ビビりのクセに「怖くないフリ」に始終していた
今よりもっと若いときは、
勢いはあったが、
小心者なのも確かだった。
でも、
それを悟られないように必死だった。
そんな涙ぐましい努力をしていることは
きっと周りにはバレバレなのだが、
本人は巧みに隠しきれていると確信している。
人間って、
本心が透けて見えるものだと思う。
うまく隠せても、
なんとなく嗅ぎつけられてしまうものなのだ。
だから、
一見自信満々に見えても、
実はビクビクしているのを隠すために虚勢を張っているのは
見破られるし、
逆に
物静かで普通の人にしか見えない人でも、
何かを究めて研ぎ澄まされた感性は
どことなく人を引き付ける。
動物的勘は、
現代人でもまだまだ備わっているのだ。
今思えば、
人が怖くてビクビクしているのが
バレたくなくて、
ちょっと奇をてらったことをしてみたり、
普通の人がしないことをしてみたりして、
「どうだ、
私はこんなに、勇気があるんだぞ、すごいんだぞ」
をアピールすることしか頭になかったのだと思う。
SNSには、
海外に一人で旅行したことや、
セミナーに参加したことや、
リア充なことを
投稿した。
一人で惨めで性格が悪くて小心者な自分が
バレることは、
大げさじゃなく死ぬより怖かったと思う。
人にどう思われるかが
ものすごく怖かった。
その「カッコつけてないといられない自分」は、
生きている間、ずっと私の中に存在し続けるだろう。
顕示したい欲の程度の差はあっても、
見せつけたい対象や内容は変わっても。
これはもう、
どこまで行っても
人間である限り
付いて回るのだ。
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