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連載 ひのたにの森から~救護の日々 ①

     御代田太一(社会福祉法人グロー)

ケアの現場に行ってみよう!

東京大学の3年生の頃から、「障害者のリアルに迫る」というゼミを企画して、何人もの当事者や支援者に話を聞いた。ゼミが終わると、ゲスト講師の方々と宴席を共にした。

障害のある当事者の話を聞き、多様な生き方があることを確認するたびに自分が肯定されるような感じがした。

3年生の終わり、学部卒業後の進路を考える時期に来たが、自分が社会で担う役割を想像できなかった。大きな存在に飲み込まれることへの抵抗感もあって休学を決めた。

浪人や留学をする同級生が多かったせいか、自分も1年くらい余分に過ごしていいだろう、と気軽に考えていた。

ゼミの中で多くの当事者の話を聞いたが、同じ街や社会に生きているだろう多様な人の存在を、体温をもって感じられていない虚しさもあった。

家からすぐの千駄ヶ谷トンネルの段ボールハウスで寝ているホームレスの姿が目にはいる度、「どんな人なのだろう」「話しかけてみたい」と悶々と思いながらも自転車で横を通り過ぎる日々。

大学の図書館に行けばあらゆるテーマの本や論文が手に入り、世界を掌握した気になるが、実際にはなんにも知らなかった。

そんなわけで、ケアの現場に行ってみようと思った。


施設だと他の職員とのコミュニケーションが面倒だし、長時間拘束されそう、と思い訪問介護をチョイス。

今思えば、ケアをしたいというより、合法的に赤の他人に役割を持って関わり、生活を覗いてみたかったのだと思う。

きちんとしたヘルパー派遣事業所は初任者研修の受講を必須としていると分かり、最安値かつ最短で資格が取れるスクールを探した。

それは新宿南口のビルの中にあった。受講料は6万円、座学と実技で1か月のコースだった。

新宿のビル

新宿のビル。2階にスクールがあった。

熟女キャバクラの女性と

受講初日、恐る恐る教室の扉を開けると20人ほどの受講者がいた。

自己紹介を聞いて分かったのは、様々な年齢や背景の受講生がいること。

高校卒業したての若い金髪女子や、専業主婦一筋だった外国ルーツの女性、熟女キャバクラを引退した中年女性などなど、学歴社会にどっぷりつかった自分にとって初めて出会う人ばかりだった。

講義は退屈だったが、放課後が面白かった。

ある日の授業後「飲みに行こう!」と何人かで歌舞伎町に歩き出すと、元熟女キャバクラ嬢の女性は教室でのおとなしさとうって変わって、歌舞伎町に近づくとみるみる明るくなった。

「ここよ~!私の元職場!(笑)」

指さしたキャバクラのすぐ近くの屋台のようなジンギスカン屋で飲んだ。

6回離婚して、今7人目の旦那と暮らしているというその女性は、体力的に夜の仕事を続ける自信がなくなり、行きつけの飲み屋のマスターに勧められてスクールに申し込んだらしい。

スクール期間中に何度か歌舞伎町に飲みに連れて行ってもらった。

夜の新宿

夜の新宿の風景


スクールで取った資格は「介護職員初任者研修」。以前は「ホームヘルパー2級」と呼ばれていた資格だ。

人材不足の解消のため、国が介護資格制度をシンプルで体系化されたものに改定したのに伴って名称が変更された。介護の一番基礎となる資格だ。

中学を出ていれば国籍問わず誰でも受講できて、受講料は10万円以内。

無資格でも介護の仕事には就けるが、訪問介護の場合は買い物や洗濯、掃除などに限られ、直接身体に触れるような介護は行えない。

業務の幅が狭まれば給料は安定しないし、求人の段階で必須資格にしている会社も少なくない。座学・実習を通じて介護の基礎が学べるし、スクールによっては仕事場の紹介もしてくれる。

ハローワークや介護事業所が受講料を補助してくれるケースも多いから、まずはこの資格を取ろう、という人がたくさんいる。

出席さえしていれば基本的に落ちることはない資格だが、20人いた受講生は徐々に減り、終わる頃には半数近くになった。

開始時点で受講料は払っているはずだが、決まった時間に学校に通うことが難しかった人、なんとなくフェードアウトしてしまった人がいたのかもしれない。

飲みに行っていたメンバーは、飲み代の代わりに僕が作文のゴーストライターを担当したのもあって(?)、無事資格を取得。それぞれの現場を選んで仕事をした。


102歳のおばあちゃんを背負う

僕も代々木駅前に事務所のある介護事業所にヘルパー登録をして派遣先を決定。渋谷区の自宅から電動アシスト自転車を乗り回して週に3日、1日2~3件。

朝ごはんの支度や掃除洗濯、買い物のお手伝い、バルーンにたまった尿の処理なんかもした。

印象的だったのは、表参道ヒルズの裏にある古いアパート。エレベーターがなかったが、3階には102歳の認知症のおばあちゃんが住んでいた。

僕のミッションはデイサービスに行く日の朝、おばあちゃんをおんぶして階段を下りること。

表参道ヒルズ

表参道ヒルズ。少し奥には古い住宅も立ち並ぶ。


おんぶしようと背中を見せると、<こいつには体は預けられない!>と言葉は無いが表情で叫ぶ。

娘さんの後押しで階段を降りれば<意外とやるじゃない>と言わんばかりのニヤッとした笑顔をくれる。

認知症による記憶力低下で、毎回が「はじめまして」だった。訪問するたびに、その流れを繰り返した。

その後も、精神科病院や社会福祉法人の現場で実習をした。

こんな人が同じ社会に生きていたのか、と肌で感じる瞬間が面白くて、内定をもらっていた企業には歯切れの悪い返事を繰り返しながら、現実逃避するようにケアの現場にのめり込んでいった。

そして、4年生の6月1日。就職活動が公式に解禁するタイミングで、福祉の現場で働くことを決めた。

家で一人、酔っぱらいながらの決断だったが、翌朝も珍しくはっきり覚えていた。

救護施設に心を魅かれる

全国のいくつかの社会福祉法人の現場を見学。

「福祉」と一括りにしても、洗練された建築やデザインとともに先進的な取り組みをしている法人もあれば、手弁当で炊き出しをしているような法人もある。

魅力的な職場はいくつかあったが、一番魅了されたのは、救護施設だった。

3年間働くことになるその施設に、2度見学に行った。往復25000円の新幹線代を使ってまで2度行ったのは、いくら話を聞いても、施設の全貌が掴めなかったからだ。

ガラス張りの面談室で施設の人に話を聞いている最中、小さいおじいちゃんが、ガラスに口を押し付け、こちらを凝視している。

中を案内してもらうと、裏庭で一人のおじさんに何個ものハンガーが竹に絡まった謎のモニュメントの延々と紹介された。

90歳のおばあちゃんがいれば、僕より年下もいる。ブラジル人がいれば、カップルや夫婦もいるらしい。ケアをしながら人間や社会がよく見える場所かもしれない、と直感した。

大学を卒業した。

3月29日、東京から滋賀へと引っ越した。初めてのひとり暮らし。50万円で買った中古のフィットで片道40分かけて、救護施設で働く日々が始まった。
                   つづく

謎のモニュメント

紹介された謎のモニュメント。活舌が悪くてほとんど聞き取れなかった。


スクリーンショット (14)

みよだ たいち
1994年神奈川県横浜市生まれ。東京大学教養学部卒。在学中、「障害者のリアルに迫る」ゼミの運営や、障害者支援の現場実習、高齢者の訪問介護などを体験する。卒業後、滋賀県の社会福祉法人に就職し、救護施設「ひのたに園」にて勤務。

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