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一つの時代の終焉 - トーマス・ミュラーがドイツ代表引退へ

――以下翻訳(『ヴェルト』紙より記事全文)

ドイツ代表として14年間プレーしたトーマス・ミュラー。今やFCバイエルンの人気選手でもある彼は、ドイツ代表として通算131試合に出場してきたが、遂に代表チームでのキャリアに終止符を打つことになる。真のプロサッカー選手の、偉大なキャリアを振り返ってみよう。

彼の世界的なキャリアは、農場の裏に広がる小さな草むらから始まった。トーマス・ミュラーがまだ1歳半だった頃、いとこたちが彼にボールをキックして渡した。小さなトーマスは笑ってボールを蹴り、それはすぐに彼のお気に入りのおもちゃとなった。

当時、一家は母クラウディアと父ゲルハルト、そして弟のジモンとともに、ペールという町にある、叔父の働く農場にある祖母の家で暮らしていた。ペールは、人口わずか2,500人ほどが住む、ドイツ南部バイエルン州の小さな田舎町だ。母クラウディア・ミュラーは、幼いトーマスの才能にとりわけ驚きはしなかったという。すでに彼女のお腹の中で、彼はサッカー選手のようなキックをしていたからに他ならない。

それから10年以上経ち、彼は故郷ペールからサッカーの大舞台へと羽ばたくことになる。ロンドンのウェンブリー・スタジアム、リオデジャネイロのマラカナン、パリのスタッド・ド・フランス。トーマス・ミュラーは、ドイツで最も成功し、人気者で、個性豊かなスポーツマンに成長したのだ。まさに一時代を築いたと言えるであろう。数々のゴールと独特なプレースタイルで人々を魅了した。成長を続け、それと同時に、自分自身に忠実でもあり続けた。彼はただのサッカー選手ではなかったのだ。ドイツやバイエルン地方の文化遺産の一部だと、多くの人はそう言うだろう。

ドイツ代表ではこれまで14年間プレーし、通算131試合に出場、8つの大会に出場した。2014年ワールドカップでは優勝に貢献。しかし、2018年ワールドカップで惨敗すると、多くの人にとって独善的としか思えないやり方でヨアヒム・レーヴ監督(当時)から構想外の扱いを受けても、諦めずに戦い代表チームに返り咲いた。そして今、終わりを迎えたのだ。

今週水曜日の午後、『ビルト』紙がミュラーの代表引退を報じた。ミュラーは最近、ドイツ代表のユリアン・ナーゲルスマン監督やチームスタッフたちと話し合い、この章を締めくくるという決断に至ったようだ。

20歳で代表デビューし、34歳で代表ラストマッチに出場した。ドイツで行われた欧州選手権の準々決勝スペイン戦(延長戦で1-2)での途中交代が自身最後の代表Aマッチとなった。彼よりも多くドイツ代表の試合に出場したのは、ローター・マテウス(150試合)とミロスラフ・クローゼ(137試合)の2人しかいない。ミュラーはドイツ代表で、PKによる2ゴールも含めて通算45ゴールをマーク。今回の欧州選手権のメンバーでは、GKマヌエル・ノイアー(38歳)に次ぐチームで2番目の年長選手である。

エルナおばあちゃんに向けた、ワールドカップでの伝説の挨拶

ミュラーにとって、代表チームは常に大きな関心事だった。子供の頃からの夢だったのだ。そして、彼ら兄弟は非常に仲良しで、互いに支え合っている。弟ジモンは大のサッカーファンであり、FCバイエルンのファン支援部門のチームリーダーとして働いている。今大会のドイツ敗退が決まったシュツットガルトでの試合では、感動的なシーンが見られた。トーマスはピッチで、弟ジモンはスタンドでそれぞれ涙を流していたのだ。

今の代表チームでは他の選手がレギュラーとしてプレーしているとはいえ、ミュラーはこのチームからいなくなる。非常に特別な代表選手が別れを告げるのだ。ドイツ代表にとってとても重要なゴールやパス、勝利、アクション、そしてピッチ外での特別なひと時を提供してくれた。20歳のとき、南アフリカ・ワールドカップのベスト16でイングランド相手に2ゴールを決めた後(4-1)、テレビ局のインタビューで「他にも挨拶したい人がいるんですけど」と言って、彼の祖父母に向けて、こんな挨拶を送った。「久しぶりで、ずいぶん連絡が遅くなってしまったね。」

エルナおばあちゃんは、自宅のテーブルの上にロウソクを立てて、テレビでこの試合を見ていた。そしてトーマスの挨拶に対してこう言った。「素敵じゃない?いい子ね」。祖母は誇らしげにこう付け加えた。「トーマスは夫からサッカーのことを学んだと思うわ」。

確かにサッカーによって、ミュラーはかなり遠くまで行ってしまった。彼は時に、型破りなスタイルでプレーした。2014年ワールドカップのグループリーグでは、ペペから頭突きを食らって倒れ、このポルトガル代表選手にはレッドカードが提示、ミュラーは流血していた。2021年欧州選手権のラウンド16、イングランド戦では、ミュラーは惜しくもゴールを決められず、チームは2-0で敗れ去った。ミュラーには数多くの有名なシーンや名言があり、それらをすべてここに書き上げたら、読むのに何時間もかかる記事になってしまうだろう。

2010年、W杯得点王に贈られる「ゴールデンシュー」を手に、当時のアディダスの社長、ヘルベルト・ハイナー氏(写真左)、フランツ・ベッケンバウアー氏とともにポーズをとるトーマス・ミュラー(同中央)。

ミュラーの代表キャリアは悲劇とともに始まった。当時のレーヴ監督はミュラーを代表招集し、コートジボワール代表との試合のメンバーにノミネートした。その一戦の前に、ドイツ代表はチリ代表と対戦するものの、ミュラー自身は、重要な予選を戦う予定となっていたU-21代表を助け、その後、A代表に合流することになっていた。その当時の彼は、ちょうど7ヶ月ほど前にブンデスリーガデビューを果たしたばかりだった。

ディエゴ・マラドーナがミュラーを選手だと認識できなかったとき

その後、代表キーパーのロベルト・エンケが命を絶ち、ケルンで開催予定だったチリ戦は中止となった。その2カ月後、ミュラーはようやくミヒャエル・バラックやミロスラフ・クローゼらとともに代表チームと同行することができた。

スペイン戦でスタンドから見守るミュラー一家:
母クラウディア(写真中央)、父ゲルハルト(同右)、弟ジモン

2010年の初め、彼はミュンヘンのスタジアムで行われたアルゼンチン戦で代表デビューを飾り、のちに、当時のレーヴ監督は彼をワールドカップに連れて行った。そして故郷ペールでは、「我らのトーマスがドイツ代表に!」と歓声が上がっていた。この試合後、当時アルゼンチン代表監督だったレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏は記者会見でミュラーのことを認識できなかったという。おそらくひな壇を独占したかったのだろう。ミュラーは自然体で、マラドーナの退席を見送った。

誰かがマラドーナ氏に、数分前にあなたの目の前でタッチラインを駆け回っていたのがミュラーだと知らせると、マラドーナ氏はテレビカメラの前でミュラーに謝罪した。南アフリカ・ダーバンで行われた、ミュラーにとってワールドカップデビュー戦となるオーストラリア戦で、彼は1ゴールをお膳立てするとともに、代表初ゴールを決めた。ミュラーのプレーする右サイドのポジションに最も近いライバルは、当時、ピオトル・トロホウスキだった。

ミュラーは、この大会で国際レベルの若手スター選手へと成長し、後に世界レベルのスター選手となった。このワールドカップでは、5ゴール3アシストの活躍で大会得点王に輝くとともに、スター選手のウェズレイ・スナイデル(オランダ代表)やダビド・ビジャ(スペイン代表)を抑えて、大会最優秀若手選手も選ばれた。4年後のワールドカップでも、再び5ゴールを決めたものの、後にミュラーとFCバイエルンでチームメイトにもなるコロンビア代表のハメスが単独で、さらに1ゴール多く決めた。

代表選手のミュラーは、FCバイエルンでのミュラーと同じ特長を持っていた。つまり、メンタル、フィジカル両面における、素晴らしい用意周到さ。特別な直感。そして、他の選手たちよりも優れた試合の読み。事前に状況を予測し、クレバーに推測し、潜伏する能力。もしサッカーが車の運転に似ているとしたら、どの教官もミュラーの先読み運転を教科書に載せたがるだろう。ミュラーは、かつて自分でこう言ったことがある。「セカンドボール」を予測する能力は、僕の大きな長所のひとつだ。もうひとつの長所は、人間味があるところだ。

欧州選手権のスペイン戦で敗退し、トーマス・ミュラーがチームメイトのフロリアン・ヴィルツを慰める。

彼は子供の頃からチームと一緒に移動したり、チームの中で生活することに慣れている。そして、それが大好きなのだ。ドイツで行われた欧州選手権の開幕を前に、代表監督のナーゲルスマンはミュラーを「コネクター」、つまりチーム内の選手のグループ同士をつなぐ存在と表現した。まるで、「ヨーデルもラッパーも同じように扱う」ことのできる「潤滑油」のようであると。

いつもそうだった。だが、代表引退前の最後の数週間、ミュラーはそれだけの存在ではなかった。彼は監督の右腕となり、途中投入されるとピッチ上で良いアクションを起こしていた。

彼がこの年齢で現役を続けられるのは、何よりもプロフェッショナルなライフスタイルによるものだ。ミュラーは何年も前から栄養管理に熱心に取り組み、専門家たちの助けを借りて睡眠や呼吸も最適化してきた。

彼はもはや先発メンバーから外れており、ナーゲルスマン監督も大会前にそう伝えていた。ミュラーは自分の役割を受け入れるだけでなく、全身全霊でその役割を果たしたのだ。ナーゲルスマン監督は彼を2度、交代出場させた。5-1で勝利したスコットランドとの開幕戦、ミュラーの「リビングルーム」でもあるミュンヘンのスタジアムで。ファンたちは、チャントで彼を祝福した。

トーマス・ミュラー:「ドイツ人であることを誇りに思う」

そして、もう一つがスペイン戦。シュトゥットガルトのアリーナで、絶好の得点チャンスが一度巡ってきた。ミュラーは涙ながらに大会に別れを告げ、拍手でファンに感謝の意を表した。2014年のワールドカップで優勝した元チームメイトのペア・メルテザッカーは、ミュラーがあんなに泣くのを見たのは初めてだと語っている。そして、彼は代表から引退した。

「誇りに思う」とミュラーは言った。「このチームの一員であることを誇りに思うし、何よりもドイツ人であることを誇りに思う。応援してくれた皆さん、素晴らしい大会を開催してくれた皆さんに感謝しているよ。この気持ちを日常生活、特に今の世の中に生かそう」。これもまた、代表選手としてのミュラーを特徴づけるものだった。社会と代表チームの関連性を感じ取り、その国のムードを感じ取り、適切なタイミングで適切なメッセージを伝えるアンテナを持つ。

ベルリンのファンマイルで、ルーカス・ポドルスキ(写真右)、ペア・メルテザッカー(同左)と、2014年ワールドカップ優勝を祝うトーマス・ミュラー(同中央)

こうして、今に至る。だが、トニ・クロースと違い、ミュラーは今回の欧州選手権を終えて現役引退というわけではない。FCバイエルンとの現行契約は2025年6月30日まで残っている。この9月で、ミュラーは35歳になる。もしかしたら、彼のラストシーズンになるかもしれない。ミュラーはバイエルンで無冠のシーズンを過ごし、優勝トロフィーに飢えている。

ミュラーは子供の頃、FCバイエルンのベッドリネンで眠り、90年代には子供向けサッカー雑誌『ブラボー・スポーツ』を読みふけり、ファンとして、ユース選手として、FCバイエルンのあらゆるニュースを見聞きしてきた。ジョヴァンニ・トラパットーニ氏の怒りのスピーチさえも。

欧州選手権で敗退した後、本人の語った伝説的な一文を引用しよう。トーマス・ミュラーは、まだ終わっていない。

▼元記事
EM 2024: Ende einer Ära – Thomas Müller tritt aus der Nationalmannschaft zurück - WELT

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