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写真で導く旅の記憶(1)ヴェネチア(1900年代)

旅でバカみたいに写真を撮るのは私だけではないでしょう。デジタルカメラが普及し、さらにスマートフォンで高画質の写真を撮れるようになったら、猫も杓子もカメラマンのよう・・・何百、何千と残された写真は、手の届かない深い深い階層奥のフォルダに保存されているのではないでしょうか。

コロナ禍でやれステイホームだ、せっかくだから断捨離だと押入れをひっくり返したのも私だけではないでしょう。そして古いアルバムを見つけ、一気にあの当時の、あの世界に引き戻されるのです。

たまにしか見ることのない、いつかどこかに行ってしまう(ハードディスクが壊れるとか・・・)旅の写真を1枚ずつ、それを元に古き良き旅を振り返ってみる、これは回顧録のようなものでしょうか。

初めての海外旅行はヨーロッパ8カ国

初めて海外を訪問したのは23歳の時、卒業旅行を名目に参加した大学主催のヨーロッパ旅行でした。美大で絵を描いていた私は入学当初からこの旅行に並々ならぬ意欲をみせ、クラスメイトに「バイトの鬼」と呼ばれるほど働きお金を貯めていたのです(足りなくて、卒業祝いの前借を方々にしましたが)。

学年も学科もバラバラの同窓生が十数人、機械のような(ちょっと女子大生をバカにしている)ツアーガイドさんと、美術史の大学教授と共に、夏休み1カ月をかけて8カ国周り美術館や建築物を観て周ったのです。そりゃもう、信じられないぐらいの駆け足で。

不思議なもので、教授の名前は憶えていないのに、そのツアーガイドさんの名前だけは憶えているのです・・・憎々しかった彼も、今では旅の思い出なんですね。

一眼レフカメラ(フィルムカメラ)との闘い

記念すべき「写真で導く旅の記憶」1話目ということで、最初の訪問地である英国の写真が無いかと軽く探したのですが、コラージュして作り込んだアルバム以外、まともな写真があまりありません。

そう、私の最初の海外旅行は、フィルムの一眼レフカメラという、女性にはそれなりに重い代物が相棒だったのです。フランスでは一度我慢できず、その相棒をホテルに置いて出かけました。でもしっかり後悔し、心を入れ替えて残りの旅程を過ごしました。あの重さは若く無ければ・・・今は、コンパクトなミラーレスデジタルカメラを愛用しています。

写真は6カ国目の訪問国、イタリアはヴェネチアでゴンドラの上から撮影した1枚です。

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念のためお伝えすると、決してカラーフィルムが発明される以前の話ではありません。当時はカメラをフィルムにセットしたら、12枚・24枚・36枚撮り切るまでフィルムを変えることができないのです。Black / White の写真がクラシカルでカッコイイとでも思たのでしょうか。もしかしたら「ヴェネチアの雰囲気を撮るなら白黒だ!」と思ったのかもしれませんし、誰かほかの人がカラーで撮影しているからと思い切ったのかもしれません。貧乏学生の私は一番エコノミカルな36枚撮りを使用していたと思いますので、イタリアの写真はきっと白黒ばかりですね。

20世紀のヴェネチアは栄華を誇った海洋大国にも映る

ヴェネチアはこの1カ月の旅行で、もっとも気に入った場所の一つでした(多分)。島内は車が通行できないため、細い路地や水路が迷宮のように入り組んでおり、そして古くからある石造りの建物の細い影が、その前に周っていたほかの都市とは違う、ミステリアスな雰囲気を醸し出していました。

今ではイタリアにある一つの街ですが、13世紀頃はオスマン帝国を凌駕するほどの海洋大国だったヴェネチア。落日の憂き目にあい既に何百年も経っているのに、漫画の「アルテ」(ゼノンコミックス)や「チェーザレ」(モーニングKCDX)、塩野七生先生の文章に描かれているような世界感にうっとりできる中世の都です。

当時はまだイタリアはユーロ圏ではなかったため、英語が通じにくかったのも、通貨の単位が「リラ」であったのも旅の良い思い出です。もちろん、国を移動するごとに両替が発生するので余計にお金はかかってしまうかもしれませんが、その国々で異なる通貨を眺めているのも楽しいものでした。特に500リラが金と銀色のコンビの大きなコインで、デザインとしても素敵だとお金がないにも関わらず使わずに持ち帰りもしました(これも探せばどこかにあるかも・・・)。

「アックア・アルタ」(acqua alta:高水の意)で広いサンマルコ広場がプールのようになっているニュース映像がよく流れますが、地球温暖化でいつか水没してアドリア海に消えてしまうのではないかと言われています。最初の旅から約十年後にも訪問しているのですが、今度はできれば2月のカーニバルの時期に行ってみたいですね(ものすごーく、お高いのです)。

初めての海外旅行のお供は”サイレントEOS"

最後にカメラの話を。当時愛用していたカメラは、サイレントEOSという愛称で呼ばれた、CANONのEOS100。実はまだこの部屋にあります。デジタルカメラでなくても電池で動く機種ですので、もしかしたらもう動かないかもしれませんが。

「サイレント」を冠しているのは、シャッター音が静かだったからではないかと記憶しているのですが、念のためGoogle 先生にうかがってみました。「巻き上げ・巻き戻し時における作動音を、従来比で1/2~1/8にも減少させた機種」とのこと。

このカメラで色々なものを撮影しました。クラスメートの半数の卒業アルバムの写真を撮影したのも思い出です。でも、そのアルバムも断捨離途中で見つけたけれど、正直私の写真の出来はあまりよくありませんでした・・・ごめん、みんな・・・。

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