「悲情城市」九份への旅(※ネタバレあり)
瑞芳の街並み
台北市から九份に向かう路線バスは、山あいの道路を抜け、やがて市街地に入る。瑞芳(ルイファン)の街である。幹線道路だけではなく、鉄道駅もあり、交通の要衝となっている。景観になんともいえない趣があり、なぜか懐かしさを感じさせる。車窓に寂びれた街並みが続く。九份やその先にある金瓜石で金の採掘が行われていた頃、この街は鉱山会社やそこで働く人々などへ、物資を供給する拠点として発展し、これらの地域と盛衰をともにしてきた。この先また山道が続き、目的地の九份に至る。
「悲情城市」とは
「悲情城市」は、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)による、1989年公開の台湾映画である。監督は、エドワード・ヤンなどともに80,90年代の「台湾ニューシネマ」を牽引した。
日本統治が終了する1945年から、国民党とその関係者が大陸から大挙して移住する1949年までを時代背景に、基隆、金瓜石そして九份を舞台として、物語は林家の4兄弟を描く。長男は船問屋と酒家を営むが、地元に進出する上海やくざに手を焼く。次男は出征から戻ってこない。三男は出征から戻り、そそのかされて、密輸に手を染める。
四男、主人公の文清は、8才のとき木から落ち、頭を打って聴力を失い、話すこともできなくなった。意思を伝えるのは、メモ帳に書く文字、手振り、そして表情である。
友人の妹に自分の生い立ちを説明するとき、満面の笑みを浮かべる。この笑顔が実にいい。役者はトニー・レオン。
やがて文清は、友人ともども2.28事件の渦中に巻き込まれる。2.28事件とは台湾民衆と当局の衝突とそれに続く政治的弾圧である。語ることさえ40年以上タブーだった台湾の負の歴史に、映画は初めて真正面から取り組んだ。
後半、文清の表情は厳しく、さらに無表情にすら見えるようになる。直面する現実が過酷であるが故に。
九份を舞台とするシーン
九份は、映画の中で文清とその友人たちが宴会を催すシーン、また三男が上海やくざと悪事を企てるシーンの舞台として描かれる。豎崎路のあたりである。九份は、金鉱の街であるとともに、そこで働く人々や周辺の住民、無頼の徒なども含め、飲食の場、遊興の場としても栄えていた。
金採掘の歴史
金瓜石そして九份は清朝時代に金脈が発見され、採掘が進められた。日本統治時代に採掘量の最盛期を迎える。その後金脈が尽き、九份では1971年、金瓜石では1987年に閉山を迎える。
金鉱の閉山後、九份は廃れる。転機は「悲情城市」の公開によって訪れた。映画は、1989年 ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞を獲得する。九份はその舞台として一躍注目を集め、観光客が押し寄せる。その後、阿妹茶樓が「千と千尋の神隠し」の湯屋に似ているとされたこともあり、さらに人を集める結果となった。店先にはカオナシなど関連グッズが並ぶ。
土産物屋や飲食店が建ち並ぶ、おなじみの基山街は、訪れたこの日も、世界中からの観光客で賑わっていた。コロナ禍の頃は客足も遠のいていたということだが、完全に復活を遂げている。
採掘時の名残
喧騒からわずかに抜け出すと、意外にも、かつて金鉱があったころの痕跡があちこちに残っている。基山街から豎崎路に折れ、坂を降りると広場に至る。ここから左右に伸びる道路は軽便路という。かつてこのルートを、軽便鉄道が走っていた。その名残の名称である。
広場から左手に少し進むと、公園がある。五番抗公園という。かつての坑口のひとつが、ここに残されている。入り口は鉄格子で閉ざされているが、中を覗き込むことができる。野鳥が住み着いているらしく、鳴き声がする。
さらに歩くと、トンネルがある。現在も使われており、車も走行している。掘削された岩肌が、剥き出しのまま、湧き出た水がしたたり落ちる。軽便鉄道はここを抜け、瑞芳まで走った。瑞芳~九份~金瓜石を結び、産出した金を運び出し、生活物資などの受け入れに使われていたようだ。
九份の盛衰と、映画に描かれる台湾の歴史に思いを馳せる。
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