分の活躍を見ていてくれていた部の幹部からある日、声がかかります。

「ラフさん、今度1人空きが出るんだけど、ここの部署に行きませんか?」

そこは、会社の中核となる部署の1つで、英語も使える、テレワークも導入している、何より良い人たちが集まってるという噂の絶好の部署でした。 すぐに当時のチーム長にも相談し、快諾。復職して4カ月ほどで偶然にも内内、栄転が決まったのでした。バセドウ病の治りは、無理をしたこともあってまずまず。でも薬は1錠に減っていました。


「そうして、環境の恵まれた部署に配属になり、病気も安定し、定年まで華々しいOL生活を送ったのでした。」

ハッピーリーエバーアフター。

と、なりたかった。笑
まだ山は続きます。次は3度目の再発、2度目の休職を書きます。
我ながら、波乱万丈。

ー続く