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「いい人」と「必要な人」

ぼくはものごころついたときから、ずっとサッカーをしてきました。いまも指導者として高校年代を教えている父の影響です。プロサッカー選手に憧れたとか、サッカーがうまいとモテそうだとか、そういった何かを始める動機が必要になるよりも先に、日常のなかにサッカーが組みこまれていました。

小学生のころは、仲のいい友達がみんな野球をしていたので、自分も少年野球のチームに入りたかったのですが、ついに言い出すことができませんでした。今ではあまり覚えていませんが、「怒られそう」だとか、子どもながらに「お父さんを悲しませてはいけない」と思っていたような気がします。

中学生になりました。最初は地元のクラブチームに籍を置きます。といっても、セレクションなどは必要なく、会費さえ払えばだれでも所属できるクラブです。同学年のチームメイトはたしか33人いて、なかには小学生のころ、Jリーグの下部組織でプレーしていた人もいました。

ぼくはなかなか試合に出ることができませんでした。これまではずっとスタメンで出場することがほとんどだったので、はじめて試合に出られないことの辛さを味わうことになります。また、チームメイトともあまり波長が合わず、練習に行くのが苦痛で仕方ありませんでした。

2年生にあがるころ、クラブチームを退団することにしました。親にはそれなりにお金を払ってもらっていたのに、活躍できないどころか、サッカーを楽しむこともできなくなっていて、とても罪悪感を抱いていた記憶があります。

クラブチームをやめたあと、地元の公立中学校の部活に入ってサッカーは続けることにしました。これまでもクラブチームの練習がないときは、部活には顔を出していたので、こちらはすぐになじむことができました。

しばらくして、3年生が引退すると自分たちが一番上の学年になります。ぼくが通っていた中学校のサッカー部は、半数近くが中学校からサッカーを始めた素人で、トーナメントでも一回戦をやっと勝てるかどうかの実力しかありませんでした。ぼくはそのなかでは、一番経験が豊富で技術もそれなりだったので、入部して数か月で主将になりました。

ぼくが移籍してくる前から、部活には同い年のリーダー役がいたことを考えると、主将を横取りするようなかたちになりました。といっても、当時は一番技術のある人が主将をすべきだと思い込んでいたので、それが当然だと思っていました。いま思うと最低ですが、これまでリーダー役として頑張っていた友達の気持ちなんて考えたことがなかったです。自分がこの部活を強くしてやる、そういう決意のような驕りしかありませんでした。

クラブチームと素人まじりの部活では、練習でもかなり温度差がありました。ぼくはこれまでその部活がどうしていたかなどは全く考慮せず、クラブチームで要求されていたレベルをみんなに求めていました。厳しいこともいっぱい言いました。ただ必死だっただけなのですが、周りからはお山の大将のように見られていたと思います。

一学年下の部員の母親から、ぼくの母親にクレームが来たこともありました。

「ずっと部活でサッカーをするのを楽しみにしていたのに、主将が怖くて部活にいけない。どうにかしてくれませんか。」

実力のないやつが悪い。そう思って相手にしませんでした。

そうして中学校最後の大会がやってきます。ぼくたちは1回戦はシードだったので、2回戦が初戦になりました。2回戦、3回戦も勝ち進んで、準々決勝まで駒を進めます。あと2勝すれば県大会に出場することができます。相手は優勝候補の学校で、これまで練習試合では一度も勝利したことがありませんでした。それでも、前半のうちにチームのエースが先制点を取り、後半の途中で追加点をあげました。これまでの2試合とも無失点で勝ち上がっていたこともあり、これで勝ったなと思いました。

試合終了まで残り5分を切っていたと思います。ぼくがマークしていた相手のエースのところへボールがやってきました。セオリーでは、相手を振り向かせないようにして、数的有利ができるのを待ってからボールを奪いに行けばいい局面。しかし、勝ち急ぐ気持ちと、どうせ大丈夫だろうという甘い気持ちでインターセプト(=相手の選手にボールが渡る前に、その手前でボールを奪うこと)を狙いに行ってしまいます。結果、ぼくがボールに触れる直前で、イレギュラーバウンド。そのままキーパーと1対1になり、失点してしまいました。

相手のイケイケムードに、こちらは動揺を隠せない。立て続けに失点し、そのまま試合終了の笛。そしてPK戦では、チームのエースと、2年生で一番実力のあった選手が外してしまって、ぼくたちは負けました。

絵にかいたようなドラマチックな展開で、しばらく現実を受け入れられませんでした。

引退式では、顧問の先生や同学年のチームメイトが、「お前が入ってきてくれて戦えるチームになった、ありがとう」とたくさん声をかけくれましたが、その言葉がとても痛かったです。

そんな中学時代を卒業して、高校生になります。当時、太陽光発電に興味をもっていたこともあり、高専という5年生の理系の学校に進学しました。ソーラーカー部と少しだけ迷いましたが、結局サッカー部に入部することにしました。少し説明しておくと、高専のサッカー部は、3年生まではほかの高校と同じ大会やリーグ戦に出場することができ、4年生以降は社会人リーグで戦いながら、毎年夏に行われる全国60数校の高専だけのトーナメント大会をもって引退、というような部活動生活になります。

そして、ぼくはそこでも主将を務めることになります。ただ、中学生のころとは、チームとの向き合いかたを大きく変えることにしました。理由は2つありました。一つは中学校のころの独裁的なリーダーシップについて反省していたから。後悔していたわけではないのですが、もう少し包容力のあるリーダーを目指すべきだろうと感じていました。そして、もう一つが退部する部員の数を減らしたかったから。自分の学年では、15人がサッカー部に入部したのですが、1年生の時期は雑用が極端に多かったり、上級生の「しつけ」みたいなものが厳しかったこともあって、5年生になるころには、ぼくともう一人しか残っていませんでした。

理由として、2つ上げましたが、要するに「みんなが楽しめる、いいチーム」をつくりたかったのです。主将になってから、いろんなことを変えました。まずは、全員での準備と片付け。これまでは、1年生は練習が始まる30分前には着替えて準備をし、練習が終わると、グラウンドの整備と用具の片付け、あとはビブスの洗濯をして、1時間後にやっと帰ることができるといった具合でした。でもこれ、全員でやれば15分程度で終わるんです。ということで全員で分担して片づけるようにしました。先輩のなかには、気分を悪くする人もいます。「自分たちは同じことをやらされてきたんだから、後輩はこれをやって当然でしょう」と。気持ちはわかります。でも、やっぱりそれでは「いいチームは作れない」と思っていたので、何度も対話を重ねて最終的にはしぶしぶでしたが、納得してもらいました。

チームでミーティングする機会も増やしました。高専は欠点が大学と同じ60点なので、油断していると平気で落第します。そのため、テスト前は部活に来ない(来れない)部員もいます。なので、練習以外の時間を拘束されることに一部の部員からすごい反発がありました。しかし、ここでも、よくよく話し合って特別な理由がない限り、ミーティングには参加してもらうようにしました。

そうやって、徐々に「いいチーム」に変わっていく感覚がありました。

いよいよ、最後の高専大会が近づいてきます。

ここで、一つ問題が出てきました。受験です。高専の学生の進路は大きく3つの選択肢があります。一番多いのが就職です。ぼくたちのクラスでは、およそ6割が20歳で就職しました。残りの4割が進学になるのですが、その半分が、大学3年次へ編入し、もう半分が専攻科といって、高専にもう2年残って研究したりします。専攻科については、大学院みたいなものだと思ってもらえればと思います。

で、ぼくは大学編入をすることになるのですが、その試験が高専大会の3週間後とかなんですね。実は編入試験では、高専で学ばない科目も一部あったりもして、それなりに勉強しないといけません。倍率もそこそこあります。ぼくが編入した年は50人受験して、合格者が8人でした。6倍強です。

そういった事情もあって、直近の2か月くらいは、週6だった部活を自分だけ1日受験勉強休みにすることにしたんです。すると、自分がいるときといないときで練習の強度やメリハリに差が生まれるようになりました。これまで「いいチーム」づくりのために、ぼくは全部自分で何とかしようとしていました。仲の良い「いいチーム」にさえなれば、自分がいなくてもそれなりの熱量で練習に取り組んでくれると思っていたのです。が、実際にはそうはなりませんでした。

いつも先導してくれる人がいなくなって、組織は混乱しました。ぼくのことを監視役だと思っていた人は、抑止力がなくなって、ぼくがいないときだけ明らかにわがままな態度をとるようになります。自分が主将になってから約1年。自分なりにていねいに組織と向き合ってきたつもりだったのですが、一番大事なときに、バランスを崩してしまいました。

結局、軌道修正ができないまま、大会が始まり、結果は一回戦負け。4年半の部活動生活が、不完全燃焼な1試合であっけなく終了しました。

試合が終わってから、いろいろ考えました。

中学生のときのような、独裁的なリーダーのほうがよかったのか。
あれだけ一生懸命に「いいチーム」を目指してきたのに意味がなかったのか。

1週間くらい考えてひとつ気づくことがありました。


自分は「いい人」になろうとして、「必要な人」ではなかった、と。

やさしく接することで、みんなに不満を感じさせない「いい主将」になりたかっただけなんじゃないか。

「勝つ」ための手段として「いいチーム」をつくろうと思っていたのに、いつの間にか、誰もやめない「いいチーム」をつくることが目的になっていなかったか。

そして何より、一人のプレイヤーとして、少しでも上手くなろうと努力できていただろうか。「いいチーム」を目指している自分に満足して、「必要な選手」になることと向き合っていなかったのではないか、そう思いました。

結局自分はまわりから「いい主将」と思われたかっただけで、勝てるチームをつくるために「必要な人」ではなかったんだな、と気づいたんです。

「いい人」ではだめだ。「必要な人」にならないといけない。


ぼくはいま、ベンチャー企業で10人のチームのマネージャーをしていますが、このときの苦い経験がとてもいい教訓になってます。

リーダーとして、メンバーになんと言われようと自分の責任と覚悟によって決断をしないといけないときもあれば、マネージャーとして、メンバーと真摯に向き合い、互いを尊重するコミュニケーションが必要なときもあります。

まだ迷うときはたくさんあるし、何かを決めるときは、怖いです。

そんなとき、心のよりどころにするのが「必要な人であれ」。

これからの人生で、「必要な人になれたな」と思えることができれば、それはとても幸せなことだろうなと思って、目の前のことと向き合っていきたいなと思います。

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