【人生激変】イジメや人生の意味を見失って苦しみばかりだった僕が、人生の目標を見つけて躍進を果たすまで
あなたは死について考えたことはあるだろうか。
多分、大なり小なり誰でも考えた経験は、あるのではないだろうか。
僕は小さい頃から死について考えることが、よくあった。
そして考えるたびに恐怖していた。
怖い。死とはなんだ……?
僕が死についてよく考えていた一つの理由としては、小学生の時に僕を可愛がってくれていた、ひい爺ちゃんと親戚のおじさんが、立て続けになくなったことだった。
親戚のおじさんは、仕事終わりにうちに寄って、僕の母と大好きなビールを飲みながらおしゃべりをするのが日課だった。
とっても優しい人で、禿げを隠してバーコードヘアだったのを、幼かった僕は面白がって息を吹きかけたり、手で散らかして母とおしゃべりを為ているおじさんの頭でよく遊んでいたんだ。
おじさんは決して怒らず、優しく対応してくれて、僕は彼が大好きだった。
しかし、ある日突然、親戚のおじさんは仕事中に脳梗塞で亡くなってしまった。
本当に突然だった。
大好きだったので、とても悲しかったのを覚えている。
ひい爺ちゃんは先になくなったのだが、田舎出身の僕は家の裏にある畑で、二人の死について一人ぼっちで考え、恐怖と悲しみによく浸っていた。
僕は、一人でいることが好きなのだが、寄ってくる人を拒んだりせず、人に合わせる性格だ。
自分からあまりアクションを起こさなくても友達が増えていき、友達は多い方ではないが、孤独を感じるほどではなかった。
一つ、不満に感じていたのは、学校でクラスのみんなが仲良くできないことだった。
どの学年に上がっても、イジメというのは大抵あるものだ。
クラスの人に嫌われるのが怖かった僕は、卑怯なことにイジメの対象にされていた子を避けていた。
何が正しい選択なのか分からなかったし、みんなに合わせることが無難な選択だと思っていたからだ。
大きくなるにつれて、友達と遊んだり、生き物の飼育など、それらに夢中になってあまり死についても考えることがなくなってきた。
そんな、無難で充実したように思えた小学校時代を過ごしていた僕だが、中学に上がって、再び死について考える出来事に遭遇した。
それは、当時入っていた部活でのイジメだった。
仲良くしていたメンバーから半年にわたる無視だった。
突然のことであり、心をかなり開いていたが故にとてもショックだったのを覚えている。
後で、部員の一人に聞いたところによると、僕を無視していたメンバーの一人が、僕がグループでの会話に割り込んでくるのが気に食わず、他のメンバーに指示して無視させたとのことだった。
イジメは中学1年の時に起きた。
部活そのものは好きだったので、三年生まで続けたが、この半年間はかなり憂鬱であり、部活が終わって家に帰ったら、こみ上げる苦しみに耐えきれず、自分のベッドでうずくまって一人泣いていたのを覚えている。
その時、あまりの苦しさに自殺を考えた。
死んだら楽になる。
でも、死ねなかった。未遂すらできなかったのだ。
だって、死んだらどうなるか分からないもの。
この時期、いじめられっ子の気持ちが痛いほど分かった。
イジメの主催者が部活を辞め、半年間にわたるイジメは終わりを告げた。
残ったメンバーは僕と口を聞いてくれるようになったのだが、このイジメを機に自分を出したら嫌われるという思いから人を信用できなくなってしまった。
それからの僕は差し障りのない自分を演じる日々を過ごすことになる。
中学、高校、専門学校、就職と、それは続いた。
この時期、同性にも心を開けなかったため、異性などもってのほかであり、中高は女友達や彼女を作ることもできず、専門学校から社会人になるにつれて、酒やタバコに頼り、抑え込んでいた自分をさらけ出し、同性、異性の友達を作っていた。
親友と呼べる存在はいたのだが、自分の本音をさらけ出せる人は居なかった。
どこか嫌われない自分を演じている自分がいたからだ。
彼女が一番欲しかった高校時代に作れなかったのが悔しかったが、専門学校時代に初めて彼女ができ、社会人になってからも一人でき、二人の女性と恋愛関係になった。
専門学校時代に付き合っていた女性も、社会人になってから付き合った女性も大好きだったので、この時間が長く続くと良いなと思っていたものだ。
だが、結果的に両方とも長く続くことはなかった。
どちらも、僕が相手の気持ちを察することができずフラれる形で交際は幕を閉じた。
学業、バイトや仕事のストレスを癒やす存在になっていたので、中学の時のイジメの次に辛く引きずっていた出来事だったのだ。
心の整理が追いつかず、寂しさや悲しみの日々が続いた。
仕事終わりに一人酒をしながら、一人物思いに耽っていたものだ。
イジメや恋愛以外にも、両親の仲が悪く、父親が僕の中学の時に不倫をして離婚することになったこともあった。
精神的に未熟だった父は、新しい奥さんとの子供を「お前の弟だと」と言って見せてきた。
ドラマみたいなことが僕の周りにも起こるんだなと。
驚きと複雑な思いが渦巻いて、正直嫌な気分だった。
僕の人生は、人間関係の苦い経験が多い気する。
さて、ここで話を戻すが、小さい時から将来やりたい事がなかったので、専門学校や就職は深く考えることなく、最終的に休みと給料の面を考えて工場に就職することになった。
社会人1年目で仕事に慣れてきて、大事な仕事を任せられるようになったとき、会社のルールと僕を指導してくれていた上司の態度が気に食わず、仕事が嫌になり始めていた時、地元の友達からいわゆるマルチビジネスに誘われた。
内容的に成功したら自分が好きなように人生を生きることができると感じ、楽しくない仕事を辞めるつもりで成功の為に頑張った。
だけど、この最中に、とある一つの出来事が、このビジネスに対して一つの疑問を抱くきっかけとなった。
それは、ビジネス成功のために人に商材を勧めるのだが、勧められた人はとても嫌そうな態度を示したのだ。
本気で成功しようって思っていた人からすれば関係ない話かもしれないが、僕にとってそうではなく、人を不快にさせるのは違うなと思ったのだ。
それからビジネスを始めた頃の情熱は冷め、違う方法で人生を歩めないかと、色々なビジネスをいくつか試してみたのだが、気持ちが乗らず、借金だけが増えていき、方向転換のために始めたビジネスも嫌になり、工場での仕事、人間不信な自分、死に対する疑問から将来に対する漠然とした不安が募り、苦しみがドンドン強くなっていった。
それと同時に、この状況を打開してくれる存在はいないのかと、ネットや占いやスピリチュアルな記事などを閲覧し、誰かに助けを求めていた。
漠然とした不安を抱え、将来をどうして良いか分からず、可能性を信じてビジネスを続けていた僕に、ある日SNSを通じて知り合った二人の女性からサークルに導かれることになる。
知り合った二人は、初対面なのに初めて会った感じがせず、どこか懐かしい、親しみを感じて、今まで出会った女性とは違う温かみのある雰囲気だった。
別日に、僕に会わせたい人がいると、サークルで一緒に活躍しているメンバーの女性を紹介されたのだが、僕の母より少し若いくらいの女性で、彼女からはとても暖かい……なんといったら良いのか、ヴァイブレーションというか、心地良い空気感を感じとった。
自分の感情を押し付けてくるのではなく、母よりも母親のような、僕のことを本当に心配してくれる感じが、彼女の言葉からは感じられ、プライドの高さから隠していたビジネスで抱えていた借金のことを正直に話していた。
なんでこんなことを初対面の人に話したかと言えば、彼女の人柄がそうさせた、と言える。
それだけ彼女の纏っている空気感は人を惹き付けるものであり、安心感を与える温かいものだった。
最後に、僕がビジネスをやっていた事に絡めて、成功に必要なことをサークルの活動内容に即した形で話してくれた。
学んだ内容も素晴らしかったが、なによりこれまで出会った三人の女性の人柄に引き込まれ、直感的に自分の現状を変えられそうな気がしたので、思い切って参加してみることにしたのだ。
サークルに参加してみて感じたことは、正直ビジネスとは違う路線で違うなと思った。
サークルに参加する前に、細かい内容は聞いていなかったので、そのギャップに戸惑いはしたが、それが逆に良く、僕の心は大変歓喜していた。
何故かというと、自分が小さい頃からずっと考えてきた、『死について』の考えがこのサークルでの学びにあったからなのだ。
また、自分が経験してきた様々な『苦しみ』についての答えも知ることができた。
サークルに参加したての頃は、ビジネス活動をしながらサークルの活動を並行していたけど、段々と学びを深めていくうちに、ビジネスをしなくても自分のすすみたい道を歩めることが分かり、辞めることにした。
このサークルに参加してから既に数年になる。
僕の直感は正しく、将来に対する漠然とした不安はなくなり、苦しかった自分を変えることができた。
今の人生の目標は、どんな環境にも適応でき、冷静な判断ができる人になることだ。
感情的な性格だった僕は、サークルでの活動で客観的に自分を観察できるようになり、人生の目標に近づいているのを、日々実感している。
さて、長くなったが、僕の体験談はこれで終わる。
この話を通じて、多くの人が後悔のない充実した人生を歩めることを願っている。
もっと詳しいことを知りたい人。
自分もそういった、人生の答えを見つける学び得たい人は、是非ともプロフィールページからリンクに飛んで欲しい。
きっと役に立つと思う。
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