7歳の娘が自分の中に潜む狂暴性と孤独に気付いた時、母とした話。
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7歳の娘が自分の中に潜む狂暴性と孤独に気付いた時、母とした話。

石島小夏

『誰にも言えない悩みがあるの…』

7歳の娘がふと、そんな言葉を溢した。“誰にも言えない”と言いながら、“悩みがある”と私に告げてくれたということは、ちょっと話したい気持ちになっているのかな…?

「そうなのね。お母さん、忘れるの得意だから、話を聞いて、忘れよっか?」

と聞いてみたら、

『聞いたら、忘れちゃ嫌なの!!』

という娘様。ふむ。まぁ、話したければ話せばいいし、話したくないなら、話さなければいい。そんな風に思いながら、娘と向き合って(文字通り、物理的に“向き合って!!”)いたら、彼女はこしょこしょと、私の耳に向かって話し始めた。

詳しい話は、最近娘が自分のプライベートを公開するのを嫌がっているので、割愛するけれど、何やら彼女は自分の中の狂暴性に気付き、そんな自分が嫌で悩んでいるのだという。

「おぉ、そんなことに気付いたのね。お母さんはいつも、“私、今、機嫌が悪いの!”って自分で気づいて、それを伝えてくれる娘ちゃんが素敵だなーと感じているけど、“つい暴力振るっちゃう自分も嫌だ”って気付いたの、大切なことだと思うなぁ。お母さん、そんな自分に気付いて、それを小さくする練習、大人になってから始めたよ。今も練習しているから、娘ちゃんも一緒に練習してみよっか?」

いや、ほんと、私がそんな自分に気付いたの、大人になってからですよ。なんなら、娘が産まれて、おもいっきり泣いたり、叫んだり、噛んだり、引っ掻いたりしてくる中、「あー、人間って上手に言葉が使えなくて、自分の想いが伝わらない時に、どうしようもないエネルギーを爆発させたりするんだな。」と娘を受け止める中で、ようやく自分の中の狂暴性も丸っと受け入れられるようになり、夫との関係性の中で、そんな自分の狂暴性(私の場合は言葉の暴力が多かったけど…夫よ、マジごめん。そしてありがとう。)を小さく、というか、狂暴性が表に出てくる頻度をかなり少なくしていくことが、できたのであった。

(ちょうど1年前くらいにこんな記事を書いていた。)

7歳の娘が1歳8ヶ月の息子にうっかり手を挙げてしまい、そんな自分を責めて泣いていたなんて母は気付いていなかったよ…!!いや、「自分が悪いことしてしまった」と自覚が娘の中にあるのは知っていた。だから、軽く止めるだけで、強く叱りつけることは我が家では、あまりしていない。だってさ、親が責めなくても自分でしっかり自分を責めているからね。これ以上、他者に責められなくても、「本人はわかっているだろう」そう信じて、強くは言っていなかったのだ。

でも、ここまで繊細に自分のことを感じ取って、悩んでいるとまでは思っていなかった。娘よ、ごめん、母は完全にあなたをみくびっていたわ。「言動は大人びているけれど、言葉で表せているより中身はまだまだ子どもだろう」そんな風に考えて見守っていたのだけど、母の想像を余裕で裏切って超えていたわ!!びっくり!!

1年半前には、言葉の暴力も肉体的な暴力も全放出して狂暴化していたのに…!!

娘の成長を感じながら、「こんな風に話をしてもらえて良かったな」、と感じたのであった。それから、いろんな話をした。そしたら、なんと娘はすでに悩みを解決する術をもっていたのであった。

『あのね。自然の中にいると大丈夫なの。海とか山にいるとね、私は優しい気持ちになれるの。だから、さくらんぼにいるときは大丈夫なの。』

さくらんぼというのは、10月から通い始めた福岡・糸島にあるオルタナティブスクールである。夏は海の拠点、冬は山の拠点で贅沢に生活しながら学びを深めている。

東京に家を持ちながら、福岡・糸島と二拠点生活を始めてオルタナティブスクールに通い始めた話は長くなるのでまた今度、ゆっくりするとして笑、どうやら、娘にとっては必要な環境だったようである。

「そっか、じゃぁ、お家にいるときもお散歩に行ったりしようか。」

自然の中で身体を動かしていると、不思議と自分の中の狂暴性が小さくなっていく。そんなことにも私は大人になってから気付いて、今も練習中なのだけど、娘は7歳の時点で、気付いて、自分の状態を心地良く保つ練習を意識し始めたようである。すげーな。


そんな話をしていたら、、、

『もう一つあるんだけどね。あ、これはどうしようかな。。。恥ずかし過ぎて言えないな。。。』

と、謎の恥じらいを見せ始める娘。

「お!好きな人でもできた??」

と、下衆な想像をするミーハーな母に、

『違うよ。。。あのね、娘ちゃんは寂しいの。なんかね、心の中に穴が空いているみたいで寂しいの。ママ埋めてー!!でもね、自分の力で頑張って、この穴を埋めたいな、って思うの。』

と、思春期?の少女のようなことを言い出したので、これまたたまげたのであった。いや、この感情、私は高校生か大学生くらいに気付いたよ!!中学生だったかな?いずれにせよ、こんなに的確に言葉で表現できたのは小学生よりもっと先だった気がする。それは、“孤独”っていう感情なんだぜ。残念ながら、生きている以上、たぶん、無くなることはない感情なのだ。そして、他人に埋めてもらおうとすればするほど、その心の穴は大きくなってしまうのである。

「娘ちゃんはさ、気付いたんじゃない?ママ埋めてー!!って言った時、その穴がちょっと大きくなったのに。だから、自分で埋めたい、って言ったんじゃないかなー?」

と、尋ねる私に、

『そうなの。だから、自分で埋めたいな、って思った。でも、どうしたら埋まるのかなー?』

と、娘が聞くので

「娘ちゃんがやりたいな、って感じることをやってみたらいいかもなぁ。絵を描いたりするのもいいかもね。最近、お絵描きできてないって言っていたもんね。明日はお散歩に行くか、絵を描くかしようか?」

と、答えてみたのであった。

表現活動は心の穴を埋める。絵を描き始めてから、私はそれを痛切に感じている。いや、絵だけじゃない。たぶん、絵を描き始める前から、こうして文章を書いていることだって、自分で孤独を埋める癒しの作業である。どんな表現方法が娘に合うのかはわからないけれど、彼女なりの自分を癒す手段を見つけていってくれたらいいな、と感じている。

『ありがとう。ママに話聞いてもらったら、穴がちょっと小さくなったよ』

うんうん、そうだね。「こんな風に考えているなんて、私だけかも…どうしよう。。。」って感じた時、ただただ、それを吐き出せる場所って大事だよね。それから、「私も同じように感じているよ」っていう人がいると救われることはあるよね。自分の心の穴を人に埋めてもらうことはできないけれど、自分で埋める力を発揮するために、人の力をお借りすることはできる。今は私に話してくれているけれど、こういう話をできる人がどんどん増えていったらいいね。今、娘ちゃんの周りにも話せそうな人いるよね。「この話はこの人ー!」、「こっちの話はこの人ー!」っていろんな人にいろんな悩みを話せたらいいね。

そんな話をして、娘の悩み相談は幕を閉じたのであった。

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石島小夏

娘と共に岩手県釜石市へ遠征する費用にしたいと思います。東北へ年に1回くらい行けたらいいな◎

なんと…!ありがとうございます♪
石島小夏
COLORAN KORAN代表 Artist & Coach 劇団アンリミテッド(仮)座長 1984年栃木県益子町生まれ、福岡・糸島を中心に東京・神楽坂、そして時々、栃木・益子を家族4人で行ったり来たりしながら様々な人と共に表現活動を続ける日々。