【第636回】『溺れるナイフ』(山戸結希/2016)

 フラッシュが焚かれた撮影現場、その合間、少女の視線は伏し目がちに見える。東京から遠く離れた和歌山への道中、父・直樹(斎藤陽一郎)の運転する車の後部座席で、望月夏芽(小松菜奈)は終始不機嫌な顔をしていた。「父さんは本当はモデルの仕事とか反対だったんだ」説き伏せるように話す父親の言葉に、夏芽の夢を応援していた母・芽衣子(市川実和子)は大声で反論する。夏芽の隣では年少の弟・竜太(伊藤歩夢)がただ黙ってゲームをやっている。順風満帆だった彼女のモデル人生に転機が訪れたのは、15歳の時だった。父が実家の「あづま屋」を急遽継ぐことになり、4人家族は和歌山への移住を決断する。その決断を受け入れられない15歳の心は東京への未練の思いを断ち切れずにいた。「あづま屋」の前で待ち構えていた祖父の鉄男(ミッキー・カーチス)の歓迎。その夜の歓迎会の席、所在無さげな夏芽は歓迎会の席を出て、海の方へと歩みを進める。鳥居に貼り付けられた立ち入り禁止の看板。その向こうの海に夏芽は、海に浮かぶ金髪の少年・長谷川航一郎(菅田将暉)の姿を発見する。宵闇の中を漂うコウは夏芽の視線に気付くと、挑発的な表情をしながら、彼女にツカツカと歩み寄る。その瞬間、夏芽は雷に打たれたような衝撃を受ける。私が欲しいのは体を貫くような閃光だけ。目が回るほど、息が止まるほど、震えるほど誰かを愛したい。夏芽はオム・ファタールの誘惑に落ちる。

 導入部分からして、近年大流行した壁ドン・顎クイ映画とは一線を画す。夏芽に恋した男の子の名前は大友勝利(重岡大毅)という。彼女を女優に連れ戻そうとする役には広能(志磨遼平)もいる。大友勝利の名は深作欣二の『仁義なき戦い 広島死闘篇』で千葉真一が演じた大友組組長の名前であり、広能は山守組を離縁された広能組組長の広能昌三(菅原文太)に他ならない。山と海に囲まれた浮雲町の描写は、真っ先に中上健次の世界観、特に『火まつり』の影響を強く感じさせる。偶然なのか必然なのか、紀州熊野を舞台にした後期中上文学の舞台となった那智勝浦町と目と鼻の先にある新宮町をロケ地にして撮影されたフィルムは、70年代の中上やATG映画、日活ロマンポルノを観ているような不思議な既視感に駆られる。その土着的な佇まいは荒涼とした福岡県北九州市を舞台にした青山真治の『Helpless』や、寒々とした港町の愛媛県松山市を舞台にした『ディストラクション・ベイビーズ』と地続きの関係にある。それは父親役の斎藤陽一郎の起用や、小松菜奈と菅田将暉の共演にも明らかだろう。70年代の映画ではもう少し年上の人間たちが主人公だったが、近年のマーケットの傾向ではティーンにアピールする要素が無ければ全国公開は望めない。従って彼ら彼女たちの青春の挫折は、長谷川和彦の『青春の殺人者』や藤田敏八の『十八歳、海へ』、神代辰巳の『赫い髪の女』よりも前に彼らに襲いかかる。15歳と言えばどんなカリスマ性や美貌を持っていようが所詮は子供の戯れことに過ぎないから、中上はうだつの上がらない中年男性や女子大生に自らの思いを投影させた。その世界観が中学三年生に置き換えられたことは何とも皮肉に思えてならない。

 処女作『あの娘が海辺で踊ってる』や『おとぎ話みたい』の先鋭的な作風で知られる山戸結希の商業デビュー作は、ヒリつくようなエモーションに満ち満ちている。夏芽を自転車で追い抜くコウの運動を捉えたショット、森の中で逃げ惑うコウを夏芽が追いかける場面、もはや魅力を見出せなくなったと夏芽に伝えるコウの描写をロング・ショットで据えた石投げ場面は若干27歳の天才監督・山戸結希にしか撮れなかった天才的な名場面だろう。特に素晴らしいと思ったのは夏芽と大友勝利との後半のバッティング・センターでの長回しである。10代の少年少女の焦燥感をスクリーンに叩きつけながら、コウの前ではいつもピリピリとした緊張状態にいた望月夏芽の束の間の素の姿があの場面にはありありと感じられた。石井隆の『GONIN』や北野武の『Outrage』を超えた近年稀に見るバッティング・センターを切り取った名場面と言える。例えば今作を廣木隆一が監督した『オオカミ少女と黒王子』と比べればわかりやすい(廣木も中上の『軽蔑』を映画化しているが、、)。少年少女の恋の行方を、大人の目線から極めてロジックに余裕たっぷりに繋いだ『オオカミ少女と黒王子』に対し(あれはあれで決して悪くないが)、今作の山戸の作風は技術よりも常に衝動が先回りする。不意打ちのようなショットの数々はヌーヴェルヴァーグで言えば、まるでジャック・ロジエやジャン=リュック・ゴダール のような瑞々しい感性が山戸結希にはありありと感じられる。ただそれ故に大きな挫折を噛みしめることになった彼らのその後の描写が、同じく将来が期待される安川有果の『Dressing Up』のように、後半一気に失速してしまったのは残念でならない。大友が夏芽の前で吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』を歌う場面では客席から失笑も漏れたことを書き記しておく。個人的には久々に『復讐』シリーズや『大いなる幻影 Barren Illusion』、『アカルイミライ』などのアバンギャルドだった中期・黒沢清作品で知られる柴主高秀のカメラワークが観られたのも嬉しかった。

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