見出し画像

写真ってなんだろう。ソール・ライターと、平間至と。

過日、渋谷ヒカリエホールで同時開催されていた「ソール・ライター展 ニューヨークの色」と、「平間至展 写真のうた」へ。

慌ただしくしていたり、体調が思わしくなかったりで、展覧会へ行くのは久しぶり。

アンニュイガール。

プロのカメラマンにもファンが多い(印象がある)ソール・ライター。

余白が多くて、観る者の想像力を柔らかく刺激してくる。
ライターの写真を見るのは初めてではないけれど、いつも「そんな角度から、世界を見たことがなかった」とハッとする。

「ほら、ここから覗いてみて。こっちも。美しいでしょう」
そんな風に、声をかけられているような気がするのだ。

カラースライド

ファッション誌『ハーパーズ・バザー』の写真やカラースライドを10面もの大きなスクリーンに投影する演出など、見どころの多い展示だったと思う。

マース・カニングハム

わたしが好きだったのは、アメリカのダンサー、マース・カニングハムの若い頃のポートレートと

マルセル・デュシャン

マルセル・デュシャンのポートレート。

そうか、ポートレートとは単にモデルを正面から撮影することではなく、その人の内側にあるものを引き出す技術なんだ。

そして平間至さん。
昨年、六本木のフジフイルムスクエアでも展示されていた作品+αな展示。
あのとき、会場に普通に平間さんがいらしてびっくりしたっけ。

NO MUSIC, NO LIFE?


平間さんといえば、タワーレコードの「NO MUSIC, NO LIFE」のポスターに代表される、アーティストの写真。

平間さんの写真は熱気を帯びていて、ときどき、静止画なのにうるさい。
爆音が聴こえるような気がするのだ。
※あれもこれも、個人の感想です。

この「Cut」2冊、いまでも持ってる。

わたし自身がいちばん音楽を聴いていた頃、色んなLIVEに足を運んでいた頃の写真がたくさん飾られていて、初めて“エモい”を体感した感覚。

写真は記憶と紐づいている。

昔、ハナレグミを目当てに行ったライブで、シークレットゲストとして忌野清志郎が、また別のときには矢沢永吉が登場して、あまりの衝撃とカッコ良さに心臓が止まりそうになったことも思い出した。

フォトスポットで映り込んでみた

改めて写真ってなんだろう、と思う。
記録として、記念に、作品として、撮る人にとっていろんな側面があるだろう。

だれでもスマホで気軽に映像が撮れる時代だからこそ、映像だったらそのまま流れて目にも留まらない一瞬を切り取る楽しさや、価値があるなぁと思う。

川崎水族館で食べたピラルクのカレー。
高いなー、と思いつつ頼まずにいられなかった

わたしは日記的に食べたものを撮ることが多い。(別にたくさん“いいね!”が欲しいわけではない)

今はもうない、浅草「アンヂェラス」の“アンヂェラス”

写真を見返すと、単に美味しい、まずいだけでなく、その日どこへ行き、誰と会ったか、どんなことを感じたかが蘇る。
毎日違う場所へ行き、違う人に会う仕事が多いわたしにとって、記憶を辿るために欠かせないものだ。

この日の記憶も、きっと写真を見返すたびに蘇る

一方で、自分が被写体になるのは大の苦手。

もしもこのまま私が召されて、遺影が必要になったら、わたし自身を会場の中央に飾るようなことはしたくなくて、わたしが好きなものの写真に囲まれたいなぁと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?