人は死ぬ瞬間何を思うのか?



「人は死ぬ瞬間何を思うのか?」

この問いは人類史において最大の疑問であり、永遠のテーマであろう。あらゆる学者が様々な視点から「死」というものを捉えてきた。近年ではイェール大学のシェリー・ケリガン教授が上梓された『死とは何か』がベストセラーになった。いつの時代も死については多くの人が興味ある事象である。
しかし、それについて明確な回答が出ていない。死について生命である以上誰しも必ず最期は迎えるが、その最期を迎える瞬間、つまり生から死へ向かう瞬間、人間は何を思い、旅立つのか?誰も決定的な答えが出させない問いであるが、私にはある経験がきっかけで生から死の瞬間を感じることがあった。それを基に自分なりの答えを出した。

私が中学1年生だったころ、夏に所属していたボーイスカウトのイベントで2泊3日で丹沢へキャンプに行くことが毎年の定例行事でした。キャンプの最中、宿泊していたバンガローの側を流れる川で遊んでいた際にたまたま深い淀みで誰が深くまで潜れるか競争することになりました。その時に一斉に淀みに潜ったのですが、その時に一緒に参加していた同級生にふざけ半分で足を引っ張られました。向こうからすれば遊び半分だったかと思いますが、私自身は完全に引っ張られて身体に多く水を飲み込み、完全に溺れたのです。

水を飲み込んで、溺れている最中に息が出来ずに身体の自由はだんだん効かず、ただただ必死にもがくばかりで次第に意識は薄れていきました。その時のことは今でも脳裏に焼き付いている。

息苦しさは突然無くなり、冷静に考える余裕が出てきた途端に私は「このまま死んだら、この後はどうなるのか」ということを考えました。

薄れゆく意識で、私は自分が死んだらこれが夏の水難事故として報道されて、私が死んだことが世間に広まって、地元で葬儀するのだろう、葬儀は誰が弔問に来てくれるかとか、骨になって墓に入るのかと冷静に思っていました。死にゆくまで息が出来ないことの辛さとか痛みを通り越した瞬間、辛さや痛みが消えて楽になったことで、冷静に「私が死んだら」という思いが脳裏をかすめたのだった。と、その瞬間川から自力で上がることが出来た。その時ほど呼吸できることが嬉しいと思ったことはなかった。水を飲んでいた分、すぐに川から出て飲み込んだ水を吐き出して、何とか一命は取り留めました。それから数時間はぼぉーと何を考えているわけなくバンガローの中で上の空状態でした。生きていることを身体で感じていたと思います。こんなことを経験しても、不思議と水や川を恐れることは無かったが、もう淀みを潜るなど危険なことに容易く挑むことはやめました。

この経験から、死ぬ間際の人は「自身の今後の処遇」を考えるのではないか。世間では三途の川を渡るということを度々聞かれるが、私はその手前の「死んだ後について」を考えるまで到ったことがあった。

死について誰しもいずれは迎えるが、今生きていることに感謝をしつつ、死の一歩手前まで踏み込んだ経験が誰かの役に立って欲しい、また自分もこうした経験があるという方がいらっしゃいましたら是非語り合いたいと思い、今回寄稿させて頂いた。
こんな経験はいずれまた起きるかも知れないが、しばらく元気なうちは二度としたくはない。

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