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井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#6

(6)勉強を「教科」だけで捉えることのもったいなさ

アンラーンのひとつのきっかけ

 「学校で勉強している内容なんて、実際の生活にはほとんど役に立たないよね。どうして勉強しなくてはいけないの?」

 いつごろかはっきり覚えていないのですが、学校というものに自分が所属していた時代に、そう思った瞬間が何度もありました。買い物をするための最低限の計算や、好きな本を読むための読み書きなどはもちろん役立っています。でもそれ以外については、あまり思いつかなかったのです。そんな思いを誰か周囲の大人に伝えたときも「勉強はそういうもんだよ」などの反応しかもらえなかったと記憶しています。「勉強=つべこべ言わずに黙ってしなくてはならないこと」だったせいで、「勉強=つまらないこと=ただこなすべきこと」と捉えていたように思います。

 ビッグヒストリーというプロジェクトを知っていますか。大人のためのラーニングコミュニティ「タキビバ」で、それに関するTED Talkを見てからみんなで話す回がありました。細かいことは割愛しますが、その中で「化学」と「宇宙の歴史」がつながっていることが話されていました。

https://www.ted.com/talks/david_christian_the_history_of_our_world_in_18_minutes?


 私は中学・高校生時代、「化学」という科目がどうしても好きになれませんでした。でも、もし当時の自分が、教科としての「化学」を勉強しているときに、「歴史」とのつながりという先の見通しを持てていたら、もう少し化学に興味を持ち、楽しさを発見できたのではないか――今さらながら愕然としました。

 「どの教科もバランスよくできないと進路の選択肢が狭まる」

 当時の私の化学への動機付けは、こんな程度の受験目線のものだけでした。教科同士のつながり、現実世界へのつながりを発見できずに、恥ずかしながら、まさに「もったいない学び方」をしてきたのです。

 タキビバで、井上さんやほかの参加者の人たちと話すうちに、実は切り分けられたコンテンツ(教科)を学ぶことは、自分の周囲の世界を理解するための小さな一歩だということが初めて腑に落ちました。教科は「周囲の世界を理解するために先人が分かりやすく切り分けてくれたコンテンツ」といえるでしょう。

 切り分けられた教科というコンテンツから自力でつながりを見つけて全体までたどりつけた人ももちろんいると思いますが、私のように動機が受験目線だけであれば、そこまでに至らなかった人も少なくないだろうなと想像します。

 #4で「手段を目的化してしまうことのもったいなさ」について考えました。まさに私のこの例にも当てはまります。切り分けられた教科でいい点数を取ること、さらにそれを使って「合格」することが目的になってしまっていたのです。

 「私たちは勉強するために生まれたわけではないと思います。豊かに生きるための手段として勉強しているのではないでしょうか。それなのに、受験で成功したり、社会的に上位数パーセントに入ったりするためだけに勉強が必要だと勘違いしてしまっていないでしょうか」と井上さんは問いかけます。

 「現実の世界は、教科のように切り分けられていないし、ネットワークで成り立っています。世界は複雑なもので、複雑なまま理解しないといけません」

 もちろん、基礎的な知識がなければ、それぞれのつながりを理解するところまでも至りません。なので、教科で学ぶことももちろん大事です。でも、それが行き過ぎて手段が目的化すると、片輪走行になってしまいます。本来「基礎的な教科の学び」と「複雑な世界を理解するための学び」は両輪であってほしいものです。

 教科にとらわれない学びの手段は、うれしいことに昔と比べると本当に増えています。自分自身が「もったいない学び方」をしてきたと理解したからこそ、子どもたちには同じことを繰り返してほしくないと感じています。そのためには、親が「『教科でいい点数をとること』『受験で合格すること』が真の目的だったのか?」と時折自問することが必要なのだと思います。
 
(#7に続く)



書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親)

新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。




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