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井上さんの仕事から、特撮美術を学ぶ。

過日、東京都現代美術館で開催されている「生誕100年 特撮美術監督 井上泰幸展」へ。

前に六本木の新国立美術館で庵野秀明展を観て以来、ちょっと特撮に興味が湧いたもんで、
シン・ウルトラマンを観る前に、円谷作品を支えた井上泰幸さんのことを知りたいなと思ったのだ。

会場にはスケッチやデザイン画、絵コンテ、記録写真や資料、実際の撮影で使用したミニチュアやプロップなどが展示されている。

わたしが行った日、訪れていた人の多くは、庵野秀明展同様、“元少年”たち。
子どもの頃、夢中になって特撮作品を観ていたのかな。

「すごい、特撮作品ってこんな風につくっていたんだ。」
ほとんど特撮に触れずに大人になったわたしにとっては、目から鱗が落ちることばかり。

※わたしにはよくわからないんだけれど、会場の一角に井上さんが携わった作品の台本がむき出しの状態でずらりと展示されていて、
横を通りがかった方が「これがガラスケースに入っていないなんて……。これを観られただけでも来た甲斐があった」と呟いておられました。

キービジュアルはシン・ウルトラマンの樋口真嗣監督がデザイン。

井上さんは、なんというか、ガッツがある人だ。(ガッツとか、死語かも)
佐世保海兵団に入隊した1944年、機銃掃射を受けて被弾し、左膝下を失う。
このとき、井上さんは22歳。

終戦後、義足訓練を経て小倉の傷痍職業訓練所の家具工藝科で家具製作を学ぶ。
ここからがまたすごい。
上京して就職した井上さんは大学進学を目指し、働きながら高校に通い、28歳で日大藝術学部に入学する。
大学ではバウハウスで学んだ建築家・山脇巌に師事し、デザインや設計を学ぶ。

やがて新東宝の美術スタッフになり、そこでつくっていたミニチュアの正確さやセンスを見込まれて東宝撮影所へ入社、ゴジラなどヒット作を手がけ……と、経歴を文字だけを追えば華やかで、とんとん拍子のように思えるが、傷痍軍人は差別されることも多く、足を失っていることを隠していた時期もあったようだ。

戦争を乗り越え、もののない時代を生き延びた先輩たちの逞しさにふれるたび、自分は足元にも及ばないなと思う。

井上さんの仕事は細やかだ。
舞台となる場所はきっちりロケハンし、多角的な視点から光景をとらえた上で製図を引き、正確かつ精巧なミニチュアをつくり上げる。
展示されているラフスケッチの脇には各素材ごとに予算がこまごまと書き込まれていて、几帳面な人だったんだなぁと感心する。

作品のなかで唯一、「ラドン」の「西鉄福岡駅周辺ミニチュアセット」を撮影することができた。
『ゴジラ対ヘドラ』も“シン”化しないだろうか。ふとそんなことを思ってしまった。

元少年たちが撮りまくっていた「ラドン」の「西鉄福岡駅周辺ミニチュアセット」。

井上さんは「ミニチュアではなく、本物を作っているんです」と話していた。
単に数100分の1の街の模型を作っていたのではなく、そこに流れる空気感、臨場感を再現していたのだなぁ。

自分も、そんな仕事がしたいなと思う。

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