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わたしの家族 その4

父が亡くなった日、東京の大学に通うために上京していた兄と姉も実家に戻ってきた。
それから私たちは互いに慰めあうこともなく、これからの話を始めた。

葬式の準備、遺産相続、学費の工面、持ち家のマンションの管理。
考えることがたくさんあったが、私にはどれも難しくて分からなかった。

そんな難しい話より、私は、次の日に提出しなければならない卒業研究のことが気になっていた。父の死は、私にとって自分とは関係のない遠い世界で起こったもののようだった。

葬式の日、多くの人に見守られながら、父は本当にこの世界を去っていった。
しかし、その日私たちに突き付けられた現実は、この世界の冷たさだった。

親族たちの多くは、母の子どもである私たちが好きではなかったようだった。父がいなくなった世界で、彼女たちにとって私たちの存在は気にするに値するものではなくなったのだ。

その時に私はようやく気付いた。頼れるのは隣にいる二人しかいないということ。
誰も口に出さなかったが、あの時私たちは、三人で生きていく覚悟を心に決めた。

先頭にたってくれたのは兄だった。
遺産相続や学費の工面などの複雑な話を、弁護士や親族と何度も話し合ってくれていた。
マンションの管理も兄が担ってくれていた。大学の合間を縫って実家に帰ってきては、不動産屋と話をしたり、家賃収入の管理をしていた。
兄はまだ22歳だった。

姉は私たち兄妹の中心になってくれていた。
態度や言葉には決して出さなかったが、私と兄の心労を一番気にしていた。一緒に暮らしていないのに、私の心が壊れてしまったことに気づいてくれたり、母や今までお世話になった家政婦さん、親族に対しての気遣いが一番あったのも姉だった。
姉はそんなに心が強い方ではないはずなのに、常に強く頼れる人でいようとしていた。

そんな兄と姉に私はついていくだけだった。
反抗期を迎えていたため、兄に対して酷いことをたくさん言ったこともあった。
兄が実家に帰ってきた時に作ってくれた夕飯を、「美味しくないからいらない」と言ったことも、「美味しくないか」と言った兄の姿もずっと忘れられない。

私はずっと二人に守ってもらっていた。いまでもそうだ。ずっと守ってもらっている。

父がいなくなってから、ただ必死に生きていた私たち三人の間には、知らず知らずのうちに絆ができていて、家族になっていた。

                  text/みさと

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