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褒める教育は問題の先送り?!

今回は、先週書かせてもらった「ケーキの切れない非行少年たち/宮口幸治・著(新潮新書)」より、「気づかれない子どもたち」の続きを。


認知機能(聞く、見る、想像する力)や感情統制(感情のコントロール)、対人スキル、身体的不器用などが少しずつあらわれてくるのは、だいたい小学2年生頃と言われている。他にも、勉強についていけない、遅刻が多い、宿題をしてこない、友だちに手をあげる、など。

現在の支援スタイルは、「いいところを見つけて褒める」「自信をつけさせる」といったものが多い。苦手なことをそれ以上させると自信をなくすので、得意なところを見つけて伸ばしてあげる、いいところをみつけて褒めてあげる、という方向に行きがちだ。

しかし、支援者は「そこは伸びる可能性が少ない」としっかり確かめず、本人が苦痛だからという理由で苦手なことに向かわせていないとしたら、子どもの可能性を潰していることになる。問題は根本的に解決しない。「褒める教育」は、問題の先送りにしかならない。

また、なにか問題のある子どもたちは「自尊感情が低い」と決まり文句のようにも言われる。そもそも私たち大人は自尊感情がどれほど高いのか?自尊感情が低いことが問題ではない。問題なのは、何もできないのにえらく自信をもっていたり、逆に何でもできるのに全然自信がもてず、等身大の自分を分かっていないこと。ありのままの現実の自分を受け入れていく強さがないことだ。

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現在、IQ70未満が知的障害と一般的にはいわれている。この定義は1970年代以降のものであり、1950年代の一時期はIQ85未満とされていたこともあった。そのIQ85から70に下げられた経緯には、あまりに人数が多過ぎる、支援現場の実態に合わないなどという理由からだそうだ。

しかし、定義が変わっても事実が大きく変わることはなく、IQ70〜84の「境界知能」と言われている範囲の子どもたちは、現在およそ14%もいるそうだ。1クラスが35名とすると、下から5人程度はかつての定義で知的障害に相当していた可能性があることになる。

ADHD(注意欠陥多動症)やASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)といった診断がついていいれば、周りからの理解も得られやすいが、クラスで下から5人は困っているにも関わらず、診断がつくことがない。そして、彼らは日常生活をする上では日常会話も普通にできたり、概して一般の人たちと変わった特徴がみられにくい。違いが出るのは、何か困ったことが生じた場合だけなのだ。

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子どもへの支援は大きく分けて、学習面、身体面(運動面)、社会面(対人関係など)の3つがある。現在の学校教育では、学習面と身体面のカバーはなされているものの、社会面における支援が系統立ててほとんど何もなされていない。集団生活を通して自然に身につけられる子どもも多いが、発達障害や知的障害をもった子どもが自然に身につけるのはなかなか難しい。

そこで、対人スキルを上げるために大きな効果をあげている「ソーシャルスキルトレーニング」というものがあるが、これは実は「認知機能」に問題があれば、トレーニングを受けていても何をやっているのか理解できず、判断ができない。

そうなると、やはりまず必要となってくるのは、学習の土台にもなっている「認知機能」を向上させるトレーニングとなる。この本では、医療少年院で約5年の歳月をかけて開発された「コグトレ(認知機能強化トレーニング)」を紹介している。
具体的なトレーニング法は、「コグトレ研究会」を検索するか、または著者が発行している教材「コグトレーみる・きく・想像するための認知機能強化トレーニング(宮口幸治著・三輪書店」を検索してほしい。

これは、見て聞いて理解する力、見えない物事を想像する力、正しい判断をする力、自分の間違いに気づきストップをかける力、等身大の自分を受け入れ正しい自己評価ができる力など、社会面の支援に繋がるものでもないかと思う。

また、この本では、学校の朝の会の5分でもいいから、毎日簡単なコグトレのトレーニングをするだけで、日本を変えられるかもしれない、とも言っている。

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学生時代は、まだ大人の目が届き、何らかの支援がまだある。社会に出てしまうと、人間関係がうまくいかず、仕事が続かず、引きこもり社会から忘れられてしまうかもしれない。如何に早くサインをキャッチして対応するかが重要な鍵だ。

そのためにも、ほとんどの子どもが通う義務教育の小・中学校はいかに大切かと思う。親では分からない、見つけられない子どもの違いに、学校の先生や専門家が対応できれば、と思う。そして、学習面、身体面の支援だけでなく、この先最も重要となってくる社会面の支援をもっと充実させてほしい。

そうなると、先生の目は余程広いものではならない。と同時に、こんなにも重要な立ち位置に居る先生たちをもっともっと優遇するべきだ。色々な雑務を押しつけられ、子どもを見る時間がどんどん削られている様に感じられる。もっと学校の体制を見直すべきだ。子どもたち一人一人に目が行き届く環境を、一人一人に手を差し延べられる専門的知識を、もっともっと学校につくるべきだと、切に願う。

(芹川)

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