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夕方からの人生に想う~こもれびの窓から④

 その存在を知ったのは1か月ほど前のことだった。
 どうすれば会えるだろうか、健康状態が心配だ。見ることだけでもできないか……。そんな話を始めた矢先、訃報が飛び込んできた。

 ひきこもりは若い世代だけの問題ではない。かつては不登校の延長のように見られていたが、今や全世代にまたがる現象だ。

 住宅が密集する地域でも隣近所に知られず長年にわたってひきこもっている人がいる。知らないはずはないのだが、長い年月が過ぎるうちに近隣住民の方が代わっていくので、その存在を知る人がいなくなる。
 孤立した人が何十年も人知れず生きているのは、都市だからこそかもしれない。いつ命の灯が消えてもおかしくない状態の人が多いに違いない。
 そうした現実を前にすると、生きていることが奇跡のように思えてくる。


 内閣府が2019年度に発表したひきこもりの調査では、満40歳から満64歳までのひきこもりの出現率は1.45%で、推計数は61.3万人に上る。ひきこもり状態になってから7年以上経過した人が全体の5割、そのうち20年以上に及ぶ人が3割を占めていることがわかった。

 20年とは途方もない時間だ。
 今から20年前といえば三和銀行と東海銀行が合併してUFJ銀行(現在の三菱UFJ銀行)となり、小泉純一郎首相が田中真紀子外相を更迭した年だ。小泉氏の後の総理には安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続き、民主党政権になってからは鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦が就任し、再び自公政権に戻って安倍晋三、菅義偉を経て岸田文雄に至る。この間をずっとひきこもっていたことになる。

 世の中の移り変わりの目まぐるしさとともに、そうした世間に背を向けてこもっている時間の長さ・重さを感じてしまう。

 「社会的参加(義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家庭外での交遊など)を回避し、原則的には6 ヵ月以上にわたって概ね家庭にとどまり続けている状態(他者と交わらない形での外出をしていてもよい)」というのが内閣府のひきこもりの定義である。
 専業主婦や家事手伝いの人の中にもひきこもりが存在すること、ひきこもり状態になった年齢が全年齢層に大きな偏りなく分布していることがこの調査で明らかになった。

 初めてひきこもった年齢では、20代は3割弱で、40代以上が全体の6割を占めた。最も多いのは60~64歳(17%)だ。高齢期にひきこもりになるのが最近の特徴なのである。
 ひきこもりになったきっかけでは、「退職したこと」「人間関係がうまくいかなかったこと」「病気」「職場になじめなかったこと」が多かった。

 夕方からの人生に暗い影が差すようになったのはいつのころからだろう。

 「サザエさん」は昭和の高度成長期あたりを舞台にした漫画だ。磯野家のお父さんである波平さんはサラリーマンだが、休日には浴衣を着て盆栽の手入れをしたりする。その年齢は54歳ということになっている。
 戦後しばらくサラリーマンの定年は55歳だった。波平さんは定年を間近に控えたおじいちゃんのサラリーマンという設定なのである。

 ところが、少子高齢化が進み、55歳で隠居されたのでは「高齢者」の数ばかりが膨れ上がり、とてもじゃないが現役世代は支えられない。まだまだ元気で働きたいという中高年も多い。ということで、定年は60歳になり、さらに65歳までの雇用確保が企業経営者に義務付けられることになった。

 多くのサラリーマンが60歳以降も同じ会社に残ることができるようになった。ただ、再雇用ということで賃金を大幅に引き下げられた。

 高齢化の上り坂はまだまだ続く。社会保障の財政は膨れ上がる一方で制度の持続可能性に黄色信号が灯っている。そのため、政府は70歳までの雇用確保を企業の努力義務とした。
 いずれも高齢者雇用確保法という法律を改正して定められた。

 「サザエさん」は何十年も続いているが、タラちゃんはずっと赤ちゃんで、波平さんもずっと54歳のままだ。もしも、時間の経過とともに登場人物の年齢も上がって行ったらどうなるだろうか。

 タラちゃんは中学生になり、カツオやワカメは大学生か社会人になっている。サザエさんはパートで働き始め、家族団らんで食卓を囲むこともめっきりなくなった。
 波平さんは60歳を過ぎたが、そのまま会社で働いている。ただ、再雇用のため給料は大幅に下がり、管理職のポストも離れたので部下はいなくなった。慣れた職場とはいえ、目に映る風景はこれまでとは違う。あまり重要ではない仕事をあてがわれていることもわかる。気持ちが沈み、会社へ行く足取りは重くなった。

 人は長生きするようになり、健康寿命も延びている。中高年の雇用について制度も整った。
 しかし、長い老後の入口でなんとなく憂鬱な気分で自分を見失いかけている人は多いと思う。
 60歳を過ぎてからひきこもる人はこれからも増えていくだろう。このままでは第二のロスト・ジェネレーション(失われた世代)になりそうだ。 

 現在ひきこもっている人は、自宅から外に出られない、誰かと直接会うことができないという人たちだ。学校や社会とのあつれき、人間関係からくるストレスによって、摂食障害などの依存症やうつが若年層に広がっている。病院や施設で毎日を送っている人もいるだろう。
 いじめ、虐待などの被害に遭い、その傷に苦しんでいる人の中には、自分の胸の中に抑えているという人もいるだろう。

 つらい思いをしているのは、あなただけじゃない。

 「こもれび文庫」は、そのような目的で始めた。
 どこかで誰かが孤独に震えている。疎外を感じて心がひび割れている。しかし、今は暗闇の中にいたとしても、きっと光が当たる日がやってくる。あたたかい目で見守っている人もいる。そうした思いを伝えたかった。

 「こもれび文庫」を初めてnoteでリリースしたのは2021年7月7日。ちょうど1年になろうとしている。ひきこもっている人からの便りはあまりないが、意外なところから反響がある。

 「いい話ですねえ」「感動した」などという感想が、中高年の人々から寄せられるのである。

 第1回の「月の光」は、読んだ直後に目を真っ赤にして涙ぐむ50代、60代の男性が何人もいる。
 学校でいじめにあって眠れなくなった女の子が真夜中、おじいちゃんに電話をしてしまう。すぐに電話に出たおじいちゃんが言う。

 「もしかしたら眠れてないのかなと思って。いつか電話をかけてくるかもしれない。その時は絶対に電話に出てやろうって、おじいちゃん待っていたんだよ」

 
 こんなおじいちゃんになりたい、と中高年の男性たちは涙声で話すのである。
 もしも、自分の娘だったら、孫だったら……。そう思うとたまらなくなるのだろう。

 自分の子どもがどんなことに悩んでいるのかをよく知らず、こんな目にあっていたかもしれないということに初めて気づく人もいるに違いない。そういう後悔や罪悪感のようなものがうずくのかもしれない。

 社会的な地位もあり、やりがいのある仕事をして、気のおけない仲間もたくさんいる大人でも、誰かの役に立ちたいと思っているのだ。困っている子がいれば助けたい、たとえ真夜中でも明け方でも、救いを求める電話がかかってきたら絶対に取ってやりたいと思うのだろう。

 「居場所」を求めているのは、いじめや虐待にあった子どもだけではない。
 生産性を上げて競争に勝つことを求められ、成果を出せなければ淘汰される。そんな厳しい仕事に追われながら、乾いた毎日を過ごしてきた人がどれだけ多くいるのだろう。老後の長さが現実のものと感じられるようになり、その入り口で立ちすくんでいる人々の姿が浮かぶ。

 やさしさを誰もが求めている。誰かにやさしくすることができる自分を探している。
 夕方からの長い時間を過ごすには、心のぬくもりがなければならない。
 こもれびのような淡い光をみんなが求めている。

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「浦安に住みたい」というタウン誌(ネット版)で「こもれび文庫」が紹介されました。
先日、女性の記者さんがやってきて取材を受けました。東京に隣接する千葉県浦安市。東京ディズニーランドがあり、シンデレラ役のインストラクターなどが歩いているのをよく見る街です。

おしゃれな店などを紹介するタウン誌ですが、「こもれび文庫」にたいへん興味を持ってもらいました。素敵な記事です。ぜひ読んでみてください。

https://sumitai.ne.jp/urayasu/2022-06-17/107519.html

こもれび



野澤さん 写真

のざわ かずひろ
毎日新聞新聞記者・論説委員として37年はたらく。現在は植草学園大学教授。ほかに東京大学の「障害者のリアルに迫る」ゼミの顧問(非常勤講師)を10年、上智大学文学部新聞学科の非常勤講師を8年続けている。社会福祉法人「千楽」を母体に今年5月「ちらく出版」を作った。「こもれび文庫」はちらく出版の初めての単行本。

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