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信仰体験-バセドウ病と信心-


"闇が深ければ深いほど暁は近い"

9年間、暗闇の中で保ち続けた、灯火のような言葉。これは恩師、池田大作先生の私が大好きなご指導でもある。

確かにそうだった。

今振り返って、闇夜は暁の前兆で、朝が来て太陽が一気に世界を照らすように、妙法のリズムに乗って進んでいたら、いつの間にか長いトンネルを抜けていた。今、久しぶりに浴びる光はあまりにも眩しく、心地よい。

「長い人は寛解までに7年を要します」

絶望が始まったのは、きっと、19歳という年齢でこれまで積んできた「福運」が尽きてしまったからだった。それまでの私は人への感謝も知らず、全てを当たり前だと思っていて、傲慢なくせに、他人を嫉妬するような人間だった。

バセドウ病が判明したのは、大学に入学して1年2ヵ月、人間関係の構築がどうもうまくいかず、環境を変えては同じ壁にぶつかっていた時だった。先のセリフが医師の口から放たれたとき、ただただ絶句したのを覚えている。まだ「変毒為薬」も「価値創造」も、「難来たるをもって安楽と心得べきなり」も「いかなる病障をなすべきや」の御文も知らず、ただただショッキングで、約束されていたはずの楽しい人生が音を立てて崩れ落ちていくようだった。

それでも「自分は2.3年で治してやる」と気合だけは十分だった。悔しくて、情けなくて、もがいて、沢山苦しんだ。あれから9年と4ヵ月。今、私はまだ服薬をしている。寛解していないのだ。3度の再発も経験した。それでも、今は心が違う。病気になったことに使命を見出し、願兼於業とはこういうことだったのか、と心底納得し、病気に感謝さえしている。到来した”春”の心地よさを噛みしめ、全身にみなぎるような歓喜を語らずにはいられない。全ては、創価学会の信仰のおかげだ。

バセドウ病はすぐに命にかかわらないものの、自己免疫疾患という厄介な病気で、原因が分からないから、根本的な解決策も見つかっていない。ストレスが大きな原因と”予測”されていて、メンタル面も含めて相当な注意と自己管理が必要だ。それでも難治や薬でアレルギーを起こすケースで甲状腺摘出手術を余儀なくされる人も少なくない。その中で服薬だけで9年以上これたのは、護られたと思っている。仏法に、この世界に偶然はない。ただ、自分は何重にも人間革命が必要だったらしく、3回再発してようやく、信心の確信を掴むことになる。

「長い」と親に向かって泣きじゃくった日々があった。確かに長かった。19歳から9年間、一番楽しいときに常に病気と隣り合わせだった。眼症もあった。それまで顔を武器に生きてきた私はドン底に突き落とされた。街でスカウトマンに声をかけられなくなった。高校の頃、渋谷の白鳥と言われる制服をまとい、帰り道によく芸能事務所の名刺をもらった。授業中、束になったそれらを見ながらどこに応募しようかと悩むのが好きだった。浮かれていた。それが一変、鏡を見るのが大嫌いになった。面と向かって人と話すのが億劫になった。当時の自分には、顔の終わりは人生の終わりを意味していた。

創価学会の活動を始めたのは少し戻って、大学1年生の時だった。大学内に組織があり、入学と同時に所属した。同期や先輩に恵まれ、楽しく活動ができた。今思えば、「最初はホースの泥が出るように」活動を始めたから、宿業が出たのかもしれない。活動を始めたといっても当時はこの信心の確信を掴んでいるわけではなかった。特に体験もなかった。ただ、強く「共鳴」はしていて、真面目に勤行をし、教学を学び、友人に仏法の知識を語ってみたりもした。やがて社会人になり、また同じような壁にぶちあたる。人間関係にも苦労した。比例するようにバセドウ病も悪化した。休職も3度経験した。1ヵ月ほとんどベッドで過ごした時もあった。冬は長かった。それでも、来るべき春を、暁を信じ続けた。そこには同志がいた、いつも見守り激励してくれる、創価家族がいた。信心してる人は、冬は必ず春となる。体調が悪くなるたび、苦しみながらも信心を深めた。というか、正直なところ、深めざるを得なかった。年々題目を更にあげるようになった。1回10分だった唱題は今では1、2時間とあげないとやった気がしない。御書も地道に勉強した。仏法対話もした、法戦もいつもやり切った。「志をかさぬれば・他人よりも色まさり利生もあるべきなり」。功徳は明らかだった。生涯の親友ができた。職場で昇進を果たした。転職が上手くいった。体調が安定した。眼症なんて小さなことに思えるようになった。何よりも、人を敬い、悩みに寄り添い、救いたいと思えるようになった。こうなるための「苦悩」だった。すべてはこのためだった。私は今、折伏への意欲を胸にたぎらせながら、こう強く確信している。

最後に。「宗教」と聞いた時に少なからず抵抗感を示す人が多いこの国、ご時世。確かな「法」はこんなにも自分を、そして人生をいい方向に変えるのだと、私はこの体験をもってこれからもずっと縁する友に語っていく。これからも難があるだろう。でもその度にこの確信で更に飛躍していける気がするし、また体験を積める、そんな希望で溢れている。そこにかつての絶望感は、もうない。深遠な妙法のリズムに乗って生きる喜びを、1人でも多くの人に伝えなければならない。そんな使命を全うする喜びと幸せを、今日も噛み締めている。