『凪のお暇』で“キライ”を噛んで味わう。
どうやら疲れてるみたい。
もしかしたらいまちょっと、しんどいかも。
なんとなく自覚はありつつも、そのままやり過ごしてきたこの数年間。
「そろそろ“お暇“が必要なのかもしれないなぁ」
『凪のお暇』(コナリミサト)を読んでいたら、ふとそんなことを思いつく。
ラジオで紹介されていたのをきっかけに、思い立って1巻から最近出た10巻まで一気読みしてみたのでした。
「お暇(おいとま)」とは、別れる、一時的にその場から離れるなどの意味を持つ言葉。
常に空気を読みまくり、自分を押し殺して生きていた主人公・大島凪はある日、恋人の自分に対する陰口を耳にしたショックから、会社で過呼吸になりぶっ倒れてしまう。
「空気は読むものじゃない。吸って、吐くものだ」
息も絶え絶えになりながらそう悟った凪は「お暇をいただく」べく、そのまま会社を辞め、三軒茶屋(世田谷区)から立川市へひっそりと引っ越してーー。
ドラマでこの物語を観ていたとき、いいなぁ!と心底羨ましかったのを思い出す。
いまの自分には、凪のように仕事も交友関係も何もかも捨てて、だれも知らない場所にある、エアコンもない和室四畳半一間の部屋に飛び込んでいく勇気(と体力)は到底ないもの。
次の仕事が見つけられず、貯蓄額がどんどん目減していっても折れない凪。
隣人・ゴン、元カレ・シンジに翻弄されながらも、ちゃんと自分で悪い魔法(恋は“悪い魔法”だと思っている。笑)を解く凪。
新天地で、2度目の豆苗のようにすくすく、のびのびと生きる凪。
凪も魅力的だけれど、同じアパートに暮らす人たちの暮らしは、慎ましくとても豊かで素敵。
個人的には、母子家庭育ちでお母さんがラスボス、という点にも共感してグッと引き込まれるのだけれど、ゴンが凪ちゃんに言ったひと言「キライなことを口に出して自覚すると、ラクになることはあると思う」にハッとした。
“キライ“という感情はとてもネガティブで、いやなもので、情けなくて、キライな対象が近ければ近いほど、自分のなかにあることを認めたくなくなるけれど、キライなものはキライ。
肉親だろうが、合わないものは合わない。
それはもう、仕方がないことなんだよなね。
いったん認めて受け入れないと、キライな人のなかにあるいいところも見えないし、「意外とスキかも」となることもないんだよなぁ。
たぶん、空気を読みまくって「キライだなんてそんな!むしろスキですし」というふりをすればするほど、今度は自分のことがキライになる。
とっくに知っているのに、わかっているのに、また新しくキライな対象が現れると忘れてしまう。
そうか、わたしはここのところ、ちょっと周りにキライなこと(人だけじゃなくて)が増えて疲れていたのか。
このコロナ禍も一向に終息する気配がないし、似たような環境にいる人、多いんじゃないかな。
凪のように丸ごと生活を変えることはできないけれど、ときどき“お暇”をいただく、新しい方法を模索したいなぁ。
ドラマではアパートが取り壊され、凪を含むすべての住人がそれぞれ新しい道へ進む、という結末だったけれど、原作ではラスボス・お母さんにしっかり立ち向かっていて先が気になるところ。
たまに漫画喫茶にこもってまとめ読みをする“お暇”もあり、だな。
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