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目覚まし時計

玄関から鳴り響く規則的なアラーム音。

母の呻き声に続いてビリビリと段ボール箱を開封する音がして、アラームは鳴り止み、すすり泣きの声に代わった。

身体が重く、頭がズキズキする。瞼が腫れあがって目が開けられない。何もする気が起きず、私はただベッドに横たわっていた。

朝6時。父の目覚まし時計に起こされた。

持ち主はいなくなったのに、目覚まし時計は当たり前に時を知らせる。いつも通り起きて仕事に行くはずだったのに、起こされたのは私と母だった。大好きな父がもういないということが、一気に現実味を帯びて重くのしかかってきた。
人生最悪の目覚めだった。

中学3年生、修学旅行から帰ってきたばかりでまだ楽しい気分が抜けていない9月の昼下がり。一本の電話がかかってきた。

悪い知らせの電話はどうして取る前から分かるのだろう。いつもと変わらないはずの呼び出し音が急かすように聞こえて、心がざわついた。

状況もよく飲み込めないまま新幹線に飛び乗った。不安でいっぱいになって堪らず泣き出した私を「絶対大丈夫だから、弱気にならないで!」と母が叱った。

車窓から見える空はどんどん暗くなって、病院についた時には真っ暗になっていた。

316号室。忘れたいのに忘れられない。

翌朝病院を出て、タクシーの中から抜けるような青空を見た。空は一緒に泣いてはくれなかった。
家を出たときは気丈だった母が、隣で泣き崩れていた。

あれから5年。単身赴任先の父を脳出血で亡くしてからあっという間に時が経った。専業主婦だった母は古巣に戻って仕事を始め、中学生だった私は大学生になった。

こんなに時間が流れたのに、私はまだ父がいなくなった事実をきちんと受け止められていない。

頭では分かっていても、赴任先の新潟でまだ働き続けているような気がする。長期休みには帰ってきて、定位置だったテレビの前のソファで寝落ちている父にまた会える気がしてしまう。

父は凝り性だった。よくおいしいご飯を作ってくれたけれども、鳥の皮を焼いて油をとるところから始めたり、サフランライスを一から作ったり、とにかく時間がかかった。腕によりをかけすぎて、夕飯が出来上がったのが10時半だったこともある。

物に対するこだわりも強かった。絶えず良い物を私に与えようとしてくれていたけれど、いつもちょっぴりずれていた。

真っ先に思い出すのは時計の事だ。小学校高学年になった頃、プレゼントに腕時計をねだると、クリスマスの朝、枕元にあったのは懐中時計だった。希望と全く異なる品を見た私はへそを曲げた。
こんな感じで父の趣味と私の好みがぶつかったことは山ほどある。

大学生となった今ならば、父が選んでくれた品々は、その良さがよく分かる物ばかりだ。けれども腕時計をねだる小学生に、懐中時計を渡すセンスはやはりいただけない。

その一方で、七五三の時に買って貰った赤い花簪は、当時も今も大のお気に入りだ。納得のいくものを求めて、色々なお店を探し回ってくれたらしい。成人式でも、もちろんつける。

パパ、私の振袖姿を見て貰えないのは残念だけれど、あなたの娘はおかげさまで立派に成長しましたよ。
                  text/紗々

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