空耳図書館のはるやすみ③『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』
『音さがしの本〜リトル・サウンド・エデュケーション』R.M.シェーファー/今田匡彦 春秋社(増補版2008)
世界的に心穏やかとは言えない春の訪れです。
目に見えないウィルスの存在は不安を掻き立てますが、家の中でPCやスマホ画面を見つめているばかりではむしろ体にも心にもよくありません。
例年なら花粉症対策で外出を控える時期ですが、現在「外出禁止」ではありませんので積極的に散歩をしています。すると、いつもなら誰もいない静かな公園や森の中が、若い父親や突然休校になった子どもたちで賑わっているのです。皮肉にもとても「健康的な」風景です。ゲームや塾や習い事で普段は時間のない子どもたちが、春の日差しを浴びながら思いきり広い自然で遊べるのだとしたら、それはそれで貴重な春休みとなるでしょう。身体が「面白かったこと」は頭で覚えたこと以上に不思議と記憶に刻まれます。
冬から春へと移り変わる森のなかで、「春の音楽」を探して歩きます。小川の流れる音、木の上ではウグイスが気持ちよさそうに鳴いています。最近は賑やかなガビチョウに存在感が薄れがちですが、誰もいない森の片隅では春を告げる主役がリハーサルです。街の中よりも声が反響するせいか歌が上手く聞こえます。近くの公園では保育園児たちが板張りの橋の上で自分たちの「足音」を思い思いに楽しんでいます。頭のうえでは木の葉が揺れて風が通り過ぎていきました。
春分と秋分を迎えるこの時期、季節の変わり目は宇宙のリズムを身体で感じながら散歩します。木漏れ日のゆらぎ、花のつぼみ、水面のきらめき、すべてが「音の風景」のように音楽としてきこえてきます。「さがす」意識を持って歩くだけで、足元の虫の存在や遠くの街の風景までが目に浮かぶようです。
無観客試合の「相撲」や「野球」の音風景が話題になっています。今年はお花見の音風景も静かに変わりそうです。「音」という切り口から世界と関わり直してみると、それまで気づかなかった世界に気づくかもしれません。
空耳図書館のはるやすみ①『きこえる?』でもご紹介しましたが、サウンドスケープを提唱したカナダの作曲家R.M.シェーファーは、その「考え方」をレッスンする100の課題集「サウンド・エデュケーション」を出版しています。1冊は大人用、そしてもう1冊が「日本の子どものために」書かれた一枚目の写真の『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』です。子ども向け空耳図書館でも必ずご紹介するテキストです。
シェーファー共著者の今田匡彦先生は弘前大学の研究室で「サウンド・エデュケーション」を長年実践されています。音楽教育の分野ですが哲学博士ですので、そこには常に音を通して社会を「考える」視座があり、私はこの本を音楽教育から一歩進めて「耳の哲学」の課題集として捉えています。
筆者は2011年から2013年まで、この今田研究室の社会人研究生として「耳の哲学」から社会のウチとソトを考えてきました。その思考実験の拠点として2014年にCONNECT/コネクトを始め、2015年には「即興カフェ」の前身となる今田研究室出張講座も開催しています。
現在、突然休校になった子どもたちに向けて、教育用アプリやたくさんの動画やアニメが無料で配信されています。例えば普段は見られないような博物館や美術館の裏側は大人でもワクワクしますが、子どもたちはその動画を見ている間はずっと「画面」の前に座った状態になることを、大人たちは想像しないとなりません。一方的な情報提供だけではなく、日常の中で自発的な思考に結びつけるための「問い」が必要です。体を動かしたい子どももいるはずです。
そうは言っても感染症が心配。そういう時は人混みが少なく、車の心配がいらない「森」の中を散歩してみましょう(3月22日現在、外出禁止令は出ていません)。「森」に出かけるといっても大げさなことではありません。この国には必ずどこかに大きな公園や自然の森があります。神社やお寺、川もあります。大都会にも皇居をはじめ沢山の森があります。小人の視点になれば、マンションの植え込みや街路樹の中にも森のような自然が見えてきます。
昨年「きのこの時間」を開催した新宿御苑も現在は附属施設が閉館中ですが、森には入れます。明治神宮はむしろ本来の静かな姿を取り戻しています。鳥の声や水の流れ、風が通り過ぎる音など、ぜひ子どもと一緒に「音」に注目して散歩してみてください。
これは「サウンドウォーク(音の散歩)」と呼ばれるサウンドスケープの思考や感性のレッスンです(私は「空耳散歩」と名付けています)。人知れず流れる湧き水、マンホールの音、遠くの車の音、生きものたちの鳴き声、地下鉄の音・・いつもそばにあったのに気づかなかった「音の風景」がぱっと目の前に現れて世界が変ります。
もちろん「きく」ことは全身でできます。「目できく」「匂いできく」「皮膚できく」「足の裏できく」・・その人なりの方法でよいのです。全身で「音の風景」を感じ取って、想像して、できたら体や言葉や絵でも表現してみましょう。
例えば、子どもたちは「サランラップの芯」のように「音をきく/みるための道具」を持たせてあげると、夢中になって森の中を歩きます。ただ「さがして歩くだけ」が実はとても楽しい。ちょっと目からウロコだと思います。これは家の中でもできます。少しの時間テレビを消して、部屋の中や窓の外の音をきいてみてください。
日頃は学校で「賑やかな」生活を送っている子どもたちの耳ですが、決して静かな空間や時間が苦手なわけではないのです。むしろそんな風に落ち着ける静かな時間や環境を、生まれてから一度も経験しなかったかもしれない。
商店街、スーパーマーケットやモール、本屋さんや歯医者さん、どこへ行ってもずっと音楽が聞こえています。イヤホンも使います。テレビやラジオがつけっ放しの部屋もあるかもしれません。耳の中は音でいっぱいです。
ふだんから沢山の音に囲まれた子どもたち。ぜひ「静かな心地よさ」を体験させてあげてください。その時のコツは「静かにしなさい!」と言わないこと。大人が子どもに話しかける時には「静かに」「小さな声」を心がけること(これが難しい)。でも、「きく」意識を持った時の子どもは驚くほど静かです。
ちなみに『音さがしの本』は課題のレッスンだけで終わりません。シェーファーは自分たちでも自由に課題を考えてと子どもたちにも提案しています。静かに「きく」だけではなく、音をテーマに楽しいゲームも「発明」しようと呼びかけます。シェーファーは自分を取り囲む世界に対して、自発的に考えたり働きかけたりできる人間を育てるための「全的教育」として「サウンド・エデュケーション」を提唱しました。
2008増補版にもサウンドスケープ思考の基本的なテーマは書かれています。しかし2011年以降の(特に現在の)急激な世界の変化を「きく」ためには、新しいレッスンを「発明」しなくてはならないでしょう。
【おまけ】そうは言っても外に出られない時には絵本の音散歩。
大丈夫。どんな絵本の中にも「音」があります。森の中や街を歩いているような気持になれる「文字のない絵本」もあります。「さがす」ことの延長線に「音を想像する」ことがあります。
例えば写真の左上にある絵本。『さがしてあそぼう春ものがたり』(ロートラウト・スザンネ・ベルナー作 ひくまの出版2005)は「さがす」ことをテーマに、ふゆ・はる・なつ・あきがシリーズになった「文字のない絵本」。大判の見開きページには楽しい街の風景が細かく描かれています。
街の中にはさまざまな登場人物がいて、よく見るとそれぞれの物語を繰り広げています。注目した人物を追ってページをめくっていくと様々な出来事が見えてくる。街の中を散歩するように「音さがし」をしても面白いですし、ひとつのページを何度も何度も「見る・探す・気づく」絵画鑑賞の入り口として楽しむこともできます。
「間違い探し」や主人公を「見つける」シリーズと少し違って、読むたびに違うストーリーが見えてくる。まだ文字が読めない子にも「鳥さんいる?どんな風に鳴いてるの?」「ネコさんどこかな?何してるの?」と問いかけてみてください。きっと大人が見過ごしているような小さな「発見」を沢山してくれるはずです。もちろん、猫や鳥になって散歩することもできます。
引用:『「内」と「外」をつなぐ柔らかな耳~音のワークショップ、あるいは気づきのプロセス』今井裕子(ササマユウコ)『音楽教育実践ジャーナル』(vol.11 no.2 March2014) 発行:音楽教育学会