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ありがとう

こんにちは、ココです。

初投稿にハートマークをつけてくださった方、ありがとうございました。とってもうれしい気持ちになりました。

今日ご紹介したい詩は谷川俊太郎さんの
「ありがとう」(『子どもたちの遺言』2009年) です。

みなさんは、今ここにいる自分を不思議に思うことはありませんか?
わたしは不思議で仕方ないのです。
自分は気がついたらいて、自分で作り出したものではないからです。

よく綺麗な花を見て、どうしてこんな綺麗な色を咲かせられるのか。目の前のみかんを見て、こんなに美味しいものはどこから来たのだろう。なんて思ったりします。
みかんは農家さんが作っているというのもありますが、それ以前の話です。なぜ存在しているのかということです。
そして気がついたらここにいたわたしですが、わたしとして今ここにいることが、当たり前なようで、とても不思議で、どれほど考えても分からない、人間の力を超えたこととして感じられてきます。

このような「わたし」や「世界」の不思議さは今や考える人が少ない気がしています。谷川さんの「ありがとう」という詩はその危機感をもって書かれた詩です。




「ありがとう」谷川俊太郎

空  ありがとう
今日も私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと青くひろがっているのが

花  ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも匂いも色ももう私の一部

お母さん  ありがとう
私を生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど

でも誰だろう  何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私  ありがとう



なぜ花一輪はあんなにも美しく、地球にはそのような美しさが溢れているのかは、どれだけ科学が発展しても人間にはわからないでしょう。

そしてそれを当たり前に思っている人が沢山いるのも事実だと思うのです。

わたしがここにいる、世界がある不思議さ、わからなさを忘れている人がたくさんいます。
わからないというのは、パソコンの使い方がわからないという話ではないのです。人間がつくったものは必ずプロセスがあるため、それが理解できればわかるのです。

しかし、世界がなぜこのようにして今あるのかというわからなさは、決してわからないでしょう。
わからないということをわかっている人だけが、この世界の不思議さや、いまここにいる奇蹟を感じられるのかもしれません。

谷川俊太郎さんの、「ありがとう」は、そのような奇蹟すべてに「ありがとう」と言っています。わたしが今ここにいること、それ自体に「ありがとう」。わたしは、この「ありがとう」の気持ちがとても大事だと思うのです。

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