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トカラ列島・野宿ひと月〜悪石島、小宝島

トカラ列島をご存知だろうか。

鹿児島と奄美大島の間に点在する島々で、160kmの間に人が住んでいる島は7つ、大きいところでも人口は200人に満たず、最小の小宝島は面積1㎢、人口50人弱だ。島への交通は週2往復の村営船のみという、日本の秘境である。

2009年の皆既日食では、日本で最も長い時間日食が見られることと、それを見にきたハイパーメディアクリエイターとその当時の新妻の、色々と飛んでしまった女優さんで話題になったものの、大半の人はご存知ないかと思う。

20年前、大学4年の頃、父が持ち帰った離島の小冊子の中にこれら島々があり、特に、名前からしてタダゴトではない「悪石島」の、これまた「ボゼ」という、”ポリネシアンなまはげ”とでもいうべき奇祭の写真が私の心を一瞬で掴んだ。

ボゼは盆の終わり、あの世とこの世が交わる時期に行われるお祭りで、ハレの世界から人々を日常に戻すためにやってくる来訪神の名前でもある。目を引くのはその仮面装束で、その巨大な面は、上は長く幅広いフェネックの耳のようなものが連なり、下は胸の下まで広がる前掛けのような形、色は茶に黒の縦筋、そこに真紅の目と大きな口がついている。体には、ビロウというヤシの一種の細長い葉を束ねた緑の衣を纏っており、その姿は古い南方原住民のシャーマンのようで、その名と同じくらい和の痕跡を微塵も感じない。

手には「マラ棒」という細長い棒を持ち、村人を追いかけ回す。突かれた人は悪霊が退散し、マラ棒だけに子宝に恵まれるというが、小さな子供はトラウマ級に泣き叫ぶそうだ。そこはなまはげに似ている。

こんなところは学生の時でない限り行けない。ボゼの時期は無理そうだが、何とか行くことにした。

計画的に授業を休み3週間強を捻出

大学の授業の最低出席日数から計算すると、祝日の多い10月に絡めると1ヶ月弱は旅に出られそうだ。暑さも落ち着き寒くもない、南の島で野宿するにはちょうどいい頃である。歩いて回れる小さな島だから、飛行機代と船代以外の交通費は殆どかからない。キャンプも温泉も無料、食費は30日で1万円もかかるまい。10万円もかからなかったと思う。

当初、悪石島と小宝島の2島に行くはずだったが、結果としては思いがけず4島行くことになった。

乗るはずの船を見送る鹿児島港

屋久島の時と同じく羽田から鹿児島空港に飛び、バスで1時間かけて鹿児島港に向かうのだが、接続が絶妙にギリギリだ。運に頼む心を内に潜めつつ、港に急行したものの、船はすでに港をわずかに離れていた。次の便は3日後だ。

念の為プランは考えてあった。翌日の奄美大島行きフェリーに乗れば、島を点々とする村営船を追い抜いて、奄美で折り返しの便に乗れる。そんな訳で鹿児島港と奄美大島で1泊ずつ野宿した。時間の余りある学生にとっては、こんなアクシデントも旅である。

やっと悪石島に

予定より2日遅れて目的の島に着いた。温泉脇のキャンプ場が定宿だ。もとより小さな島なので、野宿できるのはそこしかない。温泉は目の前に沸いていて無料で入れた。温泉といっても沸かしていたから、営業時間が過ぎた夜の10時には湯が冷めて寝るしかなくなる。

数十人の島には警察なんてものはなく、よそ者が変な時期に長居しているので、村の治安担当だというおっちゃんが様子見も兼ねて話しかけてきたが、それ以外は何もなく淡々と時間が過ぎた。

店の無い離島でどう食べ物を手に入れるのか

島には店がない。食材はどうするのかというと、島の人に頼んで漁協で買ってもらうのである。ちょっと地方の人なら生協のシステムに馴染みがあると思うがあれと同じで、マークシートで発注したものが次の村営船で届くのだ。

何を食べていたかというと、朝はりんごとバナナとキウイのローテーション、昼はコーンフレーク、夜はパスタを茹でてそこに梅干しを一粒溶かした「梅干しスープパスタ」という、判で押したような食事を修行のようにほぼ1ヶ月続けた。

毎晩の梅干しに飽きて、一度海水で試してみたら、しょっぱ過ぎて食べられる代物ではなかった。もし遭難しても海水を飲んではならない。

小宝のハズが宝島

残り1週間ほどとなった頃に小宝島へ。日中の船で1時間半ほどかかる。久々の人工物に安心して、船室で少しまどろんでいたが、港に着く騒がしさで目が覚め、外を見ると小さな島が見える。いよいよあれが小宝島だと見ていると、どうも島が徐々に小さくなっていくようだ。聞くと、波が高かったので、手早く荷物を下ろし、予定より早く離岸したという。乗り遅れの次は寝過ごしである。

まあ、時間ならある。行く島が1つ増えるだけ、これもまた旅。そんなわけで宝島に泊まり、またも折り返しの船で小宝島についた。

ホントに小さい小宝島

島は1㎢の広さで、道路を10分も歩けば一周してしまう。面白くないから外周でも探検したら死ぬかとおもった。

最初は普通の岩場だったが、徐々に崖となり、そのうちに、木の根が辛うじて支えている断崖の風穴みたいなところを、根を掴みながら歩くようになってきた。数十メートルはある断崖で、下を見ると外洋のためか、見たことのない大波が次々と岸壁に打ちつけている。落ちたら死ぬのは明白だ。既にだいぶ悪路を進んでいて、戻るにもそれなりに距離がある。ええい、行けばわかるさ迷わず行けよとばかりに進み、運よく道に戻ることができた。

小宝島が良かったのは岩場に湧く温泉に一晩中浸かっていられることである。沸かす必要のない温度で湧いている。この温泉に浸かって岩に頭を乗せると果てない星空が広がっている。空を遮る高い建物も街の明かりもなく、大気も澄んでいるこの空よりも純粋な星空があるだろうか。そんな空をみて、毎晩3時間くらいは湯船で思索に耽っていた。

遭難者のようになって帰還

あっという間に1ヶ月弱が過ぎた。来たときはまだ夏の暑さであったが、11月も近くなると、さすがに秋の風となる。

果物、コーンフレーク、梅干しスープパスタの生活を1ヶ月続けた結果、元から痩せてた体重は49kgを切った。常に上半身裸の短パン一丁だったので全身は真っ黒、髭も髪も伸び放題、海で遭難した人のような風貌だった。

帰りの船は、最後の正直で予定通り乗れた。

晴読雨読、温泉、思索

小さな島では本を読むくらいしかやることがない。日の出とともに目を覚まし、陽光の下でただ本を読み、日が沈めば本を閉じ、湯船で星空を見ながら3時間ほど思索して寝る。それだけだ。

そもそも本が好きで文学部しか受けず、好んで哲学科を選んだ人間なので、そんなことは苦にならない。古典を中心とした分厚い文庫本を20冊以上、バックパックに詰め込んでいった。何を持っていったかはもう覚えてないけれど、ルソーはこの時まとめ読みした記憶がある。少なくとも『告白』はドラマとしても面白いよ。教科書に載っているからといって、マジメくさった人かと侮ってはいけない。

大部の名作を読み切るにはいい時間だったが、それでも時間があり過ぎて、帰京を待たずして全て読み終わり、何冊かはもう一回読んだくらいだった。もし今後、離島で1ヶ月ほど野宿する人がいるならば、30冊の古典を持っていくことをお勧めしたい。

まあ、それらの読書と思索が今何になっているかはよく分からないけれど、本を読むときに、役に立つかどうかしか考えないような了見は、それはそれで薄っぺらくないだろうか。

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