ピアノって自分が楽しいかどうかで判断してもいいんじゃない?
こんにちは。こんちゃです。
新年最初の日記は昨年再開したピアノについて思うことを書きたいと思います。
楽しくないのは誰のせい?
先日、偶然ある方のTwitterでの呟きをみました。そこには罵詈雑言が並んでいました。ちょっとここに書くには憚られるし、見ず知らずの方なので引用はしませんが、『ストリートピアノを弾く人は技術を自慢したいだけだ』『ピアノは金持ちの子供の道楽だ』みたいな内容で、人を傷つけるためだけに研いだナイフのような鋭い言葉が並んでいた。
その言葉を見て傷つくほどその人のことを知らないし、私自身ピアノが弾けないし音楽について知識もないので気にはなりません。ただそれらの攻撃的な言葉を見ていると、申し訳ないがその人のことが哀れに思えてきます。
その言葉の裏に他者への妬み僻み嫉みみたいなものが見え、それを他者にぶつけても発散できないんだなぁ……と思ったのです。
『ピアノと出会ったために嫌な思いをあじわった。』
どれほどの"嫌な思い"をあじわったのでしょうか。私には分からないけれど、そんなに嫌ならやめればいいじゃんって思うのです。
ピアノを離れて戻ってきた私
noteにも書きましたが、私は大学受験を機に一度ピアノをやめています。(やめるというのはレッスンのこと)それから毎日ではないけれど、気が向いたときにピアノを弾いていました。一人暮らしを始めてピアノが手元になくなってからはあまり弾かなくなりました。生活費など諸々はバイト代で賄っていたので、キーボードを買う余裕もありませんでした。
単純に理由はキーボードがない、お金がないということだけではなくて、当たり前にあったピアノに"楽しさ"を感じられていなかったことが大きかったと思っています。
私がピアノを習ったのは、母がピアノに対して強い思い入れを持っていたことが理由だと思っています。母は子供のころにピアノを習っていたようですが、自営業で忙しい家だったので母の知らないところで教室をやめさせられたという経緯があります。だから、娘にピアノを弾かせたかったのだというのは繰り返される昔ばなしから推測できました。
弾かない時間が増えるにつれて、どんどん指が動かなくなってきて感を取り戻せなくなってきます。たぶん、死ぬほどピアノが好きだったら、夏休みなどまとまった時間に必死で練習したと思うのです。その時の私は、「あっ指うごかないな。これで終わり。」みたいなあっさりした感じでした。
当たり前にピアノがあって、レッスンに合わせて練習するのが当たり前で、指定された曲を練習するのが当たり前で。私がピアノを習っていた十数年に、あまり私の"意思"はなかったなと今は思います。嫌いじゃないから続けていたけど、そこに特別熱意があったわけでもありませんでした。
弾きたい曲があるから
ピアノ再開する、絶対弾くからサボらないようにレッスンに通う(定期的に先生にみてもらう)と決意したのは昨年秋のこと。とにかくLemonが大好きで、日々の鬱々とした気持ちがLemonで表現できるのではないか(発散できるのではないか)と思ったから。
弾きたい曲があって、どうしても弾ける(発散)ようになりたくて、ピアノ教室まで決めて、練習メニュー考えて、過去のレッスンメニューを思い出して。これ全部私の意志で始めました。この年になって初めて自分の意志で『ピアノ弾く』ために行動したんですよね。
楽しくなければ弾かなきゃいい
私はピアノを過去に習っていた経験があるから、0から始める大人と比べたら断然差がある。これは確かですし、当然だと思います。一度、体が覚えたことは0にはなりません。だから、未経験から始めた方と、過去習った経験がある方が"同じ"といいません。
ですので、私と同じように●●を弾きたい!と思ったときに、楽譜の難易度も習得スピードも違うのだから、メンタル保つのもキツイこともあると思う。ちょっと練習時間増やしたからって1週間後にできるようになるわけじゃありません。
で、なんで0から始めた人がプロアマ問わず上位のピアニストと比べてヤキモキするの?
最期までお読みいただきありがとうございました!