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ストレス社会に生きる私たちは何をはけ口にするか?

最近、大木亜希子さんというライターを知りちょこちょこnoteを読んでいた。そしてたまたまTwitterのタイムラインで目にしたハフポストのエッセイをみた。私はアイドルには詳しくなく、申し訳ないですが大木さんのことを知らずSDN48にいたことも知らない。そんな私が読んでも、彼女がどうやって仕事に向き合ってきたのか人柄がわかるような、心が伝わってくるエッセイだなと思った。

どんな人なんだろう?大木さんに興味を持ったのてTwitterのアカウントを探してみてびっくりした。感想でもなんでもない人格を否定するようなリプが並んでいたから。私にはそのリプライの意味が理解できなかった。エッセイの内容と関係なくないか。

その傾向はこういう感じだった。
① 元アイドルの肩書が気に入らない
② 請求書が書けないお前が悪い
③ お酌くらいしろよ
でも結局最後は「①元アイドルの肩書が気に入らない」につながるのだと思う。元アイドルを隠す必要はどこにあるのだろう?元アイドルだから飲まなければならない理由はどこにあるのだろう?

元アイドルだろうが、元会社員だろうが、文章を書いてお金をもらったらライターです。経験やスキルが何だろうが、ライターなのです。ライターにだって個性があります、人の数だけ背景があり特技がある。自分の経験を語って何が悪いのか。あなたが必要としていなくても、それを欲している人がいるということを忘れてはいけないと思う。

相手にぶつけた言葉は普段自分に向けられている言葉なのではなかろうか。自分がそのようにして生きてきたから当たり前だとおもっていることはなかろうか。

請求書云々の話。ごもっともな意見を並べられているが、ここで何をしたいのだろうか。説教をしてスッキリしたいのか、相手に謝ってもらいたいのか。そもそもですが、ミスとその後の対応などは当事者と会社同士の話で合って外野がどうすべきだこうすべきだとか、ことの詳細もわからないのにどうこういえるものでもない。そしてその言い分はミスをしたら『元アイドル』を持ち出して攻撃することは許されるといっているように思う。彼女はミスをしたことを正当化しているのではなく、そこに元アイドルは関係がない、論点が違うよねということを言っている。

まず、会社員生活をされているかたならわかると思うが、取引先相手に(発注する側でも受注する側でも)「元アイドルって、請求書もマトモに書けないんだ。可哀想www」とメールを送る人間はまずいない。その相手が非常識であるということはおわかりだろうか。請求書のミスについて言及すればよい話だ。相手が役職者だった場合はどうだろう?例えば「社長なのに請求書もマトモに書けないんだ。可哀想www」というのだろうか。それとも、「元スーパーの店員なのに、請求書もマトモに書けないんだ。可哀想www」というのもあるのだろうか。答えはご本人にしかわからないけれど、おそらくそれはなくて「元アイドル」だからでたんじゃないかなぁと思う。

元アイドルでなくたって、それなりに差別だったり理不尽なこともあったりするのは確かで。「自分だってそういう経験しているんだ」というのはわかる。私も多かれ少なかれそういう経験はある。だけど、それを「お前が悪いんだから飲み込め」とか「そういうものだ」とか押し付けるのは違うと思う。

私の場合は、ライターの大木亜希子という名前を知っていただけでアイドル時代は知らない。たまたまたnoteで知っていた大木さんの名前とタイトルを見てライターになるまでの過程というか、どういう経験をして今につながっているのかとかそういうものを想像してクリックしたけれど、みんなはどう思って読んだのだろう?

大木さんもTwitterで書かれているけれど、職業かんけいなくみんな人間で心はもっている。表に立っていて批判や誹謗中傷をうけやすい場所にいたとしたって、傷つく心はもっている。だれだって言葉という鋭い刃を持っていて簡単に切り裂くことができる。

いつかのSNSの誹謗中傷で自殺された方がいた件も、クラブハウスの揉め事も、私たちは何回同じことを繰り返そうとするのだろうか。投げかける言葉は何のため?私は目の前にいる人に話すように言葉を綴りたい。

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