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【体験談】人生ボロボロだった僕が、最高の人生の作り方を教えてくれた出会いの話をしようと思う

人生を賭けるに値する出会いを、
僕は経験した。
そんな話をしようと思う。
この話を聞いて、
少しでも共感してもらえたり、
あなたにとって、
何か得るものがあったら
嬉しいと思う。

当時、僕は料理人だった。
料理が好きで、というよりは、
幼い頃に母親を手伝ったときに、
「美味しいよ、ありがとう」と、
家族に喜んでもらえた記憶が
僕を突き動かしていたんだと思う。
だから、料理を好きで
始めたわけではない。
誰かに、褒めて欲しかった……
認めて欲しかった……

愛されたかったのだ。
だが、現実はボロボロだった。
否定され、
罵倒され、
怒りをぶつけられ、
気力は失われ、
失敗し、
また罵倒され、
否定され、
ますます怒りをぶつけられて……

ずっとずっと、
そんなことの繰り返しだったのだ。
何をやっても上手く行かない。
上司からは怒られ続け、
職場の空気も僕のせいで
乱れるばかりだった。
挙げ句の果てには
「お前は仕事しなくていいよ」と
捨て台詞…。

心が凍っていくのが分かった。
やりたかった仕事だったが故に、
悔しかった。
悔しくて悔しくて悔しくて……

それでも腐らずに努力した。
でもやっぱりうまくいかなくて……。
僕は何度も自分を責めた。責め続けた。
「この先に成長があるかもしれない」

そう自分に言い聞かせ、
辛い職場で食らいついて頑張った。
それでもやっぱりうまくいかなくて……。

そんな日々が毎日のように続いた
散々だ。踏んだり蹴ったり。
いつまでこんな状態が続くんだろう。
「もう一生こんな状態で過ごしていくのかな」

そんな思いが脳裏をよぎった。

後輩にも馬鹿にされ、
軽蔑するような目で見られる毎日
心はすさみ、
イライラが募り、
無力感に苛まれ、
打ちひしがれていた。

18歳から料理人になり、既に3年。
毎日、片道50分の通勤を、
電車に揺られながら通った。

毎日の繰り返しで、嫌になりそうな日々。
とにかく、希望を失っていた。

疲労困憊になりながらも、
そんな毎日をやり過ごした。

僕はこのままの人生が嫌だった。
でも変え方がわからない。
変える方法というのは、腐るほど調べてきた。

でも、変えられなかった。
どうすればいいのかわからなかったんだ。

ーーー職場を出るのはいつも夜中の11時。
毎日、コンビニからまばゆい光が
僕を照らしていた。
トボトボと歩き、終電に向かっていく。

何年も着古した薄手のワイシャツに、
かかとのすり減った茶色い靴。

疲れ切っていた僕には、
服を選ぶ気力さえなかったのかもしれない。

でも、

【仕事ができるようになりたい……】
【人に喜びを与えられるような自分になりたい…】
【人としての大きな器がほしい…】

漠然とではあったが、
そんなことを求めていた。

そんな時、僕はある学びに出会った。

その時は、人生を変える出会いとは知らなったのだが、
この出会いが、人生を変えていくことになる。

それがこのサークルだった。

サークルはまず、学ぶことから始まった。
学んだ内容は、至ってシンプルだった。

良いことをして、悪い事をしない。

もの凄くざっくりと要約すると、そういう感じのものだ。
学びというより、実践メインのもの。

『心を変えることで
行動が変わっていくのか……』

正直、あまり理解できなかったが、
過酷な仕事環境に心を徹底して打ちひしがれていたこともあって、
【これで解決できるなら……】

と、藁にもすがる思いで学んだ。

しばらくすると、更に僕を変えてくれる出会いを果たした。
一緒に学んでいる人から、
講師と呼ばれる人を紹介された。

見た目は普通のお姉さん。途中からおじちゃんも増えた。

初対面なのにも関わらず、
「○○(僕の名前)はここが課題だよね」

普通の人じゃないのが、話す度に分かった。

「他に何か気になることある?」

と、しつこいくらい、僕の不平不満を聞こうとしてくれた。

特に学生時代は、
いつも見た目で判断され、
中身を見て話してくれる人が居なかった。
でも、その二人は僕の心と話してくれた。

サークルでの実践は、当然、最初からうまくいく筈もなく、結果もでない。
正直、先が見えなかった。
何度もやめようと思ったのだが、
そのたびに講師の人が愚痴を聞いてくれた…。

こんなに親切な人は他にはいないと思った。
偽善でもなんでもない。純粋な愛を感じた。

頑張ろうと思えた。

講師の方と話しているうちに、
講師の方にも先生がいたことが
分かった。
そのおじちゃんとお姉さんは、
先生のことを話してくれた。

「先生は本当に凄くてね」

最初はぽかーんと、
半分口を開けながら聞いていた。
だが、その人達の、
いいたかったことが、
段々と分かるようになってきた。

つまり、講師の人も同じように、
講座に参加していたんだ。
僕と同じように、苦しんでいたんだ。

それでも、こんな僕のために事細かくアドバイスをくれるんだ。

本気で僕のためを思ってくれていることがわかり、

開いた口は、閉じていった。
愚痴ばかりの自分が、馬鹿らしく、
恥ずかしくなった。

更に頑張ろうと思えた。

そのかいあってか、やっと僕の方にも変化が出始めた。

頑張り始めてからは、仕事で悩んでいたことが、面白いように解決していった。

もはや実践を始める前の自分が
懐かしく思えるほど、僕は変わることができた。

僕をいじめていた先輩が、異動になったり、
周りから馬鹿にされなくなったり、
むしろ信頼されるようにまで至った。

あんなに周りは僕のことを冷めた目で見ていたのに。

とにかくビックリするくらい、周りが優しくなった。
とにかく現象が変わったんだ。

仕事も任されるようになっていき、
余裕が出てきた時、
あることに気が付いた。
心を込めて作った料理が、残されていた。

――【よかれと思ってやっていることは、
全て相手のためになっているとは限らない……】

僕の善意は、一方通行だったんだと、
講師の人にも言われた。

【善意でもなかったかも知れない】
【自分が満足したかっただけだった】

やるせなくなくなり、転職した。
当時付き合っていた彼女にも、別れを告げられた。


ーー僕が辿ってきた道は、
とにかく、”料理”だけでしかなかった。
包丁、食材、レシピ。料理の本。そして、youtube。
職場の先輩に職場の後輩。
恋人、友達、親、兄弟。

自分を変えたい割に、向いている方向はいつも外側だった。

あと、感情が常に向きだしだった。
喜ばせたいという気持ちが100だったら、
自分の土台は0かそれ以下で、
人の期待に答えられないと、落胆する日々。

喜ばせられる器でもないのに、
喜ばせたいと思う気持ちが暴走していたのかもしれない。

矛盾していることにも気づいた。

また、料理人ということで
親戚一同からは、
英雄扱いされていて
会うたびに、

「〇〇くん(僕の名前)
 あのお店で働いてるの~!
 ほんとすごいね~!
 今度(料理)作りに来てよ~!」

一見、普通の会話に思えるのだが、
僕には重荷で、お世辞にしか聞こえなかった。

でも、人に喜びを与えられるような、
温かい人を目指していた僕。

心と行動が伴ってなかったことにも
気づかされた。

自分には心が足りない。そう思い至った。
本当に至らない。

でもこれは実践を通して気づいた。

教えてもらって気づけたんだ。

ーーーだからまず、
以前より輪をかけて実践に集中することにした。

料理人をやめたことで、
時間に余裕ができたのもあったが、
結果的に集中して実践できた。

講師の方も全力で協力してくれた。
転職活動もしていたが、実践のおかげで難なく決まった。

内容は、非常にシンプルであるが、深いものがあった。

「この先に何があるんだろう」

そんな風に、自分の心を躍らせながら、
実践を進めた。
感覚的にだが、気が付けば以前の、
薄っぺらさがなくなっていく感覚。

「実践できて嬉しい」

ある日突然、涙が溢(あふ)れた。
今までに味わったことのない
充実感のある喜びだった。
こんなに嬉しいと
感じたことが無かった僕は、
この素晴らしさを、
色んな人が知ったらいいなと
思うようになった。

こみ上げる嬉しさに、
興奮さえもしていた。
一人、部屋の真ん中で
クスクスと笑っていた。
心の底から笑みがこぼれた。

もともと何もかも上手くいってなくて、
物足りなさを感じ続けていた頃の自分を、
どこか懐かしく思えるほどになっていた。

「○○君(僕の名前)、ほんと変わったよね~」

と、仲間から声をかけられる。
「いやいやぁ」
頭を搔きながら、
照れていた。

今まで幸せについて、考える暇もなかったけど、
実践を通して、本当の幸せがなにか、知ることができたんだ。

そんな中、
この先の……もっと先の人生について
考え始めた。

人は”1”得ると”2”を得たくなるものだ。

「この先、どうやって生きていこうかな」と……。

さらに自分と向き合った。

ーーーもともと僕は、
「人のためになることがしたい」
と思って、料理人になった。

でも、踏んだり蹴ったりな人生で、人のためになれていなかった。

サークルに出会い、日々、積み重ねていく実践で、少し変わることはできたものの、
まだまだ至らない自分がいることも事実ではあった。

ずっと”0”だった僕が、急に”1”を得た。

そして、急に”2”に進めるはずもなく、”0”と”1”を言ったり来たり。

(わかりにくい例えだったら申し訳ない。)

「まだまだ成長したい。」

少し成長した僕は、まだまだ至らない自分を鼓舞(こぶ)し、
新たなる成長を決意した。


ある日のこと、講師の方の講師だった人に会える機会があった。
その人もまた、凄い人だった。

初めに講師の人に感じていた
「この人は只者じゃない」
なんてものではない。

言葉では言い表せないくらい、
とにかく、デカかった。

身長とか、体重じゃなくて、
器の大きさや、存在が。

その人は、まっすぐ僕のほうを向いて、こう言った。

『君はもっとできるよ。』

魂が震えるとはこのことか…と思った。

言葉は短かったが、言葉の力がすごかった。
すごくエネルギーに満ちていくのがわかった。

それを受けた僕は、ここから人生が始まる…。
そんな感覚さえ覚えた。

脳みそに直接、水をかけられたような
目が覚めた思いだった。

そこでやっと気が付いたんだ。

「本質的に相手のためになるには、自分の心の器を大きくするしか無い」と。

先生みたいに、自分がもっとしっかり成長した上で、相手の利益をもっと追求していこうと。

以前のように自分の思ったよい形を
押し付けるのではなく、
その人にとって、
本当に利益になることはなんなのか、
それを見極められるようになろうって。
満足してちゃだめだって。

でも実は……それは講師の人が、
一番最初に教えてくれていたことだった。

実践もそうだが、
人としての在り方だとも思った。

(そうか……最初から示してくれてたんだ)

じゃあ、これからの人生、どうしていくか。
本当に人のためになることはなんなのか。
自分にとって、
本当に意味のある生き方はなんなのか。

僕の探求は、まだまだ続いている。


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