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私的コロナ時代の記録②

[記録②4月24日]
嵐でスタートした一週間。自粛生活になってから時間の流れが早い。毎日あれこれ生活が忙しい。一方で社会の流れには完全に乗り遅れている。むしろ何もしていない。もう少し様子を見ていたいと思う。
 今週は毎日年末レベルの大掃除をして、トイレの床を雑にリフォームして、仕事部屋の模様替えをした。いつもは気に留めない小さなホコリまで気になるのは、神経が過敏になっているせいかもしれない。消毒スプレーで指先も荒れている。
 厳戒態勢の中、父の定期入院&手術が終わる。退院からの2週間、院内感染の可能性を心配するほうが気疲れする。発症したら間違いなく助からないが、85歳の本人がまったく死ぬ気がないのだから困る。人は死ぬまで生きているものなのだと思う。最近、人は死んでからもしばらく生きているという記事を読んだ。昔のブラウン管テレビみたいに、脳や身体の記憶や生命がゆっくりとフェイドアウトしていくのだろう。すぐに焼かれて骨になった女優さんは気の毒だ。コロナ時代のお別れ。
 そんな中、玄関先のメジロの巣がハクビシンにやられてしまった。最近、住宅街で目撃されていたから間違いない。鳥の来る家は縁起が良いと聞いていたので家族全員が大いに落胆する。自然は手強い。ハクビシンが悪い訳でもない。彼らも生きていくために必死なのだ。メジロはハクビシンになったのだと思うしかない。朝、一羽だけ親鳥の鳴き声がした。強く生きていって欲しい。
 立石剛さんからYoutubeチャンネルが届く。音楽も映像もよい。稀有な才能。触発されて鍵盤の前にいる時間が長くなった。毎日音楽に救われて、3.11の時とは正反対の感情が生まれている。音楽とは人類が困難を生き抜くために発明した知恵なのだと実感する。困難だらけの子ども時代、私は音楽に救われていた。
 カプカプの爆笑オンライン会議に続く、新井さんたちのワークショップ風景をFBで見学する。なんだか一気に未来に突入したような面白い時間が生まれていた。ちょっとテレビの黎明期を思い出す。「しばらくお待ちください」という文字と共に静止画像になることもよくあった。大学時代のPC黎明期も武道館クラスのコンサートですら機材トラブルで止まったりした。だから機械はトラブルを起こすのが当たり前だと思っている。今はZOOM黎明期だ。「ゲバゲバ90分」のシュールな笑いが好きだった。あまり見せてもらえなかったけど、あんな感じの笑いがみたい。思い切り笑いたい。
 娘もオンラインで部屋に閉じこもる時間が増えた。次に登校できるのは昨秋の合格から1年が過ぎてしまうのかもしれない。PCの前で毎日誰かとやりとりしている。塾講師のバイトをする友人のオンライン授業のリハ相手も引き受けていた。大学とは何か、学びとは何か。みんな必死で考えている。演劇サークルの新歓にも参加したという。たぶん青年団の皆さんの影響。

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