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「マイスモールランド」。ちょっとだけ真剣に考えてみる。

知らないこと、身近ではないことに関心をもつのは、むずかしい。
でも、知ろうとしなければ一生知らないままで終わってしまうこと、
大切なことなのに学校では教わらないこと、ニュースやネットだけでは正しい情報が得にくいことが、どれだけあるんだろう。
最近よく、そんなことを考える。

たとえば「マイスモールランド」に描かれている“難民”問題もそう。

平和ぼけ丸出しのわたしは恥ずかしながら、スリランカ出身女性のウィシュマさんが亡くなったニュースで初めて入国在留管理局(入管)というものの存在を認知した。

この映画の主人公サーリャは、家族で埼玉に暮らすクルド人の高校生。
作中でサーリャの父親は、難民認定申請が認められず、ついには入管に収容されてしまう。

“難民”ってすごく雑な言葉だ。
文字だけでは意味がひとつも伝わらない。

「難民の地位に関する条約」では、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れた」人々と定義されている。

日本では、難民申請が不認定になり「在留資格」を失った場合、「仮放免」とされ、家族も含め就労活動が認められず、県外へ出ることも許されない。
仮放免になると国民健康保険も取り上げられてしまうため、病院で診察を受ける際は自費で診療を受けなければならない。

理由はさまざまだけれど、命からがら祖国を逃れた人に、働かずに食べていけるほどの蓄えがあるとは思えない。

パートナーを亡くし、ひとりで工事現場で働きながら3人の子どもたちと暮らしているサーリャの父親。
突然仕事を失ったら、家賃も光熱費も払えなくなってしまう。
子どもたちを、生活を守るためにも仕事を辞めることはできない……結果として、“不法就労”せざるを得なかったサーリャの父親は、逮捕され、入管施設に収容されてしまうのだ。

映画を観ながら、観たあとも、
いろんな考えが頭をぐるぐるしている。

UNHCR Japanによると、紛争や迫害によって祖国を追われた人の数は8000万人以上。全人口の1%に値する。
一方、日本における難民認定率は1%未満。
針の穴をくぐるほどに“狭き門”。

友達の前では「ドイツ人」ということにしているサーリャのように、自分のルーツを堂々と語れない子どもたちが、日本にもたくさんいる。

なんでこんなことに、なっているんだろう。
なぜ、命からがら逃れてきた人の生活が、人権が守られないんだろう。

いくら考えても、答えは出ないままだ。

いまも日本で難民認定を待っている人が、大勢いる。
ロシアによるウクライナ侵攻で家や家族を失い、祖国を追われた人々が、たくさんいる。

今さらかもしれないけれど、せめていま起きていることくらいはちゃんとわかっておきたい。
そう、思う。

ネズミモチの花。(意味もなく花を添えてみる)

◇ ◇     ◇ ◇     ◇ ◇

少し、ズレるけれど。

監督の川和田恵真さん、サーリャを演じた嵐莉菜さんはいわゆる“ミックスルーツ”だ。
プレスリリースによると、オーディションの際に川和田さんが「あなたは自分を何人だと思う?」と質問したところ、
嵐さんは「自分は日本人だと思いたいけれど、周りはそうは見てくれない」と答えたという。

作中、サーリャの外見を、友人が羨むシーンがある。
その言葉には悪意はないし、きっと、心から「かわいい」と思っているからそう言っただけなんだと思う。
でも、何気ない言葉がナイフになり、じわじわと小さな無数のキズをつけていく。

これが、アンコンシャス・バイアス。

わたしにも覚えがある。
というか、ありまくりすぎて、穴に入りたい…。


ともかく。
知ったからには、もう無関心ではいられなくなった。

いい、映画だったな。
何年か経ってからもう一度観てみたい。

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