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【永久保存版】1934年のW杯初出場からユーロ2021まで:ドイツ代表🇩🇪ユニフォームのすべて

—— 以下、翻訳 (ドイツ『tz』紙の記事全文)

ドイツ代表は、1934年から主要な国際大会に出場している。代表チームは毎回、新たな装いでプレーしてきた。その中には、大胆なデザインに挑戦したことも。

その長い歴史の中で、ドイツ代表は数多くのタイトルを獲得してきた。4度のワールドカップ優勝(1954年、1974年、1990年、2014年)、3度の欧州選手権優勝(1972年、1980年、1996年)に輝いたドイツ代表チームは、世界で最も成功を収めた代表チームのひとつだ。

ドイツが誇る優秀なサッカー選手たちは、数年ごとに新しいユニフォームに袖を通してプレーした。そこでは、それぞれの時代の流行も顕著に現れている。ドイツ代表は必ずしも常にスタイリッシュというわけではなかった。1934年以降、ドイツが参加したワールドカップと欧州選手権の全大会における代表チームのユニフォームを紹介しよう。

🥉1934年ワールドカップ・イタリア大会🇮🇹

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1930年にウルグアイで開催された第1回ワールドカップでは、ドイツ代表はすでに出場権を確保していた。しかし、当時、南米へ船で移動するには最低でも2週間以上かかり、高額な費用が発生した。そこで、他のヨーロッパのいくつかのチームと同様に、ドイツ代表チームも派遣中止を決定した。その代わり、ドイツ代表は1934年のワールドカップ・イタリア大会で、白のジャージに黒のショーツ、黒と白のソックスで初めてメジャー大会に出場した。だが、この大会、準決勝でチェコスロバキアに1-3で敗れて敗退した。

1938年ワールドカップ・フランス大会🇫🇷

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1938年にフランスで開催されたワールドカップでは、ドイツ代表チームは4年前と同じように、襟紐付きの白いジャージと黒のパンツで戦った。この大会は、ナチスの独裁政権の影響下にあった。オーストリアがドイツ帝国に併合されたことで、ドイツとオーストリアの選手で混合チームが構成された。だが、「大ドイツチーム」が全く調和することはなかった。異様なチーム編成を余儀なくされたサッカー選手たちの間には、嫌悪感や不信感があった。その結果、1次リーグ(現在のベスト8)で敗退し、W杯史上2番目に悪い結果となってしまった。

🏆1954年ワールドカップ・スイス大会🇨🇭

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第二次世界大戦後、まず西ドイツは、1950年のブラジル開催のワールドカップから除外された。だが、その後、西ドイツ代表がワールドカップへの参加が再び認められたのは、4年後だった。1954年にスイスで開催されたワールドカップで、キャプテンのフリッツ・ヴァルターとそのチームメイトたちは、いまなお伝説に残る「ベルンの奇跡」を成し遂げ、西ドイツにとって初のワールドカップタイトルを獲得したのだ。ベルンの英雄たちは、白いジャージに黒のアクセントをつけていた。襟は1930年代のような深いVネックではなくなったが、襟紐は残していた。黒のパンツは当時からお馴染みだ。

1958年ワールドカップ・スウェーデン大会🇸🇪

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1958年のワールドカップ・スウェーデン大会で、前回王者は装いを変えて登場した。西ドイツ代表は、それでも襟紐のデザインを無くすことはなかった。しかし、襟元の黒のストライプは、4年前よりもさらに目立つデザインとなった。準決勝で西ドイツは、開催国のスウェーデンに3-1で敗れてしまった。3位決定戦のフランス戦も3-6で敗れ、西ドイツは4位となった。

1962年ワールドカップ・チリ大会🇨🇱

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西ドイツ代表チームは、初めて欧州大陸以外での主要な国際大会に参加した。1962年のワールドカップ・チリ大会でも、チームのファッションは変わらない。スウェーデンと同様、ジャージは白のままで、伝統的な紐付きの襟には深いVネックラインと黒のストライプが施されていた。グループステージを勝ち抜くも、準々決勝で西ドイツは、ユーゴスラビアに1-0で敗れてしまった。

🥈1966年 ワールドカップ イングランド大会🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿

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1966年のワールドカップ・イングランド大会で、西ドイツ代表は新たな装いを発表した。サッカーの母国イングランドで、西ドイツ代表チームはワールドカップで初めて襟紐をつけずにプレーした。白のジャージに丸いネックラインの黒色がアクセントとなり、まるでTシャツのようだった。黒のパンツは従来通りだ。西ドイツは決勝進出を果たしたが、伝説の「ウェンブリー・ゴール」を決められ、開催国イングランドを相手に延長戦で4-2で破れた。

🥉1970年ワールドカップ・メキシコ大会🇲🇽

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その4年後には、ラウンドネックがややVネック気味に変わった。代表ジャージの首と袖に施されたおなじみの黒のストライプは、1970年のメキシコ・ワールドカップでは、以前よりも少し幅が広くなった。新ユニフォームを着用したチームは、グループステージを突破した後、準々決勝でイングランドにリベンジを果たし、3-2で勝利した...。

1970年W杯:緑のユニフォームを身に着けたドイツ代表

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... そして迎えた準決勝で、西ドイツ代表はまさかの敗退を喫した。イタリア戦は、延長にもつれ込む3対4の死闘となり、世紀の一戦として歴史に刻まれた。緑のアウェイ・ジャージは、幸運のお守りとはならなかった。

🏆1972年欧州選手権・ベルギー大会🇧🇪

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1972年、西ドイツ代表が初めて欧州選手権の決勝大会に出場した。司令塔のギュンター・ネッツァーを中心とした西ドイツの誇る強力なチームが、欧州選手権のタイトルを獲得した。決勝戦では、ソ連に3対0で快勝し、まったくつけ入る隙を与えなかった。ジャージはラウンドネックで、ベースはお馴染みの白に、黒のアクセント付きだ。

1972年欧州選手権:ベッケンバウアーを中心とした代表チームを成功へと導く緑

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現地の専門家の中には、1972年の代表チームが歴代最強との声もある。緑色のアウェイユニフォームは定着し、ベルギーで開催された欧州選手権でも着用されて、成功を収めた。

🏆1974年ワールドカップ・西ドイツ大会🇩🇪

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1974年に西ドイツで初めて行われた自国開催のワールドカップで、西ドイツ代表チームは2年前の欧州選手権で優勝したときと同様に、ラウンドネックの襟を採用した。これが幸運をもたらした。フランツ・ベッケンバウアーとそのチームメイトは、西ドイツにとって史上2度目となるワールドカップタイトルを獲得したのだ。ミュンヘンのオリンピアシュタディオンで行われた決勝戦で、西ドイツ代表はオランダ代表を相手に2対1で勝利した。

ドイツ代表は1974年のW杯でも緑のアウェーユニフォームを着用

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1974年のW杯西ドイツ大会では、ドイツ代表チームも緑色のアウェイユニフォームを着ることがあった。白と黒のホームユニフォームと同様に、ラウンドネックで、首と袖には白のストライプが入っていた。西ドイツ代表の選手たちは白いパンツを着用していた。

🥈1976年欧州選手権・ユーゴスラビア大会

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また、1976年にユーゴスラビアで開催された欧州選手権では、西ドイツ代表は、お馴染みの白地に黒を加えた装いで決勝まで勝ち上がった。だが、チェコスロバキアとのPK戦では、不運にもウリ・ヘーネスの蹴ったPKがクロスバーを越え、ベオグラードの空に打ち上がる。結果、5-3で敗れた。

1978年ワールドカップ・アルゼンチン大会🇦🇷

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ファッション面では、1978年のアルゼンチン・ワールドカップで西ドイツ代表は新たな試みを行った。代表チームのジャージは、Vネックの大きな襟が特徴的で、70年代後半の典型的なスタイルだった。黒は控えめで、白が再び目立つデザインとなった。

1978年ワールドカップ:"コルドバでの恥 "西ドイツ、オーストリア戦で散る

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また、セカンドユニフォームは、緑を基調に、襟と袖に白のストライプが入っていた。戦績の面では、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会で西ドイツ代表は失態を演じた。格下オーストリアに3-2で敗れ、2次リーグでの敗退が決まった。今でも「コルドバでの恥」と語られるものだ。

🏆1980年欧州選手権・イタリア大会🇮🇹

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1980年にイタリアで開催された欧州選手権では、西ドイツ代表のジャージは次のようなものだった。代表ユニフォームの袖には、初めてアディダスの三本のストライプが描かれた。それ以外に大きな変化はない。基本の色は白のままで、襟はややVネック気味で、黒のストライプが入っている。戦績においても、代表チームは輝きを放った。3回目の欧州選手権の決勝進出となり、史上2度目の優勝を果たしたのだ。

🥈1982年ワールドカップ・スペイン大会🇪🇸

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このアディダスのストライプは、1982年にスペインで開催されたワールドカップの代表チームのジャージにも使用された。1980年の欧州選手権で優勝したときと、装いはほとんど変わらない。白地に黒のVネック、黒のパンツ。イタリアとの決勝戦は、西ドイツ代表にとってノーチャンスで、3-1で敗れた。

1984年欧州選手権・フランス大会🇫🇷

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西ドイツ代表の控えめな黒のVネックをあしらった白ジャージは、1984年にフランスで開催された欧州選手権でも着用された。しかし、ストライカーのカール=ハインツ・ルンメニゲとそのチームメイトは、この大会でグループステージを突破することができなかった。

🥈1986年ワールドカップ・メキシコ大会🇲🇽

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1986年のメキシコ・ワールドカップで、西ドイツ代表や新星ローター・マテウスは、より良い結果が得られた。襟と袖にドイツ国旗の黒赤金を初めて配した新たなジャージで、彼らは決勝まで勝ち進んだのだった。

1986年W杯決勝:西ドイツの緑のユニフォームはマラドーナに幸運をもたらす

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決勝で西ドイツは、当時のスーパースター、ディエゴ・マラドーナ擁するアルゼンチンに3-2で惜敗した。1986年のワールドカップ決勝、フランツ・ベッケンバウアー率いる西ドイツ代表は、緑のアウェージャージを着用していた。

1988年欧州選手権・西ドイツ大会🇩🇪

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1988年に西ドイツで開催された欧州選手権では、西ドイツ代表チームはより大胆に国旗をあしらったデザインを着用した。黒赤金が白のジャージに際立っていた。今でも代表ユニフォームの中では人気のデザインだ。しかし、ロナルド・クーマンは違っていた。準決勝の西ドイツ戦で2-1の勝利を収めると、試合後、このオランダ人ディフェンダーはオラフ・トーンとジャージ交換をした。その後、西ドイツのジャージで尻を拭く仕草をした。これが当時、大きな波紋を呼んだ!

🏆1990年ワールドカップ・イタリア大会🇮🇹

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ドイツ代表チームのジャージは、1990年のワールドカップ・イタリア大会でも、2年前の欧州選手権の時と同じものが使用された。そして、ドイツが史上3番目のワールドカップタイトルを獲得したことで、幸運をもたらすユニフォームとなった。

1990年ワールドカップ・イタリア大会 - アウェイユニフォーム

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ドイツのアウェイユニフォームは、1990年のワールドカップでも、1988年の欧州選手権で着用したものと同じだった。 これまでと同様、グリーンを基調としたデザインだ。しかし、よりモダンで、まるで3Dのような柄であった。

🥈1992年欧州選手権・スウェーデン大会🇸🇪

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ワールドカップ優勝から2年後、ドイツ代表と新監督ベルティ・フォクツは、スウェーデンで開催される1992年の欧州選手権に優勝候補の本命として臨んだ。代表のジャージは1988年から90年のモデルをベースに、黒赤金の国旗の柄が大きく取り入れられた。とはいえ、それも当時は袖だけだ。

1992年欧州選手権:決勝でデンマークに敗北

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黒赤金の国旗色は、グリーンのアウェイユニフォームにも描かれている。しかし、ドイツは1992年の欧州選手権決勝で、ダークホースのデンマーク相手に2-0で敗れ、苦い思いを経験した。

1994年ワールドカップ・アメリカ大会🇺🇸

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ドイツのジャージのデザイナーは、明らかに国旗の要素を好んでいた。1994年のワールドカップ・アメリカ大会、ドイツ代表選手たちは、白を基調としながらも、胸には黒赤金のパッチワークがはっきりと見える装いでプレーした。これはパンツにも言えた。好みが分かりやすい。大会の結果は、1994年のワールドカップは大失敗に終わった。準々決勝では、ブルガリア相手に1対2で敗れ、まさかの敗退となったのだ。

🏆1996年欧州選手権・イングランド大会🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿

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"Football is coming home "。これは、今でもサッカー史上最高のアンセムの一つだ。この曲は1996年にイギリスで開催された欧州選手権のために収録されたものだ。ドイツ代表チームは、ジャージのデザインもクラシックな装いに戻した。胸に特徴的なドイツサッカー連盟の紋章が入った、シンプルな白の代表ジャージは、かつての時代を彷彿とさせるものだった。

1998年ワールドカップ・フランス大会🇫🇷

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その2年後、再び旗が掲げられた。ドイツ代表は、1998年のワールドカップ・フランス大会で、白のジャージに黒赤金の細いラインを胸につけて戦った。しかし、準々決勝のクロアチア戦で敗退した。ドイツ代表チームは0:3で敗北してしまったのだ。

2000年欧州選手権・オランダ/ベルギー大会🇳🇱🇧🇪

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2000年にオランダとベルギーでの共催となった欧州選手権で、ドイツはさらなる不振に陥った。グループリーグは、最下位で敗退。ダークホースであるルーマニアとの対戦では1:1と接戦を繰り広げたものの、イングランド(0:1)、ポルトガル(0:3)との対戦で敗北を喫した。少なくとも、白と黒のクラシックなデザインのジャージが、昔を思い出させてくれた。

ユーロ2000:新たなアウェイユニフォームで失態を晒したくはない

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ドイツ代表チームのダークグリーンとホワイトの新アウェイユニフォームも、助けにはならなかった。2000年の欧州選手権で、ベテランのローター・マテウスをはじめとするチームメイトたちは、早々と帰国の途に就いた。

🥈2002年ワールドカップ・日韓大会🇯🇵🇰🇷

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2000年の欧州選手権での敗退後、多くの人は2002年の日韓ワールドカップで、ドイツ代表チームの前評判はさほど高くなかった。だが、チームは白と黒のクラシックでシンプルなジャージを着て、闘志を燃やしていた。ゴールキーパーのオリバー・カーンは大活躍を見せたものの、0:2で敗れたブラジルとの決勝戦では重大なミスを犯してしまった。

2004年欧州選手権・ポルトガル大会🇵🇹

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2004年にポルトガルで開催された欧州選手権に合わせて、DFBはジャージの柄を国旗に戻した。この写真のミヒャエル・バラックを見ての通り、黒と赤と金の組み合わせが袖にはっきりと現れている。

ユーロ2004・ポルトガル大会 - アウェーユニフォーム

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アウェージャージに関しては、ドイツ代表は2004年の欧州選手権の際、従来の緑から黒に変更した。ドイツ代表チームの狙いは、どこにあったのだろうか?いずれにせよ、このカラーチェンジは成功しなかった。ポルトガルで開催されたこの大会で、ドイツはグループリーグで早期敗退を喫した。

🥉2006年ワールドカップ・ドイツ大会🇩🇪

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サッカーファンにとって、2006年にドイツで開催されたワールドカップは、いまだに懐かしい思い出だろう。ユルゲン・クリンスマン監督の率いるドイツ代表は、夏のメルヒェンを演じた。白地に黒赤金の曲線がアクセントになった代表ジャージは、あっという間にドイツ全土で完売した。

2006年ワールドカップ:ドイツは自国開催の大会でシグナルカラーに赤を採用

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ドイツは、ホームワールドカップのために特別な装いを用意した。真っ赤なアウェージャージ(上はワールドカップ前の親善試合の写真)を着て、大会に衝撃を与える考えだった。しかし、準決勝のイタリア戦で敗れ、開催国ドイツのワールドカップ優勝の夢は潰えてしまった。

🥈2008年欧州選手権・オーストリア/スイス大会🇦🇹🇨🇭

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ほぼ完璧な夏のメルヒェンと言われた2006年の後、チームは欧州選手権2008のために隣国のオーストリアとスイスに向かった。白の代表ジャージには、黒の胸当てが描かれており、そこに黒赤金のデザインや背番号が表現されている。ヨアヒム・レーヴ代表監督のもと、チームは決勝に進出するも、スペインに1-0で敗れた。

🥉2010年ワールドカップ・南アフリカ大会🇿🇦

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バスティアン・シュヴァインシュタイガー、ルーカス・ポドルスキ、トーマス・ミュラー、メスト・エジルが率いる若きドイツ代表チームは、2010年の南アフリカ・ワールドカップで素晴らしい攻撃的なサッカーを披露し、ファンの心をつかんだ。また、黒赤金の縦長の細い国旗模様という、ややクラシカルな代表ジャージも好評だった。

2010年ワールドカップ:代表チームが「メン・イン・ブラック」に

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2010年ワールドカップのドイツ代表のアウェイユニフォームは、初めて頭からつま先まで真っ黒だった。準決勝でドイツは、優勝チームのスペインに1-0で惜敗した。

2012年欧州選手権・ポーランド/ウクライナ大会🇵🇱🇺🇦

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2012年にポーランドとウクライナで共催された欧州選手権では、多くの専門家が、白地に黒、赤、金の細い斜めのストライプが入ったジャージに身を包んだドイツ代表が優勝すると考えていた。しかし、2006年の夏のメルヒェンと同じく、イタリア相手に準決勝で圧倒されてしまった。

🏆2014年ワールドカップ・ブラジル大会🇧🇷

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ヨギの教え子たちにとって、救いとなるタイトルは、2014年のブラジル・ワールドカップだった。ジョーカーのマリオ・ゲッツェが夢のようなゴールを決めたドイツは、延長戦の末、アルゼンチン相手に1-0で勝利したのだ。白を基調に、胸に赤を施した代表のジャージも、まさにワールドカップ王者に相応しい売れ行きだった。

2014年ワールドカップ・ブラジル大会 - アウェイユニフォーム

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2014年のワールドカップ・ブラジル大会でのドイツ代表のアウェイユニフォームは、赤と黒の横縞が特徴だった。今日でも、この代表のジャージを見ると、開催国ブラジルは背筋が凍りつくことだろう。ドイツはこの装いで、ワールドカップ準決勝でブラジルを歴史的な7対1で破った。

2016年欧州選手権・フランス大会🇫🇷

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フランスで開催されたユーロ2016では、バスティアン・シュヴァインシュタイガーや代表イレブンが再び白と黒のシンプルな姿を見せてくれた。準決勝まで進んだが、最後は優勝国フランスに敗れた。

2018年ワールドカップ・ロシア大会🇷🇺

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ドイツ代表の中で、2018年のロシア・ワールドカップは史上最悪の大会として歴史に残るだろう。ドイツ代表の負の歴史のハイライトとなったのは、ヨアヒム・レーヴ監督の代表チームが、平凡な組み合わせ(スウェーデン、韓国、メキシコ)にもかかわらず、グループリーグ最下位という不名誉な結果に終わったことだった。つまり、前回王者がかつてないほどの早期敗退を喫したことを意味していた。

2018年ワールドカップ:ドイツ代表チームはロシアで悪夢を経験

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2018年のロシア・ワールドカップでは、ドイツ代表のアウェイユニフォームが再び緑色になった。しかし、結果は散々たるものだった。

2021年欧州選手権・ヨーロッパ大会🇪🇺

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本来、2020年に、欧州選手権がヨーロッパ全土で開催されるはずだった。しかし、コロナ・パンデミックにより、大会は2021年に延期せざるを得なかった。そして、ドイツ代表の選手たちも現在のジャージでプレーすることになった。これらは白を基調とし、細い黒の横縞が入ったデザインだ。これまでの集大成となるか、注目が集まる。

▼元記事
https://www.tz.de/sport/fussball/dfb-trikots-nationalmannschaft-deutschland-wm-em-heimtrikot-auswaertstrikot-zr-90172313.html


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