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ゆるくつながる技術-4.場をつくる

良い形でつながりをつくり、わらしべ長者的にコトを形にしていくと、人生が思いがけず愉快な方向にシフトしていく気がします。

「普通の人」が、そうしてご縁の輪を広げる、ちょっとした基本行動について書いてみます。

前回は、Giveを積極的に形にする方法としての「困りごとを拾う」について書きました。

今回は、つながる仕組みとして「場を主催する」ことについて。

マッチングの仕掛けとしての「場」

ご近所コミュニティを立上げた後、色々な人と知り合うようになり、人つなぎもどんどん進めていきました。

しかし、日中仕事のあるサラリーマンの立場で、個々にアレンジしていると、手間も時間もお金も、程なく限界を迎えることに気づきます。

そこで、まとめて人と人とをつなげるために、交流会を開催することにしました。

やってみると、他にも効果があることに気づきます。

まず、会のご案内という連絡の「口実」があることで、自然にコミュニケーションを継続しやすくなりました。

さらに、その場が面白くてまた来てくる人は、リピートの際に、その場に相応しい人を連れてきてくれます。

こうして、あまり工数も時間もお金もかけずに、ゆるくつながる仕掛けが出来上がりました。

非社交的な私が、なぜ集まりをできたか

私は元々、好んで文学部に入って東洋哲学を選択し、一人でユーラシアを陸路で横断したり、離島で1ヶ月近く野宿していたような人間です。

付き合いの幅も極めて狭く、飲み会の幹事すらやらなかったのに、なぜそんなことを飽きずに出来たのか。

理由の1つは、Giveしたいと思える相手しか呼ばなかったこと、もう1つは、人と人とがつながるダイナミズムの面白みを感じたからでしょう。

あと、寿司屋で意気投合した、自分の弱みを補完してくれるパートナーが心の支えになったことも、継続を支える力となりました。

逆に、5年ほどして人が増え過ぎ、よく分からない人が目立つようになったことで、気持ちが萎えてしまいました。

このように、主催に社交性は関係ありません。何がツボかは人によって異なるので、自分の原動力や性質を見極め、そこを外さないようにすることが、継続のポイントだと思います。

場の始め方

人を集めるといっても、何から始めればいいか、未経験者はそれだけでも気が重くなります。

継続するコミュニティをつくるには、最終的に、その場が何のためにあるのかという「旗」、そのために、どんな人々が、どんな活動をするのかという、「ヒトの軸」「コトの軸」を明確にし、整合させる必要があります。

もちろん、いきなりまぐれ当たりでもしない限り、最初から全てが噛み合うことはまずありません。

よって最初は、ヒトかコトか、シンプルに何か1つに絞って始めます。

1)「ヒト」先

自分の周りの面白そうな人間を数人引き合わせてみるパターン。

集まりにおける最大のコンテンツは、何だかんだいっても「人」だったりします。平凡な主催者ごときの企てより、面白い人同士の化学反応の方が、よほど思いがけないことがおこるもの。

名目は適当でも構わないし、場所も普通のカフェや居酒屋で充分。面倒は気が重くなり腰を重くさせるので、特別なアレンジは不要です。

やってみてイマイチならまた別の組み合わせや企画をすればいいやくらいに、気軽にやりましょう。

2)「コト」先

活動内容を先に定め、その内容に興味を持つ人を集めるパターン。

「この指とまれ」で集めるので、メンバーの参加動機の整合性を取りやすいです。

コミュニティは、ノリや目的が噛み合わない人が交じると長続きしません。

見境なく多くの人を集めてから共通の旗を見出すのは、現実的には不可能です。

たとえヒト先でも、少数のコアな人たちの段階で、方向性を決めていくことになります。

つながりは、あくまで「基礎」

よく、「人脈があれば色々できますね」と言う人がいますが、世の中そんなに甘くはありません。

「人脈」という言葉自体、鉱脈、金脈、水脈など、採掘する側が一方的に得をする思惑を含む、ある種品のない表現で、私は間違っても使いません。

つながりは、あくまで建物の基礎のようなもの。

何かしようとして、人に協力を得ようとする時、知っている人、信用残高がある人の方が、いざとなれば力になってもらえる確率が高くなりますが、その程度。

そもそも、自身の実現したいことがなければ意味がありません。

過度に期待せず、というか、見返りを期待自体するのもでもありませんが、そんな程度と考えておくのが、現実的です。

次回は、そのような注意点について整理します。

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