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海外若手建築家勉強会レポート2

筆者:寺田慎平

先日レポートを公開した「海外若手建築家勉強会(仮)」の第2回を早速開催しましたので、こちらも活動アーカイブとしてレポートします。

- 第一回のレポート -

今回の発表者は大村さん。GROUPnoteseditionを共同主催しておりますが、何より彼のことはブログを通じて知っている人も多いのではないでしょうか。
この勉強会の発端はメニカンメンバーの中村くんとの会話からだったのですが、実はそのきっかけとなる建築家も、大村くんが記事にしています。

彼女のスタジオのマニフェストとシソーラスはほんと刺激的で、まずはそこからこの勉強会を始めようかとも思ったのですが、準備はこれからです。

それからもう1つ、「若手建築家特集」を銘打った以下の記事も、このレポートを読んでいるみなさんに読んでもらいたいテキストです。

今回取り上げてもらった5組のうち、すでに3組がここで紹介されていることに驚きを隠せないですが、本編だけでなく導入部も素晴らしいので、ぜひチェックしてみて欲しいです。
このようにして時折Made inElli Mosayebiについて話し合う中村くんと、自身のブログでも海外建築家の紹介記事を書いている大村さん、という盤石の体制を整えてはじまった勉強会は、少しずつ素敵なメンバーを増やしながら進めています。
「海外若手建築家勉強会(仮)」の目的は、近年、海外若手建築家を紹介するメディアも見当たらない一方、SNSを通じて海外の動向は比較的チェックしやすくなっているなかで、いまの建築界の動向を確認し、同時代的な見立てを共有したいということ。それから相互に興味ある建築家を紹介・共有しあうことは意義もあるし、そんなことよりまずは楽しいだろう(!)ということで始まりました。

前置きが長くなりました。大村さんから提示いただいた今回のテーマは「貧しい建築」。導入として、まずはMOSのMichael Meredithによる≪44 low-resolution house≫という展示を紹介してもらいました。

ここでいう「低解像度の家」とは、以下の傾向を持つ住宅とのことです。

1. 勾配屋根、煙突、窓、ドア、ポーチなどなど、おなじみの要素を用いた、なんとなく家にみえる家
2. 構造や接合部、材料があらわしで、ある種安っぽく、未完成にみえる家
3. まる、さんかく、しかくといった幾何学が主に平面的に配置されている家

これら「低解像度の家」は、複雑な曲線、有機的なかたちなどを用いた「高解像度の建築」とは対照的なものです。そして高解像度の建築がその複雑で高度な技術によって、建築そのものを覆い隠してしまうのに対して、低解像度の家が持つちょっとしたずらし、隙間や不具合、手作り感やある種の抽象性といった性質によって、わたしたちを建築そのものに目を向けさせるような効果があるということです。

この44の住宅のなかには日本の建築家によるものもあり、(アトリエワン・長谷川豪・タトの3つ)「低解像度」が指し示すところはなんとなくイメージすることができると思いますが、こうした状況が欧米にも共通してみられるところが興味深いです。それから大村さんが提示してくれたコンセプトであるところの「貧しい建築」というと、文字通り<貧しい建築>を志向した★1アルド・ロッシや、「気積は大きければ大きいほど良い」とし、農業用資材などを用いて、同コストでより大きな建築を目指す、ラカトン・アンド・ヴァッサルなんかのアプローチも連想しますが、こうしたアプローチが若手の建築家から、新しいかたちであわられてきているところも注目するべきでしょう。

以下、大村さんのテキストとともに5組の建築家を紹介します。

総工費が数十万円といった限られた予算のなかで仕事をしなければいけないとき、いわゆるスターアーキテクトと呼ばれる建築家の仕事がほとんど参考にならないという問題に直面します。自分は今まさにそういう状況にいて、現在進行系で毎日困っています(予算が潤沢すぎても、それはそれで困ると思いますが)。国外の若手建築家の仕事を見ると、法規や建設技術、労働環境等の初期条件がまったく異なる中で実践されている建築的な「節約」の方法が、とても新鮮に映ります。(大村)

Lütjens Padmanabhan

節約その① プラグマティックな形態とその事後的な調整
リュッチェンス・パドマナバーン・アーキテクテンの仕事は、形態を極端に抽象化しているわけでも、素材や構法のあり方を先鋭化させているわけでもないので、ぱっと見の目新しさみたいなものはないかもしれません。でも、よく見ると不思議なことをしています。大理石を仕上げとして慎重に使っているかと思えば、色の塗り分けみたいなことも平気でやっているし、アドルフ・ロースやミケランジェロを参照しているかと思えば、とんがりコーンのような単純な幾何学形態がふいにとりつけられていたり。このなんとも形容し難い建物の印象の背景にあるのは、経済的に建物をつくるという前提条件に対して、都市や人間的なスケールでの問題が拮抗・葛藤している点だと思います。例えば外観に関しては、標準化された部品を用いながらしっかりと断熱もして、小さく区画された(ときには不規則な)敷地のなかで最大容積を確保しようとしていることがわかります。ただ彼らはそうした経済的な価値基準に基づく判断の集積をそのまま都市に放り出さず、色彩や寸法の調整や歴史的な建物の参照よって、プラグマティックな不定形のヴォリュームに対し事後的にファサード(社会性)を与えようとしている気がします(結果として外観とインテリアのあいだには様々な齟齬が発生し、各プロジェクトを特徴づけています)。Binningen II(2011-2014)というアパートは、その意味でとりわけ印象的な建物だと個人的に思います。(大村)

GAFPA

節約その②: 単純な構造体の既存環境への挿入
ベルギーのGAFPAの仕事は、既存への介入の仕方がとても明快です。自らの建設行為が応答すべきコンテクストを限定し、とてもシンプルな構造体の配置で対応する。美学でもなんでもなく、解体にかかる費用や素材の数、工程の複雑さ、人工を最小限に抑えるといった実務上の要求から、コンテクスチュアリズムと構造合理主義がピタッと重なっている感じです。このときデザインの指針として、ある特定の機能・目的を持ったバナールな建物や場所に見られる単純な構造体(GAFPAはこれをPrimary Structureと呼びます)が参照されます。(大村)

BAST

節約その③: 設計者の施工プロセスへの参入
フランスのBAST (Bureau Architectures Sans Titre: 無題の建築事務所) は、事務所名から403architecture[dajiba]を連想しますが、実際その活動内容からも同時代的なものを感じます。まずインスタグラムの投稿がおもしろいです。かっこいい図面やパースはぜんぜん出てこず、設計者が施工をおこなっている写真や現場の記録写真が多いのが特徴です。仕上げをより安価なもので代用する、といった対応ではもはやプロジェクトが成立しないくらいにバジェットが少ない場合、非建築資材の思い切った転用や、建築家の施工プロセスへの没入的・実験的な関与が必要になってきます。熟練工による建設がままならないような低予算のプロジェクトとどう向き合うのか(そもそも引き受けるのか、引き受けるとすればいかにして実現するのか)、という問題は、2007年の世界金融危機以降に独立した建築家が共有している問題と言えるかもしれません。(大村)

Dyvik Kahlen

節約その④: 情報量の遮断
情報が溢れかえっている現代において、リサーチによって設計の根拠となる情報を断片的にかき集め、それらを事後的に統合していくという方法はうまく機能しないように思います。扱うことのできる情報量が過剰に手元にある場合、素材やスケールの有効性を検討するプロセスがむしろ停滞してしまうからです。だからこそ、閾値を超えた情報を遮断する技術こそが重要になってくるのであり、単純な幾何学による構成の抽象化や意図的に形式化したドローイングがその方法になり得る。と、こうした認識はOffice KGDVS6aNP2FBaukuhなどの先行世代の影響は受けた若手建築家は共有していると思うのですが、なかでもイギリスのディヴィク・カーレン・アーキテクツはその展開が鮮やかで、素材や形態、構成の選択の思い切りの良さが際立っていると感じます。
*ちなみに彼らの存在はヨーロッパの30組の若手建築家の活動をリサーチしたCarnets. Architecture is Just a Pretext(anteferma, 2019)という書籍を通して知りました。ピックアップされている事務所の取り組みはどれも興味深いです(メレディスの≪44 low-resolution house≫と併せると、若手建築家の主要な仕事は概ねカバーできる気がします)。(大村)

First Office

節約その⑤: ありきたりな素材への技術の応用
メレディスの言う「高解像度の建物」の前提となっているのは、NURBSによる3次元モデリングツールの一般化や3Dプリンターをはじめとしたデジタルファブリケーションの普及を背景にした、建築設計・施工の急速なデジタル化だと思います。アメリカのFirst Officeの仕事は、デジタル技術が「表面の滑らかさ」に直結するのではなくスタディの途中で偶然生じた傾きや隙間を実現するために取り入れられていて、興味深いです。ありきたりな素材や単純な形態であっても、高度な技術を投入する余地が存在していることに気付かされます。(大村)


大村さんの発表に続くディスカッションでは、限られた予算のなかでどう建築に意味づけを施していくのか、そのための純粋幾何学の援用や、慣習的なものからのずれがうみだす違和感が重要なのではないかという指摘。あるいは緊張感よりもゆるさを許容するような寛容性や、接写の写真などにみられる全体像のつかめなさやディテールへの注視が特徴として挙げられました。また、First OfficeやDouble Negatives Architectureといった高解像度な技術が支える低解像度性にアプローチする建築家や、高解像度な建築に対するカウンターとしての貧しさなのでは、といったトピックが挙がりました。

議論を振り返ると、第一回の「アンビルド・ニューウェーブ」とも呼べそうな建築家たちのイメージにも通底するような議論点がたち現れてくるのでしょうか?すなわち、建築における表面の前景化とそれに伴う立面図(≒ファサード)や展開図(≒インテリア)の重要性の向上。それから、貧しさ・低解像度から照射される現代社会への批判性と、その批判性の衰退・ファッション化。音楽のジャンルで2010年代に急激に流行したvaporwaveの世界観にも通ずるような、潮流当初の精神性とその逸脱・消費化。この辺りもまた、過去の建築家たちの試みとどう違うのか、あるいは現代のどのような需要を喚起しているのか、引き続き勉強会のなかで議論していけると、現時点でのわたしたちの立ち位置もまた、少しずつはっきりとしてくるのかもしれません。

次回(第三回)のテーマは現在検討中ですが、「アルド・ロッシの影響を感じる海外若手建築家」を紹介する予定です。ニッチでマニアックな視点を持つ参加者も徐々に集合しつつあるので、引き続きあらゆる側面を深掘りしつつ、最後には現代的で開いた議論にもつなげていければと思っています。


★1 - 片桐 悠自 「アルド・ロッシの"貧しさ、侘しさ"」建築雑誌 (1746), 13-14, 2021-02-20, 日本建築学会






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