質問「サウンドスケープ」と「音楽」の関係性とは?
※バナーはR.M.シェーファーが1982年に作曲した『Sun』という合唱曲の楽譜冒頭です。図形楽譜というよりは、絵画と楽譜が融合した独自の世界観が伺えます(C)R.Murry Schafer and the Vancouver Chamber Choir
【回答】サウンドスケープ」と「音楽」の関係性をどのように考えていますか?
先週9月18日(土)にボンクリ関連企画としてオンライン開催された東京芸術劇場第2回社会共生セミナー『もし世界中の人がろう者だったら、どんな形の音楽が生まれていた?』(登壇:牧原依里、雫境、ササマユウコ)は定員をはるかに超えたご参加を頂きました。ありがとうございました。
最後の質疑応答が時間切れでお答えしきれず、興味深い内容も多いため、私自身もあらためて思考しながら時々こちらで返していきたいと思っています。今回は2011年から10年間の自身の「音楽を問う」活動を振り返り、シェーファー自身の「目と耳」に焦点を当ててお話しました。当日のPPTは加筆したPDF資料として別途サイト等でご覧頂けるようにしますので、今しらばらくお待ち頂ければ幸いです。
【シェーファーの目と耳】
2011年の東日本大震災で失われた「私のオンガク」を探して飛び込んだサウンドスケープの世界。「つなぐ・ひらく・考える」をキーワードに、異分野アーティスト、哲学者、研究者、福祉関係者等と共に「音楽を問う」対話の時間や思考実験、ワークショップなど、振り返れば本当にさまざまな「場」を芸術活動として作ってきました。サウンドスケープの提唱者M.シェーファーが示唆したように、サウンドスケープの「場」は私の内と外をつなぎ様々な世界と響き合っていきました(そのために活動が多岐に渡っています・・)。
だからこそ今回のように「場」の時間と空間がオンラインに切り替わる中で10年間を一区切りとして振り返り、しかも今回は「音のない世界」に向けて「音」の話を言語化する経験は想像以上に大変でしたが、「コロナ時代の新しいオンガクのかたち」を考える上でも非常に貴重な機会となりました。まずはお声がけいただいた雫境さん、牧原依里さんに心より感謝しています。また発表資料を作成中の8月に弘前大学今田研究室よりシェーファーの訃報が届いたことで、それまで作成中の資料をすべて書き直し、彼自身の「目と耳」に立ち返る視点が生まれました。この10年の水の環のように広がった自分の活動にも一本筋が通り、シェーファーの思考も一気に腑に落ちる思いがしました(これはまた別の機会に)。
ちなみに2011年から2013年にサウンドスケープの研究で籍を置いた弘前大学大学院の今田匡彦先生は、シェーファーと共に日本の子どもたちに向けた音のワークショップ本『音探しの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(2008年増補版 春秋社)を出版しています。私が東京から弘前大に向かった一番の理由もそこにありました。2011年当時の私は、それまでの作曲や演奏活動から離れ、ワークショップという「場」のかたちを模索していました。都内郊外自治体の市民大学で「福祉学」や「環境学」に携わりながら弘前に足を運び、この本の原典ともなるシェーファーの著書『The Tuning of The World(邦題「世界の調律」』を”耳の哲学書”として、音楽とは何かを問う日々でした。
サウンドスケープという「世界の名前」
「サウンドスケープ」と名付けられた「響き合う世界」は、おそらく宇宙が誕生した瞬間(その直前?)から存在したはずです。なぜなら古来から現代までの世界中の哲学者や芸術家、宗教家や科学者がその世界に気づき、さまざまな名前をつけてきたからです。世界の響きを写しとった美術や音楽作品もたくさんあります。そして今回はシェーファー自身はどうやってその響き合う世界を発見し、サウンドスケープという名前をつけたかというお話です。
サウンド(音/聴覚)とスケープ(風景/視覚)をつないだ名前には「音風景」という邦訳がつきます。このコトバをあらためて紐解くと、ここでは共感覚的な知覚の捉え直し、世界との関わり直しが起きています。そしてこのコトバはシェーファーの造語として1976年に自著『The Tuning of the World』で発表されました。
もともとシェーファーは生まれつき片方の目がほぼ見えず、8歳の時にその目を義眼にする大きな手術を受けています。そして十代半ばには、視力を心配した周囲の大人たちの反対から画家の道を諦める試練を経験しています。しかしそこから自分だけの知覚の捉え直し、音楽を通した世界との関わり直しを経て、唯一無二の作曲家へと成長していきます。
彼が亡くなるまで「目」にまつわるエピソードは知られていませんでしたので、全身を世界にひらく知覚を手に入れたシェーファーには、もはや耳と目の境界が無かったのかもしれません。音楽家シェーファーの内側には常に画家としての自覚もあったと思います。そして自分だけの世界の捉え方は人生の困難を乗り切るための知恵(アート)ですから、「サウンドスケープ」というコトバには普遍性が生まれ、時代を越えて音楽の外の世界とも響き合っていきました。それはシェーファーの想定外だったかもしれませんが、生涯に渡って「サウンドスケープ提唱者」の社会的な役割(Acoustic Ecologist)も担っていきます。具体的には作曲家だけでなく、環境破壊や騒音問題、都市のサウンドデザインや教育、社会福祉やコミュニティとも響き合っていくのです。また私のような世界中の音楽家個人の世界も柔らかに広げていきます。
こうして画家を志した少年シェーファーはサウンドスケープというコトバと共に世界とつながり、聴者の音楽家としても多くの作品を残し88歳でその生涯を静かに閉じました。カナダ国内やNY Timesの訃報記事には3つの肩書き「作曲家、作家、アコースティック・エコロジスト(音の環境活動家)」が記されていました。
カナダを代表する音楽家となったシェーファーが、もし希望通りに画家になったとしたら?いずれは美術と音楽の境界に生まれる、音を題材にしたアートを作ったような気がします。なぜなら生前のインタビューでは6歳から始めたピアノを「全く好きになれなかった」と話していますし、一方で、窓を開け外の音をききながらグリッサンドやアルぺジオ(ピアノの鍵盤を自由に遊ぶ感じ)を楽しんだエピソードも追悼記事の中に見られました。ピアノの音と窓の外の音が響き合うと、画家として「みる」知覚が刺激されることを、少年シェーファーは自分の「耳で」気づいていたのでしょう。その世界に「サウンドスケープ」と名前がつくのはまだ先ですが、シェーファーはすでに「風景をきく」知覚を子どもの頃から育んでいたので、美術から音楽へと転身出来たのだと思います。それは片方の目を失ったことで手に入れた特別な知覚なのかもしれません。いずれにしても美術学校を中退し、十代後半から音楽家を志したシェーファーが、結局は「楽音だけに集中する耳」を訓練する西洋クラシックの専門教育に馴染めず、音楽家となってからも生涯否定的だった理由がよくわかる「目と耳」のエピソードです。
前置きが長くなりましたが、今回ご質問の「音楽」と「サウンドスケープ」の関係性は、 以上の観点から下図のようになると思います。サウンドスケープという考え方で捉えた世界を「目できく、耳でみる」ように「音で」写し取ったのが「(シェーファーの)音楽」(中央の緑の環)です。しかしセミナーでもお話したように「聴者の音楽」には世界中に様々なかたちや考え方がありますから、これはあくまでも「シェーファーの音楽」とサウンドスケープの関係性です。
特にこの国ではMusicという外来語を明治期に「音楽」と訳したことで、150年を経た今も「音楽とは何か」を考える対話の場で、コトバの認識の違いから混乱や議論が生まれてしまいます。そもそも西洋のMusicの概念には「音」が必然ではなかった歴史が学校で教えられていないのです(Sound of Musicという表現でおわかりだと思います)。結論を言えば「サウンドスケープ」とは響き合う世界につけられた名前(コトバ)です。そこには「音楽/オンガクの作品」を作ったり、考えたり、奏でたりする際にも応用できる、世界と自分をつなぐエコロジカルな知覚の使い方も含まれます。
今回私が「サウンドスケープ」の思考を”共生”の場でご紹介したのは、特にこの「知覚の捉え直し」から聾者のオンガクも聴者の音楽もお互いに「響き合っている=関係している」と考えたからです。シェーファー自身も既に半世紀前から、サウンドスケープの「知覚」や「場」の考え方に加えて、具体策は述べていませんがいずれ「社会福祉」ともつながると示唆しています。もしかしたら自身の目が見えなくなる想定もあったかもしれません。サウンド・エデュケーションには「目を閉じる」レッスンもあるからです。シェーファーの耳のトレーニングは、先述したような楽音への指向性や集中性を高める西洋クラシックのそれとは大きく違い、外の世界に対して「耳をひらく」ものです。このレッスンによって本当にひらかれるのは「意識」、耳に限らない「きく知覚」です。私たちは耳だけでなく、海に棲んでいた魚時代の記憶、羊水の中の胎児のように内臓や皮膚や骨、全身できいていることに気づきます。それによって聴者の専門家が独占していた「音楽」の世界が、サウンドスケープというコトバによって水の環のようにひろがりながら、さまざまな世界と響き合うようになるのです。
そしてその世界の在り様もまた「サウンドスケープ」と呼ぶことができます。水の環はひとつだけでなく、雨粒がつくるように同時多発的に生まれては関係し合っていきます。そしてシェーファーは「ひとつひとつの雨粒がみな違う響きをしている」ことも「耳でみる」ように気づきました。
Sonic Universe! 邦訳:鳴り響く森羅万象に耳をひらけ!(『世界の調律』平凡社1986より)
シェーファーは生前、印象的な言葉を残しています。ご本人と翻訳者チームの擦り合わせがあった当時の日本語訳には「耳をひらけ!」という一文が加えられていますが、晩年のシェーファーなら「全身をひらけ!」としたかもしれません。これは目と耳をつないで世界を発見したシェーファー自身の喜びや驚き、または音楽家として生きていくことを決意もあったと思います。というのも、この言葉が記された『The Tuning of The World』(世界の調律)が出版された1976年に、シェーファーは10年勤めた大学教員を辞めて、いよいよ音楽家としての人生を歩み始めるからです。必要以上に聴覚や音楽を賛美した表現が多いのも、もしかしたら美術を諦めた自分に言い聞かせていたのかもしれません。だからこそ、この世界は響き合っている!と叫ぶ。
そして世界はたしかに鳴り響いているのです。「調和は衝突だ!」と言ったのは岡本太郎でしたが、19歳まで合唱活動を続けていたシェーファーが目指したのは、ピタゴラスが「数」から発見した宇宙の調和(ハルモニア)だったと本人が述べています。しかし最晩年の作品には自らのアルツハイマーを題名にしたユーモラスな作品もあるようなので、内面の感情や動機に素直に音楽を作っていた側面もあります。
シェーファー本人がサウンドスケープは「アポロン的音楽観」と定義していますが、それは本当の自分、内面にあるデュオニソス的な自分を外の世界と響き合わせるための発明だったとも言える。矛盾を孕んだ一曲の壮大な音楽作品のように展開されるサウンドスケープ論は、音楽と社会を響き合わせる大発明なのでした。
※アポロン的(客観的で理性的)、デュオニソス的(主観的で感情的)と西洋音楽を二項対立で捉える哲学のひとつの考え方です。
【補足】
下記リンクでご紹介している昨年度の「東京アートにエールを!」で発表した映像作品は、古いスマホ一台(私の「目と耳」)で捉えたStay Home中の「内と外の世界」を記録したものです。ろう者の方もご覧頂けるように簡単な字幕もつけました。背景には時おり、私が発見した「世界」からインスピレーションを得て奏でた即興ピアノが流れていますが、ほとんどが自然音で、音がある箇所には注釈がついています。「耳の哲学」の非言語の要素を伝える映像ですので、是非ご覧頂けると嬉しいです。
特に後半に登場する雫境さんは、一見、私のピアノ(の音が流れています)に合わせて踊っているようですが、実は最初に私が創作した詩『宇宙の音楽』を文字で読んでいて、そこからイメージした1分半の非言語手話を表現しています。さらにその動きを見て、私が再び即興でピアノを弾くという「文字(詩)→非言語手話→オンガク」のプロセスを踏んでいます。今回の対話でもあがったテーマですが、音楽がどこから生まれたか、言葉や手話との分かれ目はどこだったのかに思いを馳せています。また小日山さん制作の「走馬灯」は太陽と月、円環の時間や宇宙のリズムを象徴しています。彼は詩を声に出して朗読をしており、その「声」に合わせて字幕がついています。ですので、非言語の雫境さんのシーンには字幕がありません。
映像全体で扱っている「時間と空間」は、オンガクとは何かを考える大きなテーマです。現在コロナで中断している「聾CODA聴 対話の時間」の次回の課題でもあるので、リアルでの開催方法も含めて、ここから課題を深めていきたいと思います。
「空耳散歩 LISTEN/THINK/IMAGINE」
日々の記録から創作まで、虚実入り混じった響き合う世界です。この1年、思いのほか多くの方にご覧頂けましたが、東京都のサイトはこの秋でクローズとなります。「サウンドスケープ」とは何か、「音楽/オンガクとは何か」を考えるヒントに使って頂ければ幸いです。
https://cheerforart.jp/detail/3043
2021年9月20日 ササマユウコ
(C)2021 芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト
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