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Many Chain letters (3-4通目) | 「住宅の庭」

「Many Chain Letters」、今回は前回に引き続き「住宅の庭」をテーマとした往復書簡の3〜4通目を公開します。

前回はこちらから↓

3通目

寺田さんへ

 返信ありがとうございます。寺田さんがあげてくれた事例は、どれも「庭」を考えるにあたり示唆的な建築であり、どれも無視するのは難しいですが、全てに言及するともはや長い論考になってしまいそうです(笑)。ですので、今回はおそらく語り尽くされてきた住宅なので、既出の議論を追うかたちになってしまうと思いますが、《代田の町家》と《中野本町の家》を取り上げ、まず出てきた事例の中では時代的に古いものから「庭」を考えていきたいと思います。
 《代田の町家》と《中野本町の家》はどちらも1976年に竣工しており、『新建築』で対をなすように特集が組まれているのが印象的です。そもそもこの時代は中庭という形式が最も市民権を得た時代だと思います。よく言われれるように70年代は都市における環境問題が顕在化し、建築家の住宅は自らを防御するように街に対して閉じていきました。安藤忠雄の《住吉の長屋》もまた1976年に竣工しており、中庭以外からの採光は一切ない構成は、その時代の特徴をよく表しています。
 そのように中庭という形式は、住宅を街という外界から遮断し、生活空間の内なる世界を象徴する空間として扱われました。しかしそれはある種、家族という閉じた世界の閉塞感を象徴しているようでもあります。《中野本町の家》では、寝室や書斎などの個人のスペースは街側に開口を設けている一方、家族の共有部は中庭側の開口とトップライトのみで採光が取られています。雑誌に掲載されている「庭」は、木一本植えられることなく、黒い土がそのままさらけ出されている状態であり、破れかぶれな印象です。しかし解体後出版された本の中では、剥き出しの黒い土に自然と雑草の種が運びこまれいき、徐々に生命が中庭に運び込まれていった様子が分かります★1。その風景には、都市の中に潜む、飼いならされていない自然が庭に入り込んでくるような魅力を感じます。このように閉じられた「中庭」を、私的な感情・生活を投影する場とすることは、《中野本町の家》ほどの強烈さはなくとも、当時のコートハウスという形式をとる住宅では設計者の意図と関わらず、少なからずあった現象なのかと思います。 
 対する《代田の町家》はどうでしょうか。この「庭」は坂本一成によって「外室」と名付けられており、中庭と呼ぶのは間違いかもしれません。しかしおそらく、接道している北側や、緑道に面した南側に固まった「庭」を設けず、ガレージの後ろという中途半端な位置に計画していることからも当時流行った中庭という形式の延長として見ても差し支えはないように思えます。また、そもそもこの建築は建蔽率ギリギリで建てられており、どうしようもなく発生するこの20㎡程度の「庭」をいかに慣習的な空間に見せずに、「中性的な室の関係」★2に混ぜ込むかを考えた苦肉の手段だったのかもしれません。(他にもどうしようもなく生まれる隣地との端空き空間も建築と同化した塀によってこっそりと隠されてますよね。) 坂本自身、代田の町家から「〈閉じた箱〉の開放を目指した」★3と言っているように、おそらく新建築に掲載されている写真も多くが「庭」を介して外部である街が写り込むような構図で写真が撮られていることが、この「庭」を魅力的に見せてくれている一番の理由な気がします。道路からの人の目線が直接入らないように丁寧に開口や壁で閉じつつも、完璧に閉じることなく街の風景を切り取り住宅の奥まで届けるあり方は、70年代的中庭と、現代における街に開くことが目指される住宅の、ある種弁証法的な(あるいは移行期における過渡的な)解答にも思えます。雑な言い方ですが、この20〜30年で気づいた、住宅を開くことへのある種の疲れの中で、我々が振り返るべき建築である気がするのですが。
 「庭」は単にその地表面のあり方・使い方だけでなく、敷地のどこに置くかにより、街との、あるいは家族との距離をどうとるかを決定します。中庭という形式はその内向きの性格から近年あまり評価されてこなかった形式に思えますが、考え直すに値する形式に思えます。まだ繋がりませんが、松岡田村の図と地を反転させた《コートハウス》(中庭)という題名の意味にも最後戻ってこれるといいですね。また返信お待ちしています。

橋本

4通目

橋本さんへ

 《代田の町家》が振り返るべき建築というのは示唆的ですね。密集した都市において、建ぺい率などの法規を踏まえていくと、どうしようもなくうまれてしまう「庭」をどう扱うか。橋本さんの問題意識は「庭」を前提として受け止めて、そこをどう魅力的にするか、ということではなくて、「庭」がどうしようもなくうまれてしまうことにどう立ち向かうべきか、都市に暮らす際にあらわれてくる前提としての「庭」をどう考えるのかにあるのだと、再認識しました。
 そして「住宅をいかに開くか」という問題系もあらわれてきました。《代田の町家》は今を生きるわれわれには「閉じている」ようにもみえてしまうのは、この時代の病理と言ってしまってもいいかもしれません。橋本さんが言うように、この問題を考えるときに開口部と庭との関係から読み解いていくことができそうですね。庭と開口部が住宅とまち、そして家族との関係を規定する。
 坂本氏の場合、第一に「開かれた中庭」として、第二に「家型に隠されたヘタ地」として、「庭」にアプローチしました。《代田の町家》には写真を確認する限り、カーテンレールがついていないようですし、実際まえを通ってみると、現在住まわれている方もカーテンをつけていないようで、第一のアプローチは今でも有効性がありそうです。では第二のアプローチはどうでしょう。ヘタ地は隠されてしまっていて、だらしなさがない。この点が《コート・ハウス》や《西所沢の住宅》と大きく異なる気がします。
 こう考えていくと《中野本町の家》はもしかすると、「中庭化されたヘタ地」なのかもしれませんね。閉鎖的な中庭であれば、住民はだらしなさを外に開くことなく生活ができる。庭の管理もそうですが、あるいは裸で暮らすとか。でも、住宅を開いていくと、それがどんどん難しくなっていきますよね。中庭の持つだらしなさや、ヘタ地のだらしなさを踏まえながら、住宅においてどこまで開いていくことができて、どこから閉じていくと良いのかを考えていくことができるといいのかもしれません。
 ちなみにこの前《梅林の家》(2003年)のまえを通ったのですが、都市にひらかれながら、だらしなさもある、印象的な住宅でした。次回はこの辺りからはじめましょうか。

寺田

★1 後藤暢子・後藤幸子・後藤文子+伊東豊雄『中野本町の家』住まいの図書館出版局、1998年、22・72頁
★2 坂本一成・多木浩二『対話・建築の思考』住まいの図書館出版局、1996年、44頁
★3 坂本一成『住宅−日常の詩学』TOTO出版、2001年、61頁 

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